MINAMATA ミナマタのレビュー・感想・評価
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知らないことが多く、印象に残った。こういう歴史的事件の掘り起こしは重要と感じさせた。
アンドリュー・レビタス 監督による2020年製作(115分/G)のアメリカ映画。
原題:Minamata、配給:ロングライド、アルバトロス・フィルム、劇場公開日:2021年9月23日。
水俣病を世界に知らしめた写真家ユージン・スミスとアイリーン・美緒子・スミスのドキュメンタリー的な映画。
真正面から、水俣病を引き起こしたチッソ(株)及びその社長を責任者として取り挙げていて、かなり驚かされた。ジョニー・デップの様なスターが、この様な映画の制作に関与することに敬意も覚えた。
ユージン・スミス(ジョニー・デップ)が、チッソ社長から多額のお金で取材中止を要請される描写が生々しい。日本人ジャーナリストの何人かがこの種のお金を受け取ったことを想像してしまった。社長が話したppm論議、ほんの僅かな異物混入で起きてることで、生産物による有益性はとても多くの人間が得ているが、それに比べて疾病という不利益が生じているのは僅か、に権力者の言う「公共の利益」の怖さを覚えた。
ユージンの仕事場の家に放火されたことに怒りを覚えたが、これは事実ではない様。但し、自主交渉闘争派の家に火をつけられたことはあった模様。一方、彼が入院を要する怪我を負わされたのは事実で、会社の御用組合員による犯行だった様。世界の眼も意識せず、視野狭窄的に経営者の意向に沿ってかこういうことをしてしまう日本の会社員、悲しい。でも、こういう体質は会社組合にはあったなあが、実感。
沖縄戦従軍記者として銃弾を浴び、ウイスキー(サントリー レッド)を片時も離せないユージン・スミスをジョニー・デップは好演。安くて学生時代にはよく飲んだ(社会人になってからは不味さが分かり、口にできなかった)「レッド」というのに、共感を覚えた。今まで見た中で、彼の最高の演技である気がした。真田広之も良かった。川本 輝夫(1931年〜 1999年、水俣病の患者の運動体『チッソ水俣病患者連盟』委員長)がモデルらしい。英会話が達者なのには少し違和感を感じたが。
アイリーン・美緒子・スミスを演じた美波も、とても魅力的であった。知らない女優さんと思っていたが、2000年『バトル・ロワイアル』で川田章吾(山本太郎)の恋人役とのことで、あの娘と思い出した。
水俣だけでなく、同様の環境破壊問題が世界中で起きていることの紹介もあって、視野の大きさに感心。そして最後、水俣病の認定に関して、日本政府の酷い対応も糾弾されていた。既に終わってしまった問題では無く、今もなお進行中の問題で有るとの紹介が、胸を打った。福島原発事故対応等も含めて、何故、日本政府は庶民の信頼を無くすようなことを一生懸命に行うのだろうか?
監督アンドリュー・レビタス、製作サム・サルカル 、ビル・ジョンソン 、ガブリエル・タナ ケバン・バン・トンプソン 、デビッド・ケスラー 、ザック・エイバリー 、アンドリュー・レビタス 、ジョニー・デップ、製作総指揮ジェイソン・フォーマン 、ピーター・タッチ 、スティーブン・スペンス、 ピーター・ワトソン 、マリー=ガブリエル・スチュワート 、フィル・ハント 、コンプトン・ロス 、ノーマン・メリー 、ピーター・ハンプデン 、ノブ・ハセガワ ジョー・ハセガワ。脚本デビッド・ケスラー 、スティーブン・ドイターズ 、アンドリュー・レビタス 、ジェイソン・フォーマン。撮影ブノワ・ドゥローム、美術トム・フォーデン、衣装モミルカ・バイロビッチ、編集ネイサン・ヌーゲント、音楽坂本龍一、音楽監修
バド・カー。
出演
W・ユージン・スミスユージン・スミスジョニー・デップ、ヤマザキ・ミツオ真田広之、ノジマ・ジュンイチ國村隼、アイリーン美波、キヨシ加瀬亮、マツムラ・タツオ浅野忠信、マツムラ・マサコ岩瀬晶子、ミリーキャサリン・ジェンキンス、ロバート・“ボブ”・ヘイズビル・ナイ、シゲル青木柚。
この世界に希望を持てる映画
ジョニー・デップ、真田広之、國村準、加瀬亮、浅野忠信といった、好きな俳優が大量に出演している作品だった。ヒロインの美波も昭和の美しい女性といった感じでよい。
時代設定は昭和だけど、観客は現代の人だから本当に昭和そのままを再現してはだめで、現代的に洗練された昭和をいかにうまく作るか、というのが映画を作る際の大切な要素なんだろうな。登場人物も昭和の田舎の人っぽいんだけど、本当に田舎の人じゃなくて、みんな洗練されていて都会的なのだ。リアルじゃないといえばリアルじゃないんだけど、本当に昭和の田舎を再現してしまったら、作品としては評価されるのだろうけれど、売り上げが減ると思う。
ストーリーは、ライフの写真家であるユージン・スミスが、アイリーンという日本人女性に頼まれて、熊本の水俣病の写真を撮るために来日する。そして、患者やその家族、チッソ工場と戦う人々などとの交流しながら世界に水俣病を伝えるために戦う、というもの。
物語の構造としては、いわゆる英雄神話の構図を使っているのだと思う。
