「映画『MINAMATA』に違法作品の疑い」MINAMATA ミナマタ 入口紀男さんの映画レビュー(感想・評価)
映画『MINAMATA』に違法作品の疑い
患者の苦しみを伝えるにも、美しい自然に恵まれた水俣の光と風を描写するにも、公害企業を糾弾するにも、もっと「芸術的」かつ「合法的」な方法があったのではないかと思われます。水俣市の固有名詞とチッソ株式会社の法人名やロゴをあげたうえで、故意にかつ執拗に「ねつ造シーン」(全く根拠のないつくり話し)と「やらせシーン」(何かをヒントにしたと思われるつくり話し)を連発するこの作品は、歴史を改ざんするものです。この映画には違法作品の疑いがあります。後世に残すことも許されないでしょう。
「つくり話」(ねつ造シーン・やらせシーン)は少なくとも次の六か所に出て来ます。それらは物語の核心をなしています。
(1)ユージンとアイリーン・スミスが水俣に来た 1971年9月には、チッソが廃液をどこにも流さなくなって、3年以上経っていましたから、映画で廃液を太いパイプからどぼどぼと流すシーンは「やらせ」です。事実と大きく異なっています。
チッソ株式会社水俣工場がパイプを使って廃液を流したのはそれより 10年以上前の 1958~1959年でした。1958年に筆者(当時は水俣第一小学校六年)は、そのパイプ(排水管)を近くから何度か見ました。1959年に水俣工場は排水管を撤去し、アセトアルデヒドの製造を 1968年5月18日(土)に停止するまで、メチル水銀排水を工場の側溝を通して(パイプを使わないで)水俣湾に流しました。ユージンとアイリーン・スミスが水俣に来た 1971年9月には、チッソ水俣工場がメチル水銀排水をどこにも流さなくなってすでに 3年以上が経っていました。
(2) 劇中、チッソ水俣工場の構内でチッソの社長がチッソのロゴのついたヘルメットを被り、 5万ドル入りの封筒を、同じくチッソのロゴのついたヘルメットを被るユージン・スミスに手渡し、すべてのネガを渡して「帰れ」と言って帰国するよう持ちかけます。ユージンが「くそくらえ」と断る。そのようなシーンが出て来ます。それも観客に感情を移入させるようにするための根拠のない「ねつ造」です。多くの観客は騙(だま)されるでしょう。
チッソ水俣工場は、ユージンを構内に入れていません。工場の来場者記録にも「ユージン・スミス」の名はないでしょう。そもそも、当時の社長(嶋田賢一)も会長(江頭豊)も、水俣にはいませんでした。水俣に東京から来るときは地方紙に「〇〇社長、来水!」と載りました。
(3) 劇中、ユージンの仕事場が放火されるシーンが出て来ます。これも観客に感情を移入させるための根拠のない「ねつ造」です。多くの観客は騙されるでしょう。
当時水俣でどのような小さな火事があろうと、それは町中に知れ渡り、地方紙にも載りました。ユージンの仕事場が放火されたシーンも根拠のない「ねつ造」です。水俣の消防署にも警察署にもそのような出動記録はありません。
(4) 劇中、チッソの附属病院でセキュリティ・チェックが行われ、ユージンらが警備員の目を盗んでコンクリートの階段を駆け降りる。下の部屋で機密資料を発見するというシーンが出て来ます。それも観客に感情を移入させるようにするための「やらせ」です。ほとんどの観客は騙されるでしょう。
ユージンとアイリーン・スミスが水俣に来た 1971年9月には、附属病院(木造平屋でコンクリートの階段などもない)は廃院となっていてすでに存在していませんでした。
(5) 1972年1月7日(金)、ユージンが千葉県市原市五井にあるチッソ五井工場に行ったとき、川本輝夫率いる水俣からの患者を含む交渉団約 20名がチッソ五井工場の事務所から退去を拒みました。ユージンも当時の妻アイリーン・スミスもその中にいました。チッソ本社は五井工場に指示して、これを「住居侵入罪」の現行犯の疑いで場外へ排除するように従業員数十名を動員させました。激しいもみあいの中でそれを撮影しようとしたユージンは倒れ込んで怪我を負いました。
現場の音声記録や写真が残されていますが、それらは「住居侵入事件」の瞬間をとらえた直接証拠(5W1H)とはなり得ても「傷害事件」の瞬間をとらえた直接証拠(5W1H)とまではなりにくく、仮にユージンらが「傷害罪」でチッソを告訴すると、チッソは「住居侵入罪」でユージンらを告訴したでしょう。千葉地検の判断としては、「住居侵入事件」も「傷害事件」も、嫌疑不十分の不起訴となりました。双方(交渉団と従業員)から千円の科料に処された人さえ一人も出なかったのですから、あったのは「自損的な怪我」だけとなりました。
ユージンは沖縄戦で負った傷の後遺症のため、痛み止めとしてウィスキーが欠かせませんでした(朝日 2021年10月7日)。サントリーレッド(39度 640ml)を毎日半分空けていて、絶えず酒気を帯びていたようです。口の中には日本軍による砲弾の破片があったようですから、五井工場で倒れ込んで口から出血したことはあり得たと思われます。
現在でも、新聞などで一方的に「暴行事件」などとする記述を見かけますが、チッソの従業員の中にも交渉団の中にも「罪人」はいないとして確定したことを、どちらかの一方に肩入れして、「住居侵入事件」や「暴行事件」であったとして報道することは許されないでしょう。また、アイリーン・スミスは 2020年に熊本学園大学に提出した『 W.ユージン・スミスとの日々:回想』と題する一文(同大学が公開)の中で「チッソの暴力団から傷害を受けた」などと述べていますが、当時のチッソの従業員は単に自らと家族の生活のために就労していただけでしょう。その中に暴力団のような反社会的勢力はいませんでした。
