「シュリよ、君に足りないのは『ゴッドファーザー』力だ。」ブラックパンサー ワカンダ・フォーエバー のむさんさんの映画レビュー(感想・評価)
シュリよ、君に足りないのは『ゴッドファーザー』力だ。
兄を失った悲しみ、母を殺された恨みでシュリは暴走する。
伝統とテクノロジー、つまり革新という相反する(ように見える)二つの間で揺れ悩む。
そして彼女が最後にたどり着いた答えが「我々の復讐に民を巻き込んではならない」であった。
王女そして女王としての役割=仕事=「ビジネス」は、己の私情とは無関係のところで行われなければならない。それを克明に描いて見せたのが72年の『ゴッドファーザー』である。コルレオーネファミリーは「ビジネス」で人を殺す。そこに私情をはさむことを良しとしない。感情のまま動いた長兄ソニーはその浅はかさゆえに他ファミリーに隙を見せ、ファミリー全体を危険にさらす。しかしマイケルは、父と兄の復讐と言う私情を、「ビジネス」の中で果たすという、マフィアの掟を超越するレベルで行動を起こしていった。その点においては、敵であるネイモアの方が「仕事」と「私情」のバランスをとって行動しているように見える。
シュリに足りないのはこのマイケルの思想だ。しかし、今の彼女にそれを求めるのは酷であろう。シュリもまたティ・チャラによって「守られるべき存在」であったし、王になるにはあまりにも準備が足りていなかった。そんな中であの状況になれば、判断を誤るのもやむなしである。そしてそれはまた、シュリを演じたレティーシャ・ライト本人にも言えることではないか。彼女はまだ、MCUという超モンスターシリーズの主役を務めるには「準備が足りていない存在」である。2018年に彼女が『ブラックパンサー』に初登場した時、たった4年後に自分がこのシリーズを背負って立つ存在になるとは、夢にも思っていなかっただろう(吹き替え声優の百田夏菜子もしかり)。人は突然大きな役割を背負わなければならない時がある。そんなとき、正しい行いをすることはとても難しい。
この映画は、ティ・チャラ=チャドウィック・ボーズマンの追悼作品であり、作り手と受けてがともに彼を悼み、ともに乗り越えるための作品であることは間違いないと思う。しかし、そこで描かれるのは「シュリの成長の物語」である。伝統と革新は両立する。ブラックパンサーと言う力を持ってしまった彼女が、今後どう生きていくか、見ものである。