「物語としては悪くはないが、いささか盛り上がりに欠けるのが難」花椒(ホアジャオ)の味 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
物語としては悪くはないが、いささか盛り上がりに欠けるのが難
<映画のことば>
父さん、もう怒ってないよ。
今は、ものすごく父さんに会いたいよ。
もともとは旅行会社のOLというユーシューが、賃貸借契約が残っていた父の火鍋店の権利をうってしまわずに、当座に継ぐことに決めたのは、「店の賃貸借契約が残っていて、解約すると違約金が発生するから」というのが、表向きの理由でしたけれども。
しかし、一時(いっとき)とはいえ店を継いだのは、常連客とともに、そこに父の在りし日の面影を感じ取ろうとしたことには、疑いがありません。
火鍋の素が底を突いてしまい、店の営業にも支障が出るようになると、父のレシピを求めて試行錯誤に苦労するのですけれども。
その労苦を厭う様子が、その、何よりの証左だったと評論子は思いました。
レシピも分からぬまま、肝心の秘伝の火鍋の素を切らしてしまい、店が窮地に陥ったときに、店の従業員の要請に応(こた)えて、「助っ人」として現れたのは、他ならぬルージーとルークォという二人の異母姉妹たち―。
そして三人が三人とも、それぞれに苦悩を背負っている生きてきていた。
上記のような話の流れは、映画の素材としては決して悪くはないのですけれども。
しかし、物語としてはいささか盛り上がりに欠ける感が否めず、残念な感じもしてしまいます。
佳作と評するには、いささか躊躇してしまうところで、評論子としては、良作としての評価としておきたいと思います。
(追記)
<映画のことば>
もしいつか、おばあちゃんがこの世を去ったとしても、私は孤独じゃない。
この世を去るのは、引っ越しと同じよ。
次は、人の心に住むの。
遺族からそう思われたとしたら…。
それ以上に「故人冥利」(?)に尽きることはないのではないでしょうか。
評論子もかくありたいものですけれども。
はてさて。実際は、いかに。
(追記)
<映画のことば>
辛さは味覚ではない。
痛覚だ。
人は刺激を加えられると、意識が分散される。
辛味で痛みを感じれば、他の痛みは消える。
いつの頃だったか、「激辛ラーメン」が流行ったことがありました。
世のサラリーマン諸氏は、こぞって食べ、昼休みには大汗をかいていました。
まだまだ日本は高度成長期。
毎年のように賃上げて懐(ふところ)は潤って重くはなっていても、仕事のストレスも、それだけ往時は(往時も?)重かったのかも知れません。