スーパーノヴァのレビュー・感想・評価
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表面をなぞっただけのおきれいな映画
カップルの片方の痴呆症が進行している、その時に双方に生じる葛藤を描くんだ、というのは事前に明かされているこの映画の主題であった。
実際に観たら、事前情報以上の掘り下げがなかった。あの展開はありふれている。タスカー(患者)が、それを支えるサム(パートナー)が、時間をかけてどのように葛藤し、ぶつかり、あのような結論に至ったか、これがドキュメンタリーでなく作られた物語であるなら、もっと掘り下げるべきだった。美しい絵面と俳優の演技に委ねすぎだ。
深みの足りないひとつには、回想シーンを使わず、長セリフで説明をさせることも避けた撮り方があるだろう。彼らが作家として、ピアニストとして、これまでどのような人生を送ってきたか。どのような価値観の人物か。短くない時間にどのようにパートナー関係を構築してきたか。もしもっと描かれていたなら、彼らが葛藤から決断に至る過程を、鑑賞者も想像しやすかっただろう。
重要な主題でしたが、制作者には覚悟が足りなかったと思う。ゲイカップルであるということを殊更強調しなかったのはよかったです。
滲み出る想いも、湖水地方の雄大な景色も美しい
結末
コリン・ファースの映画を観るのは「英国王のスピーチ」以来と思っていたら、「1917」にも出ていたのね。
さて、この映画の結末は、自分はコンサート会場にタスカーがいるものと思っており、一緒に観ていた妻は、自殺を許したのだろうという解釈。
いずれにしても、アルツハイマーという、自分にもおそってくるかもしれない病で、考えさせられました。良作。
君が僕を知ってる
芸術家同士(音楽家と作家)の中年のゲイカップル。作家のタスカーがアルツハイマー病となり、近い将来サムに迷惑をかけることや自分の哀れな姿を最愛の人に晒すこと案じていた。サムは薬で進行を抑えながら、最後の時までパートナーを支える心づもりでいる。二人の出会いの場でもあった湖水地方にキヤンピングカーで出かける。サムの演奏会の予定にあわせ、サムの姉夫婦の家に寄るなど、時間の余裕を持って出掛けた二人旅。旅の計画はタスカーが立て、運転はサム。
天文観測は二人の趣味。望遠鏡を出して新しい星を発見したいというサム。タスカーはサムの姪っ娘に恒星の最後の話をする。星のかけらはめぐりめぐって人の身体の一部になると。
映画の冒頭、星座(オリオン座?)と明るい大きな恒星が現れ、次第に無数の星が満天の空を埋め尽くすと、明るい大きな恒星はいつの間にか消えていた。
旅の出だしはドノヴァンやデヴィッドボウイの挿入曲にきれいな景色や森林のシーンで、大自然でのキャンプを二人で楽しむノリだったけど。コリン・ファースとスタンリー・トゥッチによるヒューマンドラマ。
最後はタスカーが好きだけど、なかなかサムは演奏してくれないと言ったクラシック曲をグランドピアノで演奏するサムの映像で終わる。うーん、どっちにしても、残される方がつらいのは確か。遺書がわりの録音テープを聞くのが早いか遅いかは問題ではない。でも、安楽死のための麻酔薬(バルビツール系)のバイアルを見てしまったら、ショックだね。
でも、このおじさんカップルはお互いをよく知り尽くしているので、ウソをついてもすぐわかるし、どんなことを考えるかも大体わかってしまうのが、つらいけど、何十年一緒に暮らしても肝腎のことはわかってない夫婦よりずっとしあわせなんじゃないだろうかとおもった。
決意の重み
20年来のパートナーであるピアニストのサムと作家のタスカー
タスカーは若年性認知症を患い、日常にもその影響を濃くし始めている
キャンピングカーでイギリスのハイランドを目指しながら、サムの家族や友人たちに会いつつ旅するふたり
