「題名を「ソウルの夏」とした意味 そこにさらに「革命がテレビ放映されなかった時」と添える意味 そこに私達は考えを及ばせるべきだと思います」サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時) あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
題名を「ソウルの夏」とした意味 そこにさらに「革命がテレビ放映されなかった時」と添える意味 そこに私達は考えを及ばせるべきだと思います
感動で泣きました、泣き通しでした
ウッドストック・フェスティバルは、本作のイベントのあった同じ年の8月15日から17日に行われていました
まさに同時平行です
そちらは映画にも、レコードにもなって、誰もが知っています
ウッドストックはNYから北に160km のところ
東京から那須塩原ぐらいの感覚です
一方、本作で記録されているイベントは、ハーレム・カルチュラル・フェスティバル
つまりNYのハーレム文化祭です
詩人とかもでていたようです
しかしやっぱり音楽がメインです
1969年6月29日から8月24日までの9回の日曜日のうちの6回開催
場所は、NY ハーレムのマウント・モリス・パーク
そこは1973年に今の名前のマーカス・ガーヴェイ・パークに改称されています
ハーレムのど真ん中、地下鉄125丁目駅から東にすぐ
あのアポロシアターには、そこから徒歩10分くらいのところ
300m 四方の真四角の公園で、およそ日比谷公園の半分くらいの大きさ
そこに入場無料で、司会はラジオの人気DJ、有名アーティストが毎回多数出演するのですから、各回とも数万人、のべ30万人近くを動員しました
毎回午後3時頃から、日没ぐらいまでの日中の開催
なので夏の西日を照明代用にして予算をケチったそうです
提供は、NY市の公園局や文化局などの行政とマックスウェルのコーヒー
なので出演料は必ずでるから安心して出演してと交渉したと、プロデューサーが言ってます
邦題の「サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)」は、原題のSUMMER OF SOUL
(OR, WHEN THE REVOLUTION COULD NOT BE TELEVISED) を直訳しただけです
もちろんソウルとは、Soul Musicのこと
当時はR&Bというより、そう呼ばれていたのです
音楽祭記録映画の名作「真夏の夜のジャズ」
原題Jazz on a Summer's Dayを意識していると思います
アメリカにとって同じほどの大きな意味を持っていると言いたいのだと思います
しかしSoul on a Summer's Dayでは無いのです
単に夏の日のソウルミュージックとしない意志を感じます
題名を「ソウルの夏」とした意味
そこにさらに「革命がテレビ放映されなかった時」と添える意味
そこに私達は考えを及ばせるべきだと思います
1969年が黒人の人権問題についてどのような意味を持つ年であったのか、そして21世紀の現代においてそれがどんな意味をもつのか
それが本作のテーマです
1969年の夏
黒人の命の魂も、夏の季節を迎えた
ソウルミュージックもまた、夏の季節を迎えたのだ
この意味を伝えたいという意志を感じるのです
そしてサブタイトルの意味は、当然この革命的な出来事を当時テレビ放映しようとしなかったメディアの黒人の人権問題への無関心さを訴えています
それだけでなく、半世紀が過ぎた今でもそれは同じではないのか?
違うというならば、本作は一体どのような評価を受けるのか?
正しい評価が21世紀ならばされるというのか?
そのような挑戦的なメッセージです
だから、編集の構成もそのような意図に沿って成されていると思います
日本語の字幕が秀逸で歌詞まで大変上手い訳で、全ての曲につきます
私達日本人には内容を理解する上で大変ありがたいことです
序盤に登場する二つのグループが、その意図を象徴しています
フィフスディメンションが序盤に登場して、黒人らしくない楽曲だとどこでも批判されたとメンバーが盛んに証言します
しかし彼らのステージは実に驚くほどソウルフルでした
彼らの音楽の方向性が、後のソウルミュージックの世界的な隆盛に導いていったのです
そして、アクエリアスの歌詞の戦いを止め平和の世界をという内容は、ベトナム戦争の事のようで、21世紀の我々には人種対立の先鋭化を歌っているように聴こえるのです
人気絶頂期のスライ&ファミリーストーンは、人種と性別の混合バンドでした
しかもリズムの中核のドラムは白人であり、トランペットという花形楽器を女性が担当しているのです
なんと先進的なスタイルのバンドなんでしょうか!