英雄(ユージン・スミス)が本当はやりたくないミッション(水俣病の写真を撮る)を達成するために、冒険の旅に出る。そこで賢者の助けなどを得て勝利する。といったもの。その中で、ユージン・スミス個人としては、アルコールに溺れて人生をあきらめていたところから、再び写真の力を信じるようになる、というテーマもある。さらには冒頭で日本でスミスを泊めてくれた水俣病患者の家族に娘の写真を撮らせてくれと頼んで断られるが、最後に撮らせてもらえて、それが「入浴する智子と母」であるという構造にもなっていて、シナリオがとてもうまい。
いろいろなところで言われているが、ジョニー・デップの演技は観たことのないレベルに達していて、ユージン・スミスを演じている俳優が彼であることは理解しているが、どんなに目を凝らしてもジョニー・デップが見えてこなかった。
他の俳優陣もそれぞれよかったが、やっぱりチッソの社長を演じていた國村準がよかった。役割としては悪役なのだが、単純化された悪役ではなく、血の通った人間を演じていた。彼は企業の人間であり、利益を追求した結果として水俣病を引き起こしていた。庶民が苦しんでいても前向きな対応はしない。ユージン・スミスが写真を撮りに来ていると知ると、カネで買収して追い返そうとする。
彼は、家族のことを涙ながらに訴える被害者と対面して、動揺する。そして、社内の人間と話をするが、補償するだけの金が払えないという結論が出ると、無理を押し切ってでも補償するということはしない。
表沙汰にならなければ、物事は隠されたままだ。
そして、いよいよ世界が水俣病を知ったときに、ようやく対応する。それは罪の意識というよりは、もう隠しきれないから仕方がない、というあきらめで、そういうところも國村準のうまさなんだろうな。
コロナワクチンや福島のALPS処理水。
本作で描かれたのと同じことが繰り返されていくのだろう。実際、國村準が演じる社長はALPS処理水でなされたのと同様の説明をしていた。
本作では「ライフ」誌に写真が掲載されたことで世界が真実を知った。
今はネット、SNSで大量の情報が拡散されている。その中には疑わしいものも多い。そう考えると、メディアの力というものが、本作の最後のようになる影響力を持っているのだろうか、とも思う。
それでも足尾銅山鉱毒事件の田中正造のような人物は出てくるだろうし、そういう人がいなければ世界は良くはならないだろうとも思う。
写真が伝える力…
どんな飾られた言葉より、真実の写真が人々に訴えかける力は凄まじい。風化されつつある水俣公害病をジョニー・デップが製作主演したことは大きい。脚色はあるだろうが、日本で公害病が起きたこと、今も苦しんでいる人々がいることに気付きを与える作品だった
後世に継ぐべきもの
水俣病のことは知っていたつもりだが新たな視点で描かれたことで公害問題の根の深さと世界への広がりについて学べました。
日本人としては大きな汚点、蒸し返されることを快く思われない人たちがいることも理解できます。エンドクレジットにも出てきましたが2013年に当時の安倍首相が水俣病特措法による救済申請を国が一方的に打ち切り、「日本は水銀による被害を克服した」との発言が物議を起こしました。オリンピック招致時の福島原発事故の「汚染水をコントロールしている」と同じですね。チッソは政界工作にも余念がなかったようで政治献金筋を使って早期決着に圧力をかけていたようです。
水銀中毒では天平宝字元(757)年、奈良の大仏の金メッキに水銀を用いたことで多くの職人が死亡、闇に葬られた黒歴史があり因縁深い思いがします。
鑑みれば人命軽視のご都合主義は今もなおはびこっているのかもしれない怖さを禁じえません・・。
著名な写真家スミスさんがライフ誌に写真を送ったことで世界の関心を集め事態が好転したことは事実、日本人が外圧に弱いことを知ってのアイリーン・美緒子さんの企てとしたらすごいことです。「入浴する智子と母」の写真は著名ですが管理を託されたアイリーンさんは智子さんの死やご家族の要望もあり、その後長く封印されていましたが本作を機に解かれたそうです。
観ていて愉しめる映画ではありませんが後世に継ぐべきものとして偉業とも呼べる力作でした。エンドタイトルに流れる故坂本龍一さんのピアノも耳に残りました・・。
文字通りの「蛇足」で快心の台無し
とてもいい映画でした。過剰な演出もなく、淡々と事実を追っていく、整理していく「ような」演出。ジョニー・デップの演技も真に迫るもので、熊本の美しい風景と生活者との素晴らしい描写に映画そのものに出しゃばらず、情景や心情に深みを与えることはあっても決して出しゃばることのないBGM(ここはさすがに坂本龍一の真骨頂だと唸らざるを得ない)と素晴らしい作品でした。
高評価をうなずける映画だ、、、、あれ?何このラストメッセージ。そんなことあったんだ?え?と頭の中が「?」だらけになりエンドロール、、、そこでも糞味噌一緒の雑なカテゴリ分け。ラスト1分~エンドロールでこの映画の素晴らしさが綺麗サッパリ消え去りました。
確かに、テーマがテーマです。政治的の部分を避けるわけにはいかないでしょうし、多少のバイアスはかかりますでしょう。が、特定の考えや価値観を押し付ける事実経過を無視したラストメッセージで白けました。そして、調べました。案の定、特定コミュニスト系による記事しか引っかかってこないという、「ああ、お得意の切り取り、曲解かよ」ということが分かりました。
