「魂の一枚」MINAMATA ミナマタ 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
魂の一枚
プライベート問題や出演作の不振でキャリア最大の危機が続くジョニー・デップ。
だが、いい仕事をする時はする。
『ブラック・スキャンダル』での恐演はインパクトあったし、『ファンタスティック・ビースト』での“黒い魔法使い”グリンデルバルド役は悪のカリスマ魅力がたっぷりだった。(事情はどうあれ降板が残念)
本作は近年の中でも出色の作品と演技ではなかろうか。
実在のアメリカ人写真家、ユージン・スミス。
“フォトジャーナリスト”として、その道では伝説的な人物。スタイルも作品群も後世に多大な影響を与えたとか。
恥ずかしながら、知ったのは初めて。
戦争写真家として沖縄へも。日本と関係薄くは無く。
そんな彼の“代表作”となったのも、奇しくも日本。と同時に、“遺作”。
それが、“水俣病”。
日本人なら知らないでは済まされない“水俣病”。
私もそれこそ小学校の時に授業で習い、全くの無知ではない。
今回見た事もあって、改めて調べてみた。
日本の公害病で最も有名。新潟の第二水俣病、三重の四日市ぜんそく、富山のイタイイタイ病…日本の“四大公害病”の一つ。
1950年代後半から1970年代にかけて、熊本県水俣市で発生。水俣湾周辺の化学工場から排出された有機水銀を含んだ汚染物を摂り続けた事による中毒性中枢神経系疾患。
地元住民の多くに、口元のしびれや手足の震え、言語障害、歩行障害、多器官障害、錯乱状態、意識不明、死…奇病、苦病、最悪の事態を招いた。
1952年に初の患者。1956年に水俣病と公表。地元住民と被害者、遺族らと企業側の闘い続き(時にはデモで多数の負傷者も)、1968年に原因は水俣病であると認定。1971年に遂にやっと勝訴。足掛け約20年という長い歳月…。
しかし、被害者や遺族の苦しみは一生消える事は無い。
日本国内の公害病問題なのに、何故そこにアメリカ人写真家が…?
今や水俣病は世界的にも知られる大公害病。
水俣病の実態を世界に知らせたのが、ユージン・スミス。
地元住民たちと彼の闘いの実話。
かつては名カメラマンとして名を馳せるも、過去の栄光に溺れ、アルコールとニコチン漬けの堕落した日々を送るユージン。世捨て人状態。
実話ながら、よくあるキャラ設定。ジョニデのやさぐれ感は見事だが、見始めは平凡な印象を受けた。
ユージンの落ちぶれの原因は実は日本にあり。沖縄戦で受けた負傷が祟り…。
そんな彼が再び日本と関わる事になるとは数奇だ。
多くの写真を提供した“ライフ”からも問題児扱い。
にしても、開幕のユージンとライフ編集長の言い合いには参った。
だって、ジョニデとビル・ナイ。某作品が頭に浮かび、ちと話が入って来なかった。(別に作品が悪いんじゃなく、気が散った私が悪いだけ)
そんな彼の元を訪ねて来たのは、日本人とアメリカ人のハーフの日本語通訳の女性アイリーンと日本人カメラマンのキヨシ。
ユージンを尊敬するキヨシたっての頼み。熊本県水俣市で起きている公害病の実態をカメラに収めて欲しい。それを世に拡げて欲しい。
依頼に応じ、日本は熊本県水俣市へ赴くが…。
惨状を目の当たりにし、真実を知らせる為、再びカメラへの情熱を取り戻す…という主人公の再起物語でもあながち間違ってはないが、最初は彼に迷いが見られた。
失いかけていたカメラへの情熱。
真実を伝えるには地元住民の協力が必要だが、皆怪訝。
無理もない。公害病の苦しみに加え、外国人が自分たちを撮っている。まるで、見世物晒し者のように。
ユージンも少なからずそれを感じ取っていたのでは…?
最初は相容れない異国と異国の者。
水俣病の原因、日本窒素肥料化学工場=現チッソ社。
同社社長はユージンの生活苦や金銭難を調べ、買収を持ち掛ける。
一度は受け取ってしまうユージンであったが…
葛藤。良心の呵責。
フォトジャーナリストとしてこのまま屈してもいいのか…?