こんなに黒いバンドが実は人種性別混合バンドなのです
黒人だけ、男性だけというのは、それもまた差別的なことなのではないのか?という21世紀の視点なのです
だから、この二つのグループを観た観客の驚きを特にフィーチャしていたのだと思います
そして黒人音楽のルーツたるゴスペル、プエルトリコやキューバのラテン世界や第三世界からの他の有色人種の音楽の紹介も入れて目を配っています
そしてモータウンという、日本でいえばジャニーズ事務所みたいな強大なところのアーティスト
しかもグラディスナイト&ザ・ピップス!、そしてデビッド・ラフィン!の登場です
当時の最高の人気者です
つまり黒人文化が現代アメリカをリードしている
これからもそうだろうということを宣言しているのです
21世紀からみれば、このモータウンの基盤の上にフィフスディメンションとスライ&ファミリーストーンの方向性が今日の世界のポップスをリードする存在に、ブラックミュージックを押し上げたのだということがよく分かる構成であるのです
後半には、ニーナ・シモンの白人への攻撃を煽動する歌や、ブラックパンサー党の背筋が寒くなるような白人は豚だと幼児に教える活動を紹介します
そしてまたスライ&ファミリーストーン
曲はハイヤー
もっとハイになれよ!
歌詞の内容は、「クスリでイキなよ」みたいなあられもないものです
しかし、ここまで観てきた21世紀の私達には
こう聞こえてくるのです
もっと高みを目指すんだ!もっと高く!高く!
そんな高尚な内容の歌詞に聞こえてくるのです
確か字幕もそれを意識した訳であったように思います
ソウルミュージックファンなら、神々にも等しいアーティスト達の全盛期の素晴らしいアクトを、インタビューなどでぶったぎっているのは許せない!とお怒りの向きもあるでしょう
しかし、本作は単なる音楽祭の記録ではないのです
「黒人の魂が夏を迎えた」革命の記録なのです
ここを履き違えてはならないと思います
音楽だけの映画にしろということは、こうした監督のメッセージを拒否して、黒人社会の成り立ちの上に華咲いた黒人文化を単に消費だけしようとする態度だと批判を受けることではないでしょうか
それこそ差別的な態度では無いのでしょうか?
とはいえ、これほど良い映像と音で記録されているのだから音楽だけを観て聴きたいというのも人情です
それほどのクォリティーがあるのです
エンドロールに流れる歌の歌詞で、「僕を信じて」と何度も繰り返し歌われます
つまり、黒人達のことを信じて欲しいとのメッセージです
何もブラックパンサー党のような、白人は悪人だ、ぶっ殺せ!そんな革命を目指そうなんて考えを持っている訳じゃない
ただ、同じ人間だということを分かって欲しい
それだけのことだ
信じて欲しい
BLM活動が暴動を起こすような先鋭化を、黒人は誰も望んではいない
これが本作のメッセージなのです
当時の白人市長ジョン・リンゼイをステージにあげて、このフェスティバル開催の成功をともに分かち合うシーンを長く紹介する意図はそれです
人種の融和、平和的に寛容な社会を目指そうというメッセージなのです
このフェスティバル自体、数万人もの黒人が毎週集まったのに一切事件も騒動もなく終わったのです
このエンドロールの曲、誰のなんという曲なのでしょうか?
浅学故に分かりません
プログラムのセットリストにも記載は有りませんでした
追記
Chambers BrothersのHave a Little Faithという曲だそうです
この曲が終わっても、長いエンドロールはまだまだ続いています
会場のガヤガヤの音声だけが、ステレオで大きめの音響で長く流れ続けています
まるで、タイムマシンで半世紀前のハーレムの会場にいるかのように感じてきます
21世紀と、1969年は確かに繋がっているのだ!
それを感じ取れるはずです
エンドロールも終わった最後の最後に、スティービー・ワンダーがちょっとだけ登場します
スタンドマイクの所にうだうだいって、雨も降り始めたのに白人スタッフの上着を掴んで離さないのです
その服は俺が買ってやったものだ!
それが最後の一言です
つまり、これが本作でいう革命ということだ
肌の色に関係なく人間の才能だけが、経済的地位や社会的地位の上下関係を決めるのだ
その捨て台詞だったのです
セットリストが記載されていますから、劇場でプログラムを必ず買うべきです
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