MINAMATA ミナマタのレビュー・感想・評価
全221件中、161~180件目を表示
あまりに重い現実
色々不自然な点は確かに目につく。ヨーロッパでロケしたので水俣の漁師の家が石造りになってるとか、出てくる子役が明らかに日本人の顔ではない、とか。
しかしそういう欠点は水俣病という、おそらく世界の公害病の中でも最も悲惨な病、の前ではほとんど問題にはならない。ユージンスミスの最も有名な水俣の写真、胎児性水俣病の娘を風呂に入れる母親、が冒頭と最後に出てくる。圧倒的なシーン。
僕は胎児性水俣病の人達と同年代で、家も裕福ではない漁師の家に生まれた。生まれ場所が水俣だったら僕も病気になっていたかもしれない。
この映画が日本「水俣)で撮影出来なかった現実は水俣病が未だに終わっていないということをはっきりと表しているように思う。この映画を作ってくれたジョニーデップには感謝しかない。
世界中の人に観て欲しいと心の底から思う。
リタイヤ寸前のカメラマンをジョニー・デップ、被害者の代表を真田広之。普通の人を演じるの久しぶりに観れた。
1971年、通訳のアイリーンに教えられて、日本の水俣病に興味を持ち、半ば強引に日本に取材に出向くジジイ。そこで実際に触れ合う事になった被害者家族達。とにかく悲惨、可哀想すぎる被害者達。プロのカメラマンは感情に流されてはいけない。と、分かっていても目の前の人達に感情移入してしまうジジイ。
この映画、悪人はいません。問題の元凶のチッソの社長さんの考え方も理解できる。自分の会社が科学や法律的に悪い事をしていると証明されてないし、まさかウチが原因だなんて信じたくないもん。お金あげるから、もう抗議運動やめてよ〜ってね。社長以外にも、チッソに味方して放火した奴も、最後は主人公に謝罪。日本人の性善説を見せられているようだった。
エンドロールで見せられる世界の環境汚染被害。多分こんなもんじゃないんだろうな。福島の汚染水放出も心配。自然と科学物資、相性悪いもんね。
なんか、オープニングからジジイに共感しちゃって、最初から最後までウルウルしっぱなしでした。
あ、最後に1つ。熊本弁を聴き取るのが、ちょっと厄介だった。わし、岡山出身じゃけん熊本弁は、よう分からんけん、微妙なニュアンスを聴き逃しとると思う。日本語字幕つけて欲しかったわ。
企業の社会的責任
いろいろな意味でとても重い映画。
まず水俣病については教科書で習った程度の知識しかなかったので、ここまでの惨状があり、今でも多くの人が苦しんでいる状況、そして、そのことを知らしめるきっかけにユージーンというアメリカ人(写真家)の命がけの行動が大きな影響を与えたということに衝撃を受けた。
このように「映画」が、より分かりやすく、世界に届けてくれることになればいいし、この作品をとりあげたジョニーデップは素晴らしい。
そしてやはり企業の社会的責任は重い。SDGsも重要だが、決して表面的な掛け声ではなく、こういうリアルな問題を解決していかなければならないと思った。
水俣の外面と写真家の心理
水俣、というタイトルだけに、苦界浄土に描かれているような水俣病患者の切々とした生活を写真家の目を通して見せてくれるものと思い込んでいた。しかし、実際はもっと写真家の個人的な心情とか動機に引き寄せられた形で、予想を裏切られた感があった。
写真家が水俣の写真を撮るに至るまでの全体的な流れは淡々としていて、特に非とするところは見当たらないが、物足らなさもあった。
個々人の感情の機微や、動機付けがあまりに大雑把で、記録映画のような印象のまま終わってしまったのが残念である。
ジョニー・デップ、真田広之さん、浅野忠信さん等の実力派俳優出演に惹...