愛するが故のそれぞれの想いが物語を紡いでいく
物語自体は淡々と進んでいくが、2人の俳優が見事に色を付けていく
ただ、LGBTQで描くことの意味は特に感じられなかった
異性愛者でも同性愛者でもこの物語の本質が大きく変わるようには思えなかったから
でも、この2人、と考えるとこの設定にも意味があるのかもしれない
自らのこの先を知り、自らを失っていくことに耐えられないと思うタスカーの決断
自分を分からなくなっても、支えていきたいと思うサムの決断
2人の想いは変わったわけではないのに、お互いを想っているのに、タスカーの病が2人を引き裂いてしまう
逝かせるのも愛なのだろうと思う
でもその時が来たら、それを受け入れるのは決して容易なことではない
そして、自分が自分でいられるうちに、自分で決められるうちに、自分で動けるうちに、そう願うかもしれない
たとえ愛する人を深く哀しませることになろうとも
2人の激しい衝突の翌朝
サムの一言、その決断が重く響く
let me go with you(字幕は「ずっと一緒だ」だったかな)
熟年夫婦
の様な二人が、片方の認知症悪化を目の前にしてお互いを思いやり、悩む。思い出を辿り、懐かしい人達に会って、思い出を残そうとする。最後は認知症を患ったタスカーが、自殺をする事を考えるが、もうサムに知られてしまう。最後に二人は…。
期待値を上げず自然体で
哀切の物語
ピアニストのサムと作家のタスカーは、長年時間を共にしてきたゲイカップル。タスカーは病のため認知症が進み、いずれはサムのことも忘れてしまうと思い詰めている。
サムの久しぶりの演奏会のため、二人は車で旅をする。途中、サムの実家に立ち寄り、姉夫婦や友人の歓待を受ける。その夜、サムはタスカーが隠していたものを見つけてしまう。
湖水地方の美しい景色を背景に、老境に入った二人の旅を淡々と描くこの映画は、二人の抑えた演技と相俟って切々と感情に訴えかけるものがある。もちろん、愛し合う二人の性別がどのような組み合わせであっても一応は成り立つ物語ではあるのだけど、男同士だからこその哀切を感じさせ、何が起きたのかを思い描かせるラストも含め、余韻の残るいい物語だった。
なお、完全に余談だが、コリン・ファースがヒゲを生やすとああなるというのがちょっと個人的に衝撃だった。
しみる。
人生のしまい方
ロードムービーのスタイルで、パートナーとの繋がりを深めていくスタイル。
セリフのニュアンス・表情・仕草などから、会話に潜む裏の意味を読みとっていく必要があり、観客にとっては少々ハードルの高い作り。
ゲイについては自然なこととして、誰も咎めない姿勢が貫かれていてよかった。
つまりこれは性別に関係ない、パートナーとの人生のしまい方の話だ。
相手を思う故に、片や病気が進行して意識あるうちに自死を選びたがり、片や意識のない生ける屍となったパートナーを死ぬまで面倒みるという決意を選ぶと主張する。
映画の中に、どちらが正しいという答えはなく。
何を選んでも愛なのだというメッセージが詰まっていた。
タイトルは、身や心が塵になっても、「超新星(スーパーノヴァ)」のように、最後の瞬間に輝きを放つ鮮烈な愛のある生き様(死に様)でいたい、という意味なのだろう。と思った。
タイトルなし(ネタバレ)
スーパーノヴァとは、恒星の死による大規模爆発現象のことで、以前、SF映画でも同タイトルの映画がありましたね。
ピアニストのサム(コリン・ファース)と作家のタスカー(スタンリー・トゥッチ)は20年来のパートナー。
しかし、タスカーが認知症を患って執筆から遠ざかり、サムも演奏活動から遠ざかっていた。
そんなある日、サムのもとに演奏依頼が届く。
場所は、サムの実家の近く。