それから、必要以上に水俣市(というか市民)を悪者にしているのだなあとも気づきました。試写会で水俣市が主催、後援を断ったとのことでしたが、断って正解でしたね。時空を飛びすぎですよ。大阪や千葉の出来事が水俣で完結しちゃってんですから。 事実に基づいたファンタジー。それがこの映画でした。
控えめなドキュメンタリー風の映画
水俣病が題材との事で本作には期待したがあんまりだった。ラストを映像ではなく文章で説明してたが映画なら映像で表現して欲しい。本作はドキュメンタリー風だがリアルさはあまり感じない。こういうのが得意な監督に作って欲しかった。よく分からないがマーティン・スコセッシとか?もっと国や企業への糾弾とか闘争とか被害者の苦悩を徹底的に描いた問題作になるくらいの勢いで作って欲しかった。それくらいの事件だと思うのに。国家ぐるみの物凄い世紀の大事件の割には本作は控えめだから印象が薄い。ユージンの写真を主軸に置いた作りになってるせいか。
あとエンドロールでの世界の公害病の羅列はちょっと嫌だ。日本の大事件描いた映画なんだから最後まで日本から気をそらさせないで欲しい。映画の内容反芻してる時に世界のこと出されると話広げられた感じで水俣病への思いが薄まる。本編で世界の公害病にも触れてるならともかくエンドロールで次々と羅列するだけって逆に軽薄に感じる。この映画外国人観客向けでユージンの写真もLIFE誌も全世界対象だから世界の公害を入れたのかな。なら別にいいが。タイトルMINAMATAなのに水俣病というよりユージン物語になってる感はあるが。
この映画はあんまり良くはないが映像は好きだ。ユージン・スミスが魅力的な人物に描かれてた。ジョニー・デップはさすが上手いし爺さん役なのに格好良い。
國村隼が出てきてテンション下がる。演技は良いんだが日本映画続けて観たとき全部國村だったから飽きた。美形なら別にいいが。同じ役者を馬鹿の一つ覚え的に使う日本映画。洋画ではモーガン・フリーマンだ。この人が出てるだけで私はチャンネル変えるかな。押し付けがましい演技をする。
結果的には國村で満足だが。國村の英語の発音の良さにびっくりなので。こんな英語上手いとは知らなかったので思わず調べたら英語凄い勉強したらしい。國村に少し好感持てた。
あと浅野忠信が冒頭だけとはもったいない。浅野は台詞読んでる感満載で演技成長しないのが残念だが魅力と迫力あるのでもっと全面に出る役が良かった。本作の印象の薄さが多少マシになるんじゃないか。せめてチッソ社員の誰かを浅野にして欲しかった。真田広之が何故か今回あまり迫力感じない。加瀬亮は手首切る前の憤慨する演技素晴らしい。音楽が坂本龍一らしいので期待したが結局音楽の印象残ってない。
2023/01 CS
庵野秀明みたいなジョニーデップ。
写真家ユージーンは、LIFE誌の仕事で米軍に従軍し、沖縄戦を取材していた時に、日本軍の迫撃弾が炸裂。左腕をひどく損傷し、顔面の口蓋を砕いた。その時26歳。歯の噛み合わせが悪くなり、ほとんど食べられなくなったそうだ。
妻アイリーンが言うには、「毎日10本の牛乳と、オレンジジュースに生卵を入れて混ぜた飲み物が栄養の補給源だった。それとサントリーレッドの中瓶を1日1本、ストレートでチビリチビリ飲んでいた」。
映画でも描かれているが、水俣病患者や支援者とチッソ労働組合との激しい衝突で、ユージーンは左目を負傷。失明の危機にさらされ、コンクリートに頭を強く叩きつけられた後遺症で激しい頭痛に苦しんだ。被写体をレンズを通してとらえながらシャッターを切る時、心の深いところに刻み込まれて、心が無傷ではいられないだけでなく、その身もボロボロになりながら数々の写真を世に送り出したカメラマンだった。
ユージーンの水俣以外の作品をネットで見たが、絵画のようだった。非常に作り込まれた感じの作品が多かった。「入浴する智子と母」がピエタを思わせるのも、最初からそういうイメージがちゃんとあって撮られたものであることが分かる。その撮影スタイルに賛否両論あったかもしれないが、見る者に訴えかける強烈な一枚であることは、言うまでもない。
映画を観賞後、色々記事を読んでいたら、この入浴の作品が現在では簡単には見られないこと(実質、封印されている状態)、その経緯や、アイリーンさんの思い、上村夫妻の思いを知り、非常に考えさせられた。智子さんの父、上村好男さんは2022年10月5日に亡くなっている。
アイリーンとユージーンが出会った時、彼女はスタンフォード大学の学生で20歳、ユージーン51歳。「ニューヨークでアシスタントになり、一緒に暮らして欲しい」と熱烈に口説かれ、アイリーンはそのまま大学には戻らなかったそうだ。
10年程前、水俣に出張に行った関東出身の友人から聞いた話だが、居酒屋でチッソの社員が飲んでいると、「あんたらはいいね、人をあんな目に合わせて酒を飲んでいるなんて」と言われるそうで、それを聞いた時は根深いものを感じ、まだ終わっていないのだと思ったことを覚えている。2006年には損害賠償訴訟でチッソが時効を主張、非難を浴びている。
石牟礼道子の「苦界浄土」を、読もう読もうと思いつつ、なかなか気持ちを整えてからでないと手にするのが難しく、いまだに読めないでいる。映画を見て、必ず読む、と思った。
あと、どうでもいいことなんだけど。
ほんとにこの流れで…だけど。
ジョニーデップが庵野秀明にしか見えないよ…
映画自体は、関心をもつきっかけとして良いと思う。
「ラム ダイアリー」でジャーナリストを演じたジョニーデップ。そこで...