ジョニー・デップ、真田広之さん、浅野忠信さん等の実力派俳優出演に惹かれて見に行こうと思い、どうせ社会派ドキュメンタリーだと高をくくっていました。
先ずは挿入されているアメリカンテイストの音楽のカッコよさに引き込まれ、ジョニー・デップ演じるユージン・スミスの人柄、俳優人たちの迫力ある演技に引き込まれて行きました。
エンドロールの作りも素晴らしく、音楽に坂本龍一さんの名前が出てきたことにも驚きました。
後半は涙が自然と流れ落ち、公害問題の悲惨さを全面に押し出す環境映画ではなく、人の営みも丁寧に描き出し、見終わったあとは家族愛を見た感が強く残りました。
久しぶりに映画らしい映画を見ました。
ジョニー・デップと連帯する
本作の監督、脚本者共に私と同世代の40代の米国人。プロデューサーは、ジョニー・デップ。何故彼らは沢山あるテーマの中で、水俣に興味を持ち本作を撮ったのか?何故に今水俣なのか?私の最大の関心は、ここにありました。
アンドリュー・レビタス監督はインタビューで、水俣をテーマにした理由の一つに、『権力に真実を語る勇気』と語っています。水俣病患者団が団結し世界を変える為に闘っていること。その闘いに触れるうちに、スミス氏やライフ社のヘイズ氏も自らの仕事の責任を果たしていくこと。単なる弱者と権力の対決ではなく、社会を変えるには草の根レベルから企業のトップレベルまでの連帯が必要であること。
2013年安倍首相は水俣病は克服したと発言。2015年原発再稼働。現在は9基を稼働中。河野太郎氏、前鹿児島県知事の三田園氏、脱原発派から再稼働容認派へ。
こういった事象は、国民の力よりも資本家や利権団体の力が大きすぎることを端的に表しています。ひとりの政治家ひとりのヒーローに、社会を変えることはできません。報道や芸術分野はスポンサーの力が大きく、取り上げるテーマに限りがあります。
つまり、私達はあらゆる階層が断絶されている社会に生きています。環境汚染、疫病、貧困、皆で生き残る為には水俣の連帯をモデルにしよう、痛みを持つ全ての人達と連帯しよう、連帯する為に自分の仕事をしよう。そういった監督の声やプロデューサーの声が聞こえてくるようでした。
今や人類は、電気やスマホといったテクノロジーの恩恵を享受しないと生活が成り立ちません。だけど、テクノロジーの発展は沢山の人の痛みの上にあります。彼らの痛みについて、見て見ぬ振り聞こえぬ振りをしていれば、快適には過ごせるでしょう。でも私は劇中の患者になり得たかもしれないし、今後患者になり得る可能性もあります。
いつのまにか、私達は人の痛みを感じる感性を1000倍に薄める方法を身につけてしまったのではないかと思いました。人の痛みを感じる感性を薄める方法を身につける事によって、現代の様な間違いを正せない社会にしてきてしまったのではないか?と。
だけど、写真や映画をはじめとする芸術は、この薄められた痛みを感じる感性を1000倍に濃縮して、私の元に届けてくれます。人の痛みを感じる事ができるから、人は人の気持ちが想像できて、連帯ができるのだと思います。
【報道/報道写真家とは】
報道や報道写真家というものは、本来こういうものだろう。
戦地に赴く報道写真家もそうだ。
仮に自身の身の危険があっても、世界に何か伝えなくてはならないとのモチベーションはもとより、黙っていては何も知る術がない僕たちにとっても、こうした信念は重要なことだと思う。
ユージーンからアイリーンに、被写体に対してエンパシーを持ってしまうことは、カメラを向ける方の精神や命も削ってしまうとの助言もが印象的だ。
考えさせられる。
しかし、結局、エンパシーが撮る側の強い原動力になっていることも確かだ。
こういう作品で、日本の暗い部分がテーマになると、どうしても日本の民族主義的な考え方の人から抵抗が示されたりするが、報道写真家は、国家主義や民族主義を基本としているのではなく、洋の東西を問わず、一部の全体主義国家を除けば、伝えることに主眼を置いているのだ。
長崎の原爆跡を撮影したアメリカの報道写真家ジョー・オダネルが、原爆の非人道的な部分に触れ、当初は、自国のために、多くの写真を表に出さなかったが、核兵器の悲惨さを目の当たりにした経験から、核開発競争や原発の危険性を世に問わなくてはならないと認識を改め、「焼き場に立つ少年」をはじめとする写真を公開したことをご存じの人も多いと思う。