金を突き返し、地元住民たちと闘う事を決意する。
後に妻となるアイリーンの証言によれば、この買収シーンは史実と違う脚色だとか。買収に屈するような人間ではなかったとか。
史実脚色で賛否分かれ、“作った感”も否めないが、作中に於けるキャラ設定のターニング・ポイントにはなった。
ユージンが闘うきっかけになったのは、言うまでもなく地元住民たちとの交流。
最初は相容れなかったが、徐々に徐々に。
私をあなたたち家族の中に迎え入れて欲しい。
ユージンがカメラに収めたのは、被害者の苦しみではなく、彼らのありのままの姿。
営み、家族愛…。
普遍的だが、彼らにとってはそれらを維持するのも一苦労。水俣病のせいで…。
その姿を通じて、訴える。
印象に残った台詞。
写真は撮る側の魂の一部も奪い去る。
これは映画にも通じる。映画監督も魂を削って作品を創る。(部活みたいに気心知れた仲間内だけでワイワイガヤガヤやってクオリティーなんかどーでもいい、などと愚言した日本の某監督に突き付けてやりたい)
そりゃ当然だ。そこまで思いを込めなければ、“名作”は撮れない。見る側に魂は伝わらない。伝えたい事を。
プロデューサーも兼任したジョニデの“魂演”も素晴らしいが、日本人俳優らが名演魅せる。
チッソと闘う地元住民のリーダー役の真田広之はさすがの熱演。
水俣病の軽症状を持つカメラマンの加瀬亮も巧演。
ユージンに自宅の宿泊を提供した夫妻の浅野忠信と岩瀬晶子。温もり溢れつつ、水俣病の重症状の娘を持つ良心の悲しみと慈愛を体現。
出色だったのは…
アイリーン役の美波。凛とした美しさと、時にユージンを嗜め奮わせる強さ、育む愛…。
水俣病の重症患者で、カメラに興味を持ち、ユージンと心を通わす少年役の青木柚。ユージンとハグするシーンはまるでユージンの心を癒すかのようで印象的だ。
実質の主役は彼らだ。水俣病に苦しめられながらも、チッソと闘い続ける。
ユージンもカメラを通じて彼なりの闘いを示すが、あくまで“記録者”。
闘い続け、遂に勝利をその手に掴んだのは、諦めなかった名も無き地元住民(ヒーロー)たち。
それにメリハリを付けたチッソ社長役の國村隼の憎々しさも重要な存在感。人間のエゴ、企業の隠蔽、勝手な言い分…いつの世も原因や責任や過ちを作る側の考えは変わらない。
某国の大統領のような横暴。
アンドリュー・レヴィタス監督の真摯で誠実な演出に称賛を贈りたい。よくぞ撮ってくれた!
こういう作品を見た時、いつも思う。本来なら、日本が作るべきだ。国内で作るには難しい事情もあるのだろうが、及び腰になってはダメだ。今それに屈しないのはドキュメンタリーの原一男ぐらいか。
残念だったのは、日本が舞台でありながら撮影のほとんどがセルビアやモンテネグロで行われた事。今の水俣市に当時の面影がほとんど残ってないらしい。
なので所々日本の空気を感じない点もあるが、陰影印象的な映像美はそれこそカメラに収めたくなるほど目を見張る。
坂本龍一による音楽も情緒を醸し出す。
写真を撮り続けていた時、デモで暴行を受け、重傷を追う。
沖縄戦での負傷に加え、またしても。
しかしそれでも、日本や日本人を恨む事は無かったという。
真実を伝えるフォトジャーナリストとしての覚悟さえ感じた。
それどころか、地元住民たちと触れ合い、半分日本人の血を引く女性と結婚し、長きに渡って日本に留まり真実をカメラに焼き付けた。
本作を見て、ユージン・スミスを知れた事は尊い。
混沌とした世に、こういう人がいてこそ。敬服する。
決して真実は過去や忘却に埋もれないと信じている。語り継がれていく。
その象徴、彼の代表作であり、写真集“MINAMATA”の傑作“入浴する智子と母”。
たった一枚の写真から、様々な思い、感情、魂が伝わる。
悲しみ、苦しみ。
無償の愛。
至高の美しさ。
一人の勇気、一人の決意、一人の行動、一枚の写真。
水俣病は今も完治していない。
日本そして世界へ伝え続ける。
EDクレジットで紹介される世界中の公害病の多さに衝撃…。
でも一番衝撃的だったのは、同じくEDクレジットの2013年の当時の首相の“水俣病は終わった”発言。
一度被った悲劇や被害は一生終わる事は無い。