「普通に生きることの難しさ」草の響き さくらんさんの映画レビュー(感想・評価)
普通に生きることの難しさ
この作品は東出昌大じゃなきゃできなかった役かもしれない。そして、この時期だったからこその役かもしれない。彼がプライベートで乗り越えた人生の修羅場、その苦悩の日々とも非常にリンクしているような気がしてならない。
和雄が友人研二に助けを求め、病院に連れて行ってほしいと懇願した時の土手でのシーン。彼は全身が震え、焦点も定まらない不安な表情を浮かべ、自分をコントロールできない様子は真に迫る演技だった。
今回、研二役の大東駿介は優しく、温かい、和雄に寄り添い、救ってくれた本当になくてはならない存在だった。
純子側からの見方をすると全く違ったものになってしまう。狂わないために走り続ける彼の思いと狂ったように走ってるという彼女の思い。
彼女は精神を病んでる彼に通常の夫の振る舞いを求める。洗濯物が乾いていたならしまっといてとか、スープ温めて飲んでとか。でも精神を病んでる人は普通のことができないのだ。自分のこともコントロールできないのに、人のことを考える余裕さえもないのだ。
そうやって、夫婦の距離が広がっていく。
その究極が妊娠が判明したという妻の横で喫煙しようとする夫。和雄も純子も慣れない土地でお互いに生きることにもがき続ける。
そこに走ってる和雄と自然と交わるように若者たち3人と出会う。まるで和雄の若かりし頃を彷彿させるような出で立ちの彰。
彼も慣れない転校先での生活にいじめに合いながらも、必死に生きていた。彰が海に飛び込んだのは死にたかったからじゃないと私は思っている。
俺は口先だけの人間じゃない、自分でやると言ったことはやるからみたいな強い意思、あといじめてたやつへの意地もあっただろうと思っている。
走り続けていても、子供が生まれたらちゃんと自分は父親になれるのかという不安。実父からの圧力。自分の病気は良くなっているのかという不安。近くでいつも支えてくれた研二がいなくなってしまう不安。
様々な不安と圧力に一人になると押しつぶされてODをしてしまうのだ。
本当に和雄はこの草の響き、原作者の佐藤奏志そのものだ。ラストのシーンで病院から抜け出し、走り始めた彼の笑みが頭から離れない。
純子は彼の元から離れてしまうのか、ただ里帰り出産をしただけじゃないのか。最後にキタキツネを見れた彼女の涙は何を意味していたのだろうか。
生まれてくる赤ちゃんが2人のかすがいになってくれたならと願うばかりだ。
さくらんさん
コメントへの返信有難うございます。
本人、支える家族、若者達の姿がリアルで、作品を観て、優しい気持ちが尊重される世の中であって欲しいと改めて思いました。