原爆投下で亡くなった幼い妹を火葬するために、おぶって焼き場で順番待ちをしている姿を収めたものだ。
報道とはこういうものだと強く思う。
ユージーンが、1枚の写真が1000の言葉に匹敵すると言いながらも、多くの住民から賛同を得るために、言葉を尽くし話しているところも印象的だ。
これが、人間の持つ本来の力ではないのかとも思う。
この作品は、2013年、水俣を日本は克服したと当時の首相が言ったことに対して、辛辣な評価をしている。
何をもって、克服したと言っているのだ。
ところで、公害というと、大気や環境汚染など思いつくが、近年の大雨による盛り土の崩落も同じ類の問題だと僕は思っている。
長年、自治体による条例では効力が薄いとの強い訴えに対し、検討するポーズは見せながらも、建設会社の利潤への影響を考え、常に法制化を見送ってきた政府並びに行政の責任は大きい。
水俣病に対する政府や行政の対応の遅さも、問題を大きくしたことは間違いないのだ。
取り返しのつかないところまで来ないと理解できないのは、水俣病も、イタイイタイ病も、四日市や川崎の喘息も、原発事故も一緒なのだ。
これは、決して忘れてはならない。
この映画は、水俣病を巡る人々の戦いを通して、未だ解決されない世界中の公害問題への警鐘も鳴らしている。
エンドロールのテロップ付きの数々の写真がそうだ。
この作品はアメリカ映画だが、アメリカの水の汚染問題もエンドロールには複数示されている。
当時大統領だったオバマ氏が、水道水の汚染問題は解決されたと言いながらも、その水道水を飲むように促され、コップに入った水をなめる程度しかしなかったことが広く報じられて、支持率が急落したことも、それほど昔のことではない。
報道とは、リベラルも保守も関係なく、こういうものだ。
それが普通だと言えない方がおかしいのだ。
今や、世界を脅かすものは、戦争や紛争だけではない。
公害も温暖化も感染症も、これらを助長する企業も、放置する政府や行政もそうだ。
この作品を通じて、報道、或いは、報道写真家の重要性とは何か改めて考えさせられた。
映画として普通に素晴らしい。
日本人として、見るべき映画かと思います。
ただ水俣病について知るためとかそういうことよりも、日本で起きた出来事をテーマにした素晴らしい映画なので、日本人にこそ推したい!ていう意味が強いです。
役者陣の演技がとにかくいいです。
真田広之、加瀬亮、浅野忠信と、ハリウッドで実績のある俳優が名を連ねていますが、どれも安定の素晴らしい演技で。
(個人的には浅野忠信の熊本の普通のおじさんぶりに驚嘆しました!)
ヒロインの美波も、あの時代の美人感がすごかった。
ジョニー・デップも、なんともいえない安定感というか安心感というか。
一つの到達点なのではないでしょうか?
実際のアイリーンさんも撮影に立ち会われたようで、たまにユージン・スミスがそこにいるように見えたように感じたことがあったみたいです。
ジョニー・デップは、写真家ユージン・スミスに長い間興味を持っていたそうです。
そのユージン・スミスが最後の仕事としてMINAMATAを写真に残した。
それを今、ジョニー・デップが映画にした。
何か、時を超えてつながった思いがスクリーンから伝わってくるような、不思議な感覚を感じました。
その映画が描く水俣病。
学校の歴史で勉強して、あーあれか、というイメージは誰でも持っていると思いますが、その向こう側には、当然のことながら関わったすべての人の人生があるわけで。
その苦しみ、怒り、悲しみに、少なくとも映画を通じてそれに少しでも思いを馳せることができるということ。
それに何かしら、不謹慎な言い方かもしれないけど、一種の幸せを感じました。
これを見たのと見なかったのとでは、自分の世界が変わってくる。
そういう作品を見ることができた喜びが、確かにありました。
被害者たちの怒りや悲しみの裏には、大切な人を大切に思う愛がある。
企業や国に対する戦いには、人間の尊厳を声高に叫ぶ意思が宿っている。
そういうことなんだなあ、と見ていて思いました。
そういうことを描くことができている映画だと思います。
だからこそ素晴らしい映画になっている。