「ラム ダイアリー」でジャーナリストを演じたジョニーデップ。そこで、アンバー・ハードと出会っちゃって・・その後地獄の日々を迎えるのですが・・。「MINAMATA」でフォトジャーナリスト、ユージン・スミスのを演じることで、一つの区切りにしたのでしょうか。 水俣でユージン・スミスはこんなにも重要な仕事をしていたのですね・・。「入浴する智子と母」は涙なしでは・・・。なかなか難しい題材を映画にしたことはもっと評価されていいのでは・・。 細かいことを言ってしまうと、ロケをどこで行ったのか・・ちょっと、日本の空気感が今一つ違う・・鉄道や、アイリーンの衣装やメイクも・・。 調べたら・・セルビアとモンテネグロでの撮影だったのね・・。
よければ知って欲しいと思います。
水俣病が正式に確認されたのが1956年5月1日と言われています。定義としては、「メチル水銀化合物に汚染された魚介類を長期間たくさん食べることによって起きる中毒性の神経系疾患」とされています。
以下、最初期に入院した子どもの記録です。(「水俣病」原田正純著より)
江○下○子 5歳4カ月。1956年4月28日ごろから歩くのがふらついて不自然となり、言葉がしだいに不明瞭になり、物が握れなくなった。5月8日初診。失調性の歩行。5月9日、水を飲ませるとこぼすことが多くなり、むせるようになる。5月10日には立てなくなり、16日にはなにも握れなくなる。17日には飲み込むのがまったく不能となり、四肢が硬直してくる。21日には肺炎を起こし、痙攣が頻発する。全身痙攣が強く、変形があって、意識が消失する。23日死亡。
この映画を最初に水俣で上映しようとした時には反対も多かったそうです。水俣市は後援を断りました。水俣病は今も続いています。
ジョニー・デップが、水俣病を世界に発信した写真家を熱演
2020年(アメリカ)。監督:アンドリュー・レヴィタス。
主役の写真家ユージン・スミス(1918年ー1978年)をジョニー・デップが
渾身の自然体で演じました。
水俣病とは、新日本窒素肥料(現・チッソ)という会社が、肥料を作る工程で使用した水銀の成分の
残量を工場廃液として熊本県の水俣湾に垂れ流していた。
水俣湾で獲れた魚介類を食べた人や猫に、激しい中枢神経疾患を引き起こした。
それが水俣病である。
1971年。有名だが落ちぶれてた写真家ユージン・スミスは、
日系の若い女性アイリーンから、
水俣病の取材と撮影を頼めないかとの依頼を受ける。
スミスは「ライフ誌」の編集長ロバート(ビル・ナイ)に掛け合い、
写真を掲載することを約束させる。
実際にスミスとアイリーンは来日して3年間の月日を水俣で過ごして、
住民とコミニュケーションをとり、
地域に溶け込んでいきます。
激しい麻痺症状の患者を撮影することは家族の同意が得られず難航します。
しかしユージン・スミスには水俣病患者への深い同情と共感があり、
家族を晒し者にしたがらない人々の、頑なな心を解きほぐして行きます。
彼は被写体の同意を得ずに撮影することは決してありませんでした。
思いやりと敬意を持って、シャターを押す人でした。
しかしながら、ユージン・スミスは欠点の多い人です。
アルコール依存症だし、妻子は捨てるし、借金まみれだし、どうしょうもないけれど、
「写真家は被写体を写すことで、自分の魂の一部を失う」
その魂の欠落が彼を苦しめていたのかも知れません。
「1000の言葉より、一枚の写真」
ユージンの「入浴する智子と母」の写真。
この一枚は水俣病の現実と恐怖そして摘発・抗議・・・
全てを網羅してあまりある一枚です。
ジョニー・デップがこの役を演じたことと、監督・日本人俳優・スタッフ一同に、
敬意と感謝を捧げます。
【過去鑑賞】2022/01/31
キスと同じで聞くのは野暮だ。今だと思ったら撮る
映画「MINAMATA ミナマタ」(アンドリュー・レビタス監督)から。
冒頭の「史実に基づいた作品」の表記に、
覚悟をもって鑑賞しなければ、と妙に緊張したのを覚えている。
その緊張を解いたのは、導入部のワンシーン、
アメリカを代表する写真家と称えられたユージンに、
アイリーンと名乗る女性が、写真撮影を依頼する場面だ」
確か「フジカラーのCM」に一言添えるだけの依頼。
彼が訊く。「台詞は?」彼女が答える。
「フジのカラーフィルムはどこの製品より色鮮やか、
僕のお墨付きだ」と説明。その台詞に、彼が突っ込む。
「カラー写真は撮ったことがない。ただの1度も。
俺の仕事を知る者なら当然気付くはずだ」と。