いい機会だからと、ふたりはキャンピングカーで旅に出ることにした・・・
といったところからはじまる物語で、ダブルベッドで眠っていたふたりの画から始まり、映画はすぐにキャンピングカーの運転席と助手席へと移ります。
ふたりの職業、タスカーの認知症、久々の演奏依頼、サムの実家への立ち寄りなどの事情は、道中でふたりの言葉や態度で少しずつ明かされることになります。
この道中芝居がややまだるっこしく感じられるかもしれません。
途中立ち寄ったダイナーでみせるタスカーのちょっとお茶目で意地悪な言動(ふたりを知らないウエイトレスに対して「(サムを指して)彼のファンで、声をかけづらいなら、僕からサインを頼んであげようか」という)のようなコミカルなシーンがもう少しあれば良かったのですが・・・
サムの実家への立ち寄りは、タスカーがサムの姉とかねてから計画していたもの。
サムの姉が実家を処分するので、その「さよならパーティ」。
サムには知らされておらず、びっくりパーティでもあります。
サムが少年時代に寝た狭いベッドで、ふたりが狭苦しく寝るあたり、もう少しコミカルでもよかったかも。
その後、サムはタスカーの秘密の計画を知ります。
うーむ、やっぱり、話はそっちの方に流れていくのか・・・
なにせ、タイトルがタイトルだけに、死については意識せざるを得ません。
新しく購入した森の中の別荘で、サムとタスカーがお互いの心情を吐露するのが映画のクライマックス。
ふたりの想い、切ない・・・
映画は、決着地点をあいまいに観客に委ねたまま、久しぶりに弾くサムのピアノの切ない旋律を残して終わりますが(曲は、エルガーの「愛の挨拶」)、エンドクレジットで確認すると、このピアノ、コリン・ファースが実際に弾いているのですね。
英国の地方ロケも美しく、名優ふたりの演技も見どころがあるのですが、映画としては少し食い足りない感じがしました。
短編小説か、舞台劇で観る方がいいような感じでした。
【失って悲しいと思うもの】
上映館は多くないみたいだけど、多くの人に観てほしいと思った。
「失って悲しいと思うものは、良いものということ」
もし、それさえも忘れてしまうのであれば、もっと悲しいだろう。
忘れることも、忘れられることも、怖いし、そして悲しいのだ。
この作品は、こうした状況を巡る、サムとタスカのやり取りが切なく、しかし、とても暖かい。
エンディングでサムが弾く「愛の挨拶」は、エルガーが妻に送った曲だ。
イギリスが舞台の作品であることもあって、エルガーがチョイスされたと思うが、エルガーと妻が、階級(エルガーが庶民)、宗教(カトリックとプロテスタント)、年齢(エルガーが相当年下)を乗り越えて結ばれたことも、サムとタスカに重なるところがあるのだと感じる。
ただ、この作品には、こうしたノン・バイナリーについてあれこれ考えるところは、ほとんどない。
2人の愛し、信頼し合う関係が、あまりにも自然に感じられるからだ。
記憶が無くなっていくというストーリーが、そうさせていると考える人もいると思う。
しかし、僕は、コリン・ファースとスタンリー・トゥッチの演技が、僕達を終始2人の心の揺らぎに釘付けにし、他の考えを寄せ付けないようしているのだと思う。
認知症という物語の背景はありつつも、ジェンダー云々のカテゴリーを超えた、人が人を愛するというところにフォーカスし、葛藤を深く表現した秀作だと思う。
うーーん… 物足りなかった
病気だと認めているのに薬は…
不治の病を患う小説家と、彼と20年来共に暮らす最愛のパートナーのピアニストの話。
人生の後半に差し掛かり、終末期を考える様になる年配カップルに降り懸かった難題を描いた恋愛物語ですね。
愛犬ルビーちゃんを連れてキャンピングカーでサムの姉家族宅へ向うところから話が進行して行く中で、徐々に病気のことを絡ませて見せて行く展開。