胸を打たれます。
今なぜ水俣病?とかあまり考えずに、とにかく一人でも多くの日本人に見てほしいですね。
ちゃっちーよ(陳腐)
今の水俣を再現するのは其れなりに難しいかな、と
其れは重々に理解できる
でも、こんだけ、陳腐、とは、、、
美術班がお粗末過ぎるw
ジョンの映画なら其れなりの映画作らなきゃ
何もかもが台無しになる、ホンマに
子どもの世代、さらに子どもの世代
テーマが重いので観るかどうか迷っていましたが、好きな日本人俳優さんも沢山出ているので鑑賞です。
観てよかった。
作中に出てくる「子どもの世代、さらに子どもの世代」という言葉が印象的かな。私は子供の子供世代なので。昭和の日本で起きたことで、教科書の歴史の話のようですが、今につながっていると。
どちらが正義かは分かりきったことで、議論の余地さえないように思えますが、社長の涙もまた本物なのだと思いたいです。
また、エンドロールもよかった。
今につながっている。
もしスーパーマーケットに「水俣湾で採れた鮮魚」と書かれていて、何も気にせずに手に取ることができるのか、、、差別はまだ続いてると。綺麗事ではすまされない事実もあります。
何より、日本人の俳優で撮影されたことが嬉しく、実際に日本で撮影出来なかったことが悲しいです。
チョットクセはあるね。好み別れると思われる。ただストーリー自体は単純明快で観やすいとだけは言っておきます。
我々は昭和40年代終盤に小学校入学した年齢だから、すでに教科書の記述や、当時圧倒的に力のあった日教組の教師に水俣病は周知の事実として社会悪として叩き込まれたクチだから、当然成績の良い奴もからきし落第生に近いような奴も水俣病を知らない者はいない。
この映画の主人公ユージン・スミス氏の、母子の入浴の写真、何度も目にする機会あったが、チョット目を覆いたくなるが
インパクトありすぎで、確かに公害病の現状を訴えるには秀逸な作品で、世界的評価が高いのも頷ける。
ただ、観客は土曜昼なのに、公開3日目にしては明らかに過半数に大きく届かず、寂しい状況ではあった。
正直言うと、水俣病ではなく、かと言って主人公のフォトグラファーでもなく、明らかに「ジョニー・デップ」の最新作を見に来ていた客がほとんどのように思う。残念ですけども。話が重すぎるのは誰しもキツい。
だからこの映画、社長交渉の席上で、社長の眼前で被害者側のリーダー格、真田広之が机の上にアグラで乗り上がった、過激な交渉も、学生運動なんてほぼついえた時代に育った私的にはキツい。
何でキツいかというと、総括として、安田講堂を放水の惨状にした結果、一体その微妙な「殺人罪は絶対に暴行罪にはなるべく当たらないようにした」「死者、重症者の出ない」「慎ましい」学生運動は何の結果を生んだの??だから、そもそも紳士的な交渉で、チッソが応じないならなんとか弁護士有能なの複数人立てて法廷で争うしか無いでしょ。威圧的、吊し上げ的交渉は反発生むだけ。
とダラダラと書いてきましたが、有料パンフ見ると千葉の五井で主人公暴行受けたらしいんだけども、全て場所は水俣に限定してチョットわかりやすくしている。以前から著名な主人公被害者目線で掘立て小屋に生活し、写真を撮り、運動交渉の場にも赴く。曲者のチッソ経営者に高額で写真とネガの買収を提案。しかしなんとか踏みとどまる主人公。現像等の作業場にしていた家屋焼き討ちされる・・・と意外とうまく計算されて咀嚼し易い映画ではある。主人公の人物像もアル中で女好き、沖縄戦での従軍カメラマン時の負傷のトラウマを抱えている。特に激情的でも、同情的でもなく、少し冷めた描写が、リアルを感じさせる。まあジョニー・デップ起用する張り切りようだから、編集も冗長な場面はなく、無駄のない作りである。
ただ「昭和40年代後半の状況」に馴染みのない人にとっては、多分胃がもたれちゃうよ。
時間のある方はぜひご覧ください、空いてますから。
関係ないけど、アメリカ本土に在住してた初老の人が、衛生環境も食糧状況も大きく異なる日本の地方都市の掘立て小屋見たいの、よく3年間も適合できたと感心する、当時はファストフードもファミレスも、コンビニも、おそらく欧米人の嗜好に応えられるスーパーも無かっただろねぇ。基本個人商店の時代だから。
今だからこそ観るべき作品!!