このファーストコンタクトが、彼をその気にさせた気がする。
わざと、白黒(モノクロ)写真しか撮らない写真家に、
「カラー写真のCM出演」を依頼する、そのテクニック、
お見事・・と拍手を送った。
あとは、絵画的な美しい映像を観ながら、期待どおりの展開に、
胸が熱くなって観終わった。
「写真は撮る者の魂の一部も奪い取る。
つまり写真家は無傷ではいられない」と言う写真家の覚悟と、
「撮っていいか聞かないの?」
「キスと同じで聞くのは野暮だ。今だと思ったら撮る」
「こんなふうに?」「そういうことだ」と言う、
少しだけホッとするシーンが私にはウケた。
「撮っていいですか?」と訊いてからシャッターを押すのでは、
本当の写真が撮れない・・という意味だろう。
水俣病の若者に、カメラを渡してアドバイスする。
「見ろ、誰でもできる。訓練は必要ない。
狙いをつけたら焦点を合わせ、パシャリ」
どちらも、同じことを言っているんだよなぁ。
魂の一枚
プライベート問題や出演作の不振でキャリア最大の危機が続くジョニー・デップ。
だが、いい仕事をする時はする。
『ブラック・スキャンダル』での恐演はインパクトあったし、『ファンタスティック・ビースト』での“黒い魔法使い”グリンデルバルド役は悪のカリスマ魅力がたっぷりだった。(事情はどうあれ降板が残念)
本作は近年の中でも出色の作品と演技ではなかろうか。
実在のアメリカ人写真家、ユージン・スミス。
“フォトジャーナリスト”として、その道では伝説的な人物。スタイルも作品群も後世に多大な影響を与えたとか。
恥ずかしながら、知ったのは初めて。
戦争写真家として沖縄へも。日本と関係薄くは無く。
そんな彼の“代表作”となったのも、奇しくも日本。と同時に、“遺作”。
それが、“水俣病”。
日本人なら知らないでは済まされない“水俣病”。
私もそれこそ小学校の時に授業で習い、全くの無知ではない。
今回見た事もあって、改めて調べてみた。
日本の公害病で最も有名。新潟の第二水俣病、三重の四日市ぜんそく、富山のイタイイタイ病…日本の“四大公害病”の一つ。
1950年代後半から1970年代にかけて、熊本県水俣市で発生。水俣湾周辺の化学工場から排出された有機水銀を含んだ汚染物を摂り続けた事による中毒性中枢神経系疾患。
地元住民の多くに、口元のしびれや手足の震え、言語障害、歩行障害、多器官障害、錯乱状態、意識不明、死…奇病、苦病、最悪の事態を招いた。
1952年に初の患者。1956年に水俣病と公表。地元住民と被害者、遺族らと企業側の闘い続き(時にはデモで多数の負傷者も)、1968年に原因は水俣病であると認定。1971年に遂にやっと勝訴。足掛け約20年という長い歳月…。
しかし、被害者や遺族の苦しみは一生消える事は無い。
日本国内の公害病問題なのに、何故そこにアメリカ人写真家が…?
今や水俣病は世界的にも知られる大公害病。
水俣病の実態を世界に知らせたのが、ユージン・スミス。
地元住民たちと彼の闘いの実話。
かつては名カメラマンとして名を馳せるも、過去の栄光に溺れ、アルコールとニコチン漬けの堕落した日々を送るユージン。世捨て人状態。
実話ながら、よくあるキャラ設定。ジョニデのやさぐれ感は見事だが、見始めは平凡な印象を受けた。
ユージンの落ちぶれの原因は実は日本にあり。沖縄戦で受けた負傷が祟り…。
そんな彼が再び日本と関わる事になるとは数奇だ。
多くの写真を提供した“ライフ”からも問題児扱い。
にしても、開幕のユージンとライフ編集長の言い合いには参った。
だって、ジョニデとビル・ナイ。某作品が頭に浮かび、ちと話が入って来なかった。(別に作品が悪いんじゃなく、気が散った私が悪いだけ)
そんな彼の元を訪ねて来たのは、日本人とアメリカ人のハーフの日本語通訳の女性アイリーンと日本人カメラマンのキヨシ。
ユージンを尊敬するキヨシたっての頼み。熊本県水俣市で起きている公害病の実態をカメラに収めて欲しい。それを世に拡げて欲しい。
依頼に応じ、日本は熊本県水俣市へ赴くが…。
惨状を目の当たりにし、真実を知らせる為、再びカメラへの情熱を取り戻す…という主人公の再起物語でもあながち間違ってはないが、最初は彼に迷いが見られた。
失いかけていたカメラへの情熱。
真実を伝えるには地元住民の協力が必要だが、皆怪訝。
無理もない。公害病の苦しみに加え、外国人が自分たちを撮っている。まるで、見世物晒し者のように。
ユージンも少なからずそれを感じ取っていたのでは…?