重々しい空気感という作品ではないけれど、淡々としたみせ方で明るさをあまり感じられず、互いのことを思うが故の、勝手な考えで巻き起こる拗らせを解いていく様はつまらなくはないし、共感出来ない訳でもないけれど、恋愛映画として如何にも、という感じがしてあまり自分にはハマらなかった。
「不治の病」というのも、間違いではないけれどハードル上げちゃっていたかも。
それと、とりあえず、性的マイノリティーと言われる方々の行きづらさみたいなものがあるのかな〜と思っていたが、姉家族も友人達も普通に接していて、そういうメッセージ性みたいなものはなく、車中の会話でほんのちょっと述べるのみ。
個人的にはそれを全面に主張してこられるのはあまり好みじゃないので良かったけれど、それならそんな会話もいらないのにと中途半端にも感じた。
恋愛映画好きな人がみたら面白いのかもしれないけれど…。
ロケ地、音楽、名演技
2人の掛け合いは魅力的
C.ファース演じるサムとS.トゥッチ演じるタスカーの夫婦愛の話である。
病名は確か作品では明かされてなかったと思うがタスカーは不治の病を患い記憶も次第に薄れていきあとは死期を待つ状態となる。
そんな中2人はサムの故郷に旅をし、サムの親族達と触れ合いながら苦しいひと時を少しでも紛らわしながら前向きに過ごそうとする。
そんな中終盤にはタスカーが記憶もなくなり体も自由に動かせなくなり全てをサムに任せっきりな生活を送るこの先の事を見据え、それらを拒絶し自殺する決断をしていることをサムは知る事となる。
もちろんサムはタスカーの決断を最初は否定するも否定し言い争う時間すら無駄に感じこの一瞬一瞬を大切にしようとしながら作品は終わる。
ファースとトゥッチの掛け合いは非常に美しくそして繊細さも見せてくれ非常に魅了された。
LGBT作品ではあるが自然な感じがあり比較的ポプュラーに見られる作品にも思える。
ストーリーは正直あまり理解が追いつかなかったかな。タスカーが病気でサムの故郷を訪れるストーリーではあるがそれ以上になにか展開が待ってるわけではない。
彼らの会話劇が中心になるのだが、彼らの人物像だったり背景が丁寧に描かれているわけでもない。
残り少ない時間を愛し合う者同士が過ごす淡いストーリー以上のものは無く少し退屈さを感じてしまった。
主役の2人の演技を楽しむ事においては十二分に楽しむ事ができた。
彼らのファンには勧めることのできる作品ではある。
湖水地方の風景と儚くも美しい物語
実力派俳優たちの繊細な表情にため息の出るような湖水地方の美しい風景、心揺さぶられる音楽。久々に芸術作品に出会ったようだ。
今生きている私たちを平等に待ち受けているのは“死”である。死に対しどのように向かうのか。認知症と安楽死をテーマに、だけど決してシリアスには描かずに、美しく前向きに描いているようにも感じた。
冒頭から映し出されるキャンピングカーに乗る2人のカップルは20年以上連れ添ったピアニストのサムと小説家のタスカー。タスカーは若年症認知症を患っている。サムの演奏会に向かうまでを2人はキャンピングカーで旅し、サムの実家を経由しハイランドの上を目指している。
刻一刻と症状が悪化するタスカー、愛するサムに迷惑をかけたくない、自分の変わり果てた姿を見せたくないと自死を望むタスカーに対し、愛した人を最期まで愛し貫くと腹を括ったサム、互いが互いを思い合う故に2人の間で大きく意見が食い違う。
第三者目線からみても甲乙付け難いほど両者の気持ちが痛いほどわかる。
悲しい物語ではあるが、題名の「スーパーノヴァ」のように、人生でこんなにも愛せる人に出会い、輝いた人生を送れた2人がただただ羨ましい。
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