今回は、楽天ポイント鑑賞〜金曜日公開『MINAMATA―ミナマタ―』
この作品、ジョニーデップ主演って事で気になってました。
まぁコスプレ系の役でのイメージが強いので、素顔はどんな感じ!?
シークレットウインドウで、こんな感じなんだって思って17年、いい感じに老いた彼の間違いなく代表作になると思います。
水俣病・・・・
当時は、今みたいにコンプライアンスや放送禁止的な制約もない時代。。。。
小学2年生だった頃の記憶にも、この水俣病に関する新聞記事や写真が、頭の片隅に残ってましたが・・・
当時の映像とのリンクしながらの描写で、鮮明に思い出しました。
強烈な圧力にも負けずに戦う人々の姿に胸が締め付けられる。
決定打となったのは、勇気あるアメリカ人カメラマンに心を許した被害者と家族の皆さんだったんですね。
作品を作るにあたり日本人役は日本人でって拘りで撮られてるので、変な違和感もなく鑑賞出来ました。
既にハリウッドで活躍の真田さん浅野さん國村さんに加えて、加瀬亮さんと美波さんが素晴らしい!!
この時期、劇場に行ける人は少ないと思いますが・・・・
多くの日本人が、今だからこそ観るべき作品だと思います。
最初からやられました。五木の子守り唄!ずっと怒りと虚しさで、悲しく...
最初からやられました。五木の子守り唄!ずっと怒りと虚しさで、悲しくて涙が出ている自分に対して、嬉しかった。まだまだ若い。戦えます。
経済的な繁栄の裏で…
日本の高度経済成長期には国内の至る所で公害の問題が噴出していた。国策とも言える企業の大失態であるにもかかわらず隠蔽をし、何食わぬ顔で栄養栄華の成長を世間ではもてはやす。大多数の恩恵の陰で苦しむ一握りの少数は許容範囲で済まそうとする。誤差の扱いだ。その誤差で死に追いやられ、重い障害を抱えたまま過ごす人たちを不幸の一言で済ませられるか?誰にでも起こり得ることが、たまたまそこに居た人たちに起きたのであって、決して他人事では済ませられない。個人の人権を未だ蔑ろにするこの国と企業体がありありと存続している現代において、この水俣の事件は過去ではなく現在進行形の事象でもある。一人一人が関心を持つこと。決して無関心になってはいけない。ある人の死、痛みは遠からず自らの死、痛みに直結する。自分自身を映す鏡は絶えず目の前にある。
ハリウッド映画として取り上げてもらいました。
水俣病の事を社会科の授業で教えられたまま
正直、今までそこまで考えたことはありませんでした。
今回、ハリウッド映画として水俣病を取り上げてもらい
日本人として知らなければならないこと教えてもらいました。
おそらく邦画で水俣病を題材にした作品であったら
観ていなかったかもしれません。。。
写真家ユージン・スミスの視点からのアプローチだったので
日本人としての内側からの作品でなくなり
それが日本人として今、水俣病へのアプローチとしては
受け入れやすかったのだと思います。
ジョニー・デップは真摯にこの作品に取り組んでくれて、感謝したいです。
心が揺さぶられ、胸に来る思いがあふれて、目に涙を浮かべました。
自分が7歳の頃の話…
しかし水俣患者の映像はいまだに鮮烈に記憶に残っている。こどもごころにもそれだけ強烈な映像だったんだ、と。ライフの写真家の話はこの作品で初めて知った。日本の発展の背景に外国の力に頼らなければならない時代があった事は知っておくべき記憶だな、と思い知らされた…ジョニデ感全くなくすごいなー。
是非多くの人に見て欲しい映画
水俣病は自分が小学生の1,2年生頃の話(映画の頃)。
学校で習ったのは5,6年の頃だったか。
イタイイタイ病もそうだが工場も国も御用学者を使って頑なに認めようとしなかった。
科学的考察も一切無視。そんな時代の裁判だった。
今も昔も外圧頼みなのが日本人の進化の無さを
表している。
事実だから映画のネタバレも何もない。
調べればもっとリアルな事が分かるだろう。
何故今水俣病か?と自分も思ったが最後にそれが分かる。
それにしても思うのは何故この様な映画が日本で作れないのか。
Fukusima50の真実の物語と言う下手な作り物に比べると比較にならない位良い内容だ。
是非多くの人に見て欲しい映画だ。
全221件中、161~180件目を表示