最初は相容れない異国と異国の者。
水俣病の原因、日本窒素肥料化学工場=現チッソ社。
同社社長はユージンの生活苦や金銭難を調べ、買収を持ち掛ける。
一度は受け取ってしまうユージンであったが…
葛藤。良心の呵責。
フォトジャーナリストとしてこのまま屈してもいいのか…?
金を突き返し、地元住民たちと闘う事を決意する。
後に妻となるアイリーンの証言によれば、この買収シーンは史実と違う脚色だとか。買収に屈するような人間ではなかったとか。
史実脚色で賛否分かれ、“作った感”も否めないが、作中に於けるキャラ設定のターニング・ポイントにはなった。
ユージンが闘うきっかけになったのは、言うまでもなく地元住民たちとの交流。
最初は相容れなかったが、徐々に徐々に。
私をあなたたち家族の中に迎え入れて欲しい。
ユージンがカメラに収めたのは、被害者の苦しみではなく、彼らのありのままの姿。
営み、家族愛…。
普遍的だが、彼らにとってはそれらを維持するのも一苦労。水俣病のせいで…。
その姿を通じて、訴える。
印象に残った台詞。
写真は撮る側の魂の一部も奪い去る。
これは映画にも通じる。映画監督も魂を削って作品を創る。(部活みたいに気心知れた仲間内だけでワイワイガヤガヤやってクオリティーなんかどーでもいい、などと愚言した日本の某監督に突き付けてやりたい)
そりゃ当然だ。そこまで思いを込めなければ、“名作”は撮れない。見る側に魂は伝わらない。伝えたい事を。
プロデューサーも兼任したジョニデの“魂演”も素晴らしいが、日本人俳優らが名演魅せる。
チッソと闘う地元住民のリーダー役の真田広之はさすがの熱演。
水俣病の軽症状を持つカメラマンの加瀬亮も巧演。
ユージンに自宅の宿泊を提供した夫妻の浅野忠信と岩瀬晶子。温もり溢れつつ、水俣病の重症状の娘を持つ良心の悲しみと慈愛を体現。
出色だったのは…
アイリーン役の美波。凛とした美しさと、時にユージンを嗜め奮わせる強さ、育む愛…。
水俣病の重症患者で、カメラに興味を持ち、ユージンと心を通わす少年役の青木柚。ユージンとハグするシーンはまるでユージンの心を癒すかのようで印象的だ。
実質の主役は彼らだ。水俣病に苦しめられながらも、チッソと闘い続ける。
ユージンもカメラを通じて彼なりの闘いを示すが、あくまで“記録者”。
闘い続け、遂に勝利をその手に掴んだのは、諦めなかった名も無き地元住民(ヒーロー)たち。
それにメリハリを付けたチッソ社長役の國村隼の憎々しさも重要な存在感。人間のエゴ、企業の隠蔽、勝手な言い分…いつの世も原因や責任や過ちを作る側の考えは変わらない。
某国の大統領のような横暴。
アンドリュー・レヴィタス監督の真摯で誠実な演出に称賛を贈りたい。よくぞ撮ってくれた!
こういう作品を見た時、いつも思う。本来なら、日本が作るべきだ。国内で作るには難しい事情もあるのだろうが、及び腰になってはダメだ。今それに屈しないのはドキュメンタリーの原一男ぐらいか。
残念だったのは、日本が舞台でありながら撮影のほとんどがセルビアやモンテネグロで行われた事。今の水俣市に当時の面影がほとんど残ってないらしい。
なので所々日本の空気を感じない点もあるが、陰影印象的な映像美はそれこそカメラに収めたくなるほど目を見張る。
坂本龍一による音楽も情緒を醸し出す。
写真を撮り続けていた時、デモで暴行を受け、重傷を追う。
沖縄戦での負傷に加え、またしても。
しかしそれでも、日本や日本人を恨む事は無かったという。
真実を伝えるフォトジャーナリストとしての覚悟さえ感じた。
それどころか、地元住民たちと触れ合い、半分日本人の血を引く女性と結婚し、長きに渡って日本に留まり真実をカメラに焼き付けた。
本作を見て、ユージン・スミスを知れた事は尊い。
混沌とした世に、こういう人がいてこそ。敬服する。
決して真実は過去や忘却に埋もれないと信じている。語り継がれていく。
その象徴、彼の代表作であり、写真集“MINAMATA”の傑作“入浴する智子と母”。
たった一枚の写真から、様々な思い、感情、魂が伝わる。
悲しみ、苦しみ。
無償の愛。
至高の美しさ。
一人の勇気、一人の決意、一人の行動、一枚の写真。
水俣病は今も完治していない。
日本そして世界へ伝え続ける。
EDクレジットで紹介される世界中の公害病の多さに衝撃…。
でも一番衝撃的だったのは、同じくEDクレジットの2013年の当時の首相の“水俣病は終わった”発言。
一度被った悲劇や被害は一生終わる事は無い。
声なき叫び
華やかなオーラを消し、晩年の報道写真家ユージン・スミスをジョニー・デップが見事に演じる。時折キラリと光る鋭い眼差しはジョニー・デップでしたが。
映像や教科書に載っていた程度の知識しかなく、多くの日本人が知っておくべき事実だと痛感した。
ユージン・スミスがジョニー・デップの身体を借り、声なき人々の声を再び世界に向け発信しているように感じた。
ー写真は撮る者の魂を奪う
