「原作を肉付けし、新たな魅力を備えた作品へと昇華している」草の響き SSYMさんの映画レビュー(感想・評価)
原作を肉付けし、新たな魅力を備えた作品へと昇華している
主人公の和雄は世間一般に信じられている価値観を十全に理解している。結婚して、子供が生まれる。喜ぶべきことだ。だが、和雄は喜ぶことができない。考えてみれば、それはそうだ。子供をを育てるということは楽しい事ばかりではない。一人の人間の人格形成に、何年にもわたって責任を負い続けるということは、かなりの重荷だ。子供は天使ではない。時には悪魔にもなる。単純な事実だが、見落とされやすいことだ。もちろん、これから親になるという人間が、そういうことを全く考えないということはないだろう。だが、子供ができたら、まずは祝福をするのが相場と世間では決まっている。子供ができたと報告して「大変だね」と言ってくる人間はいない。子育てには苦楽が伴うが、まず“苦”には一旦目を瞑って“楽”の方だけを見なければいけない。世間ではそういうことになっている。精神を患っている和雄には“楽”より“苦”の比重の方が大きいのは明らかだ。それでも世間の価値観を理解している和雄は、それに自分を合わせようとする。“まとも”になればなるほど、和雄は苦しくなっていく。
和雄は憑かれたように走る。走っている時、和雄は幸せだったろう。走っている間は、現実の問題を忘れることができる。自分以外には何もなく、ただ一人の人間としていられる。そんな時に出会う高校生たちは、大人とは違い、まだ自分の考えと世間の常識との違いをうまく合わせられずに悩んでいる同類だ。だが、和雄の合わせ鏡であったような存在の彰は死んでしまう。
唯一の親友である研二は、病の和雄を置いてスペインに行ってしまう。和雄のことを心配して言葉をかけるが、どこか上っ面だけの印象だ。大人の男の友情というものを、残酷なまでにリアルに描いている。友人である和雄のことを心配している気持ちは嘘ではない。ただ、深くは入り込まない。和雄に和雄の人生があるように、研二には研二の人生がある。深く立ち入りすぎて、面倒事を請け負うようなことはできない。青春ドラマみたいに、殴ったり叫んだりして友情を貫き通すなんて真似は、現実にはありえないのだ。
妻の純子は原作にはいない登場人物だ。純子の存在が、原作にはない付加価値を映画に与えている。
純子は孤独だ。和雄には研二や純子が寄り添おうとしているが、純子に寄り添う人間はいない。純子にとって心を許せる存在は犬だけだ。たしかに犬は大事な存在だが、人間ではない。純子に必要だったのは、女友達だろう。男にとっての男友達より、女の女友達はずっと重要な存在だ。だが、夫に付いて見知らぬ土地に来た純子には、気軽に会えるような友達はいなかった。そんな簡単な話ではないことは承知だが、純子に女友達がいたら、物語の行き先は多少は変わっていたかもしれない。
最後に、和雄は崖の前で横を向き走りだしていく。死んだ彰とは違う、生きることを選び取ったラストのシーンは素晴らしかった。
演じる役者と物語の中の役を重ねて観るようなことはあまりしないのだが、映画の公開前後に和雄役の東出昌大のスキャンダル報道があった。世の中でうまく生きられない和雄と、問題ばかり起こしている東出が妙にシンクロしていると感じた。映画の興行への影響はわからないが、作品の内容にはむしろプラスに作用したのではないかと思っている。演技のうえでも、これ以上ないほどのハマり役だった。この作品を通して、彼の演技をこれからももっと観たいと思った。