映画館での鑑賞
水俣の真実 メディアの役割
1971年のLIFE誌による伝説のフォトグラファーの派遣。
かつてユージン・スミスは、沖縄戦従軍カメラマンとして名を馳せた名カメラマンだった。
それから25年、酒浸りになり、年もとって借金まみれであったけれど、ある女性記者に誘われて熊本へ。
水俣で出会ったのは、公害を隠蔽し、住民訴訟で十分な補償をしない社長と会社の体制だった。住民たちは、垂れ流しの毒性の残った水によって何人もの被害者が出ていた。
ユージン・スミスをジョニー・デップ。
日本人キャストに加瀬亮、浅野忠信、國村隼、真田広之、美波。
すでに廃刊になっているLIFE誌の編集長にビル・ナイ。
ストーリーは、場所や日時など事実と異なる部分もあるとのことだが、よりわかりやすくなっているのかもしれない。
重い。
重い。
重い。
しかし、映像は、美しかった。
ジョニー・デップが素晴らしい。
坂本龍一の音楽もすばらしい。最初、ロックから始まったので、坂本龍一ということをしばらく忘れていた。
銀塩写真
ユージン・スミスの展覧会を見たことある。その時は、全仕事を網羅してたので、水俣だけでなく、若い頃の作品や、日立製作所の写真もあった。水俣の写真はどれくらいあったか、カントリードクターやスペインの村など、名作ぞろいだったと記憶している。
ジョニー・デップは、外見をだいぶ本人に寄せていた。もしかしたら話し方も真似てるかもしれない。ユージンは戦場でけがをして、かなり後遺症に悩まされていたらしいし、チッソの暴行で片目は失明するわ、固形物は食べられなくなるわ、体はぼろぼろだったそうだ。あの滑舌の悪い感じは、そういうのも出していたのかも。
アイリーン役の美波。大人になったねぇ。彼女を最初に認識したのは、10年ほど前のNHKドラマ「下流の宴」だった。大好きな人と別れるシーンは、彼女の演技にもらい泣きしたよ。なんか、ふわっとしてるようで、実はしっかりした包容力のある女性役が、すごく合ってると思う。ユージンとは親子ほど年が離れているが、傷ついて疲れきった彼を母のように包みこんでいた。存在感があって、とても良かった。
チッソ社長の国村準はさすが。「我が社では写真の薬材も作っているから、あなたも使ってるでしょう」と刺してくるあたり、やらしいわ。確かに写真の廃液は、簡単に捨てられませんわな。でも、悪役ではあるが、人間味は感じさせる。賠償を認めた時の涙は、どういう思いだったのだろうか。
暗室作業は写真家にとって重要なので、映画に入っているのはうれしいが、ヒヤッとするところがいくつか。ネガを触る手がぞんざいかな。表面に指紋や汚れを付けないように、端っこを挟むように持たないと。あと、乾燥した、未カットの長いままのフィルムを、くわえタバコで扱うのはやめてくれ。プリントの時に、現像液のバットに直接手を入れるのも、びっくり。トング的なものを使って欲しい。現像、停止まではギリいいとしても、定着液はいかんよ。手が荒れ放題だよ。ユージン・スミスが実際にやっていたのか知らないけど、写真は化学でもあるので、仕上がりに影響ある作業は、検証してもらいたいな。
20世紀末には、印画紙は各種メーカーが販売していたが、コダックが中止した時には、ひとつの時代が終わったと思った。今はどうなっているのか、ネットで検索してみたら、富士フイルムも作らなくなっていた。イルフォードが健在だったが、値段が2〜3割高くなっていた。でも、モノクロフィルム、現像液、印画紙などの暗室用品は、まだ入手可能で、銀塩写真は細々とでも続いていると知り、嬉しく感じた。デジタルしか知らない人も多いかもしれないので、写真の歴史を伝える意味でも、この映画を製作した意義があった。
エンドロールの写真の、世界各地で繰り返される出来事に、胸が痛んだ。
愚行と強欲の証明
胸が苦しい。
海外でも「ミナマタ」って病名なんだな。
「水俣病」という公害の話だけれど、何も水俣に限った話ではなかった。日本の各地、世界の各地で今尚続く、科学の発展によってもたらされた公害に苦しむ人々の話で、更にはソレを世界に拡散するジャーナリズムの話だった。
チッソの社長は言う「微量です。微量過ぎて感知できない程のものです。」地球の全人口と比べればそうなのだろう。とある島国の更に小さな村落の話だ。
でも…アレはないだろう。
無視していいと思えないし、必要な代償だとも思えない。劇中、裁判を戦うリーダーの言葉が胸を抉る。
「あんたら人間ですか?」
「同じ人間にこうも差があっていいんですか?」
水俣病に罹患して出生した子供達…彼や彼女達を無視できるなら、人間ではないと思う。
例えば、ソレが無かったらスマホは使えませんよ、と言われればそれもいいだろ。電話も電車もパソコンも維持できないですよと言われても、呑むよ。
TVも見れませんし、映画も見れないですよ?あぁ、いいとも!今後、あぁいう子達が産まれて来ない世界になるなら、喜んで手放すよ!
ツケは必ず払わされる。
そのツケを払うのは僕らの子孫だ。
地球温暖化もその一つではあるかもしれない。
便利な世の中になるのは嬉しいが、誰も困らない形で発展していく術はないのだろうか?
無い、のだろうな…今は。
あんな事を繰り返していれば、破滅に向かうしかなかろうが…。
映画としては、正直しんどい。
恋愛もなければアクションもない。ドンパチもしないし、ラブシーンもない。
なのだが…あの最後の写真。
アレにフォーカスさせる為の作為であるなら見事な編集なのだ。ギリギリのラインに思う。
水俣の事例を引用しすぎれば、最後が霞むし、足りなければ響かない。刺さらない。
あの写真を見たLIFEの編集長の表情が全てに思う。
アレがジャーナリストの仕事なのだろう。
あの写真を見て、あの編集長と同じ感情を抱いた人を何億人と生む事が写真の持つ力なのだろう。
人の様々な側面が凝縮された1枚だった。
切り取られた「今」
まやかしではない「現在」を突きつけられる。
今尚、継続中である水俣病の事を知れて良かった。政府が解決したと言うのなら、その根拠を聞いてみたい。
なくてはならない作品だと思う。
真田さんの台詞の一つ一つが重い。
この作品における水俣病の大部分を一手に引き受けていたようだった。
音楽が坂本龍一さんだったのだなぁ…あのエンドロールのピアノもそうなのだろうか?
猫よ…
水俣病と聞くと猫好きの私は猫が痙攣を起こしている有名なモノクロ映像を思い出してしまい辛い…。この作品にもその映像のようなものが映っていたが、全体的に猫の登場の仕方が効果的だと思った。
冒頭、主人公ユージンの部屋でのんきに寛ぐ飼い猫。
漁港ののんきな猫。
暗室にしている小屋が火事になり、ユージン達が駆けつける時に一緒に飛び出す猫。
屋外での集会をゆっくりと横切る猫。
水俣病は当初は「猫踊り病」と言われていたというナレーション。猫。猫。猫。
そうなんだ。声なき者の声を聞かなければいけない…シーンの端々に登場する猫にそう気付かされる映画でした。
今のマスコミには絶対無理
【公害(こうがい)】
経済合理性の追求を目的とした社会・経済活動によって
環境が破壊されることにより生じる社会的災害
高度成長期の日本において見過ごされてきた
地域住民に多大な後遺症をもたらした公害
水俣病(熊本)・第二水俣病(新潟)
イタイイタイ病(富山)・四日市ぜんそく(三重)
などは社会の授業でも習うほど今では広く
国民の知ることとなりました
それ以前からも田中正造が明治天皇に
直訴状を書いたことでも知られる
足尾鉱毒事件も知られています
この映画はとりわけ水俣病を扱い
NYのフォトジャーナル「LIFE」誌にてその
惨状を訴えたユージン・スミス氏のエピソード
を中心に取り扱われています
ポイントはそのユージンを演じた
ジョニー・デップ
彼自身の輝けるキャリアとはうらはらに
ヒット作に恵まれずやや落ち目との評価も
聞かれる昨今にあって
かつての名声も消えかかり酒におぼれて
いた当時のユージンに自分を重ねている
部分もあったと思います
そんなユージンはNYの仕事で知り合った
アイリーンに水俣の公害被害のひどさを
伝えられLIFE誌のデスクを説得し
取材に臨むことになります
面白いのはユージンだけでなく
かつてフォトジャーナルの元祖だったLIFE誌も
誌面の半分以上を占める広告収入だけでは
賄いきれなくなり刊行も危機的にな状況で
それでも社会に強く訴える事を最後まで
続けなければならないという使命感に
立ち返ってこうしたテーマに挑んだ部分
ネット社会になってだいぶ用済みになっても
情報弱者向けにテキトーな飛ばし記事書いて
カネを稼ぐ今のマスコミとはえらい違いです
どこまでが本当かはわかりませんが
チッソの病院に忍び込んで実験の証拠を見つける
チッソ側の買収や現像小屋の放火などフィクション
っぽい描写もいくつかあります
どうもロケはセルビアで行われたそうで
工場や病院のシーンは明らかに日本の雰囲気では
なくまあ映画的な見栄え重視と言ったところ
ネガを救い出して暴行を受けたユージンに
渡しに来た男はなんだったのか
葛藤しながら放火してネガを取り出していた
チッソの関係者だったのか
特に説明はありませんでしたが
色々裏設定はやってある感じでした
こうした作品を国内で作れないのは残念な
ところもありますが公害は今でも
シェールガス採掘による水質汚染とか
あちこちの国でまだ起こっています
隠蔽されてるだけで中国もいっくらでも
あるでしょうが環境問題と言うのは
もはや政治的に利用されているに
すぎなくなりました
この映画もエピローグにはなんかそんな
政治的な感じも受けましたが・・
まあこういう作品もたまには
いいと思います
ジョニー・デップはやっぱさすがの俳優ですが
こういう初老の役でイメージを変えていくのかな
「やりやがった」
最後の写真が凄まじくて。
ビル・ナイが「あいつ、やりやがった」って、
確かになぜだか涙が溢れてしまって。
良い映画でした。
良い時間を過ごせました。
そして、
坂本龍一の音楽もとても良かったです!
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