映画のシーンは、さながら暴力団による傷害事件であったかのように描かれていました。ほとんどの観客は騙されたでしょう。
劇中、写真家としては重要な手のひらを靴でぎりぎりとつぶされて怪我をするシーンが出て来ますが、ユージンは手のひらを怪我していません(ユージンの診断書)。
(6) 劇中、ユージンの最高傑作の一つとなった「患者の少女と彼女を入浴させる母親の写真」を撮るとき、怪我で手には包帯が巻かれており、シャッターを直接切ることができなかったというシーンが出て来ます。それも観客に感情を移入させるようにするための「やらせ」です。ほとんどの観客は騙されたでしょう。
怪我は 1972年1月7日であり、その写真は前年の 1971年12月24日に撮影されました。
この映画『MINAMATA』は、次のように社会を深刻に分断させたのではないかと筆者は感じております。
1. 政府と熊本県
水俣でメチル水銀公害が発生した当時「無作為」によって被害を拡大させた「加害者」のほうである。現在も裁判で被害者と争う被告。自らの責任をなるべく小さく見せるために、「あれは水俣の水俣病」として封殺したい。『MINAMATA』はあってよい映画である。熊本県は、水俣市で行われた先行上映会(2021年9月18日 観衆約 1,000人)を後援した。
2. 水俣市
映画『MINAMATA』は制作の意図が不明である。そもそも「MINAMATA」は公法人・水俣市の「固有名詞」である。そのタイトルを聞いただけでも水俣を負のイメージで貶(おとし)めかねない。『MINAMATA』はあってはならない映画である。水俣市で行われた前記先行上映会の後援を拒否した。
3. 入浴した娘と母
証明写真や風景写真とは異なって、人を被写体とする芸術写真においては、撮影者であったユージン(故人)とアイリーン・スミスだけでなく、被写体(娘と母)にもその思想・感情の「表現者」として「著作権」(「著作者人格権」と「著作財産権」)が生じる。
当時、両親は娘の日々の成長の記念として撮ってもらっただけである。ユージンとアイリーン・スミスの英語版の写真集『MINAMATA』(1975年)がアメリカで刊行されたとき、両親は、写真集は水俣で起きたことを世界に伝える「公益」のためであると知らされ、その刊行を事後に許諾して感謝の意を表明した。ユージンとアイリーン・スミスはその出版の直後に離婚した(1975年)。
入浴シーンの娘は 1977年に逝去した。ユージンは 1978年にアメリカで逝去した。その後三一書房から日本語版の写真集『MINAMATA』が二度刊行されたが(1980年、1991年)、親であれば、亡くなった娘をもう「さらし者」にしたくない。これは通常の日本人の「死者に対する畏敬の思い」である。映画『MINAMATA』にも登場させてもらいたくなかった(朝日2021年10月16日)。
娘がもつ書籍等の「頒布権」や映画等の「上映権」などの「著作財産権」は死後七十年間 2047年12月31日まで私権として現在も存続している。(著作財産権は私権であるが、侵害すると最高で懲役十年と一千万円の罰金が併科され、法人にあっては最高で三億円の罰金が科される。)その権利は存命する父親などの近親者に相続されている。存命する母親にはその「著作財産権」だけでなく、「著作者人格権」も存続している。著作権は「ベルヌ条約」等によって世界のほとんどの国で有効である。アイリーン・スミスは「私は封印を解いた」などと言っているが(朝日ディジタル2021年10月16日)、私権は誰にも勝手に侵害できないので、アイリーン・スミスは封印を解いてなどいない。
4. チッソ株式会社
チッソとしては、患者に補償しながら事業を継続して来た。その子会社である JNC株式会社水俣事業所も世代はすっかり替わっていて、地域の高等学校などを卒業した若い人たちが希望をもって働く重要な職場となっている。映画『MINAMATA』は、社長がユージン・スミスに大金を渡してネガを取り戻そうとするシーンや放火のシーンなど、「ねつ造シーン」や「やらせシーン」が出て来るから許されない。『MINAMATA』は法律上も倫理上もあってはならない映画である。
5. 原告(被害者)の代理人・弁護士
原告(被害者)は、これまで真摯に生きてきた。被害者の中に法廷でどんなに小さなことでも「偽証」をした人はいない。高齢化した水俣の語り部も若いころからこれまで少しでも「つくり話」をした人はいない。それは、過去五十年以上これまで一貫していた。被害者の弁護士としては、これまで被害者から「情緒的な逸話」をよく聞き取り、その中から「事実」を抽出して真摯に裁判に臨んできた。裁判所も(最高裁まで)そのような被害者を何とか救済しようとしてきた。
しかし、水俣で開催された映画『MINAMATA』の先行上映会(2021年9月18日)では、多くの原告(被害者)が、「大金入りの封筒」や「放火」や「手の怪我」などの「ねつ造シーン」や「やらせシーン」でジョニー・デップが被告(チッソ)を打ち負かす映画を観て、一般大衆と一緒に手放しで喜んでそれに「加担」した。それをメディアも報道した。
しかし、原告(被害者)は、今後法廷では「あの映画は、ホントはウソ混じり」で、あの時は、それはそれとして喜んだが、これからこの法廷で証言する「コレは、ホントはウソ混じりでないホント」だと主張するしかない。その行為全体が信義誠実を貫くための「禁反言の原則」(Estoppel)に反する。
原告(被害者)の代理人・弁護士としては、途方もない窮地に立たされてしまった。これでは被告(チッソ)に謝るしかないではないか。『MINAMATA』はあってはならない映画である。
激しく同意致します。
悲しい過去の歴史は変えられませんが、全国発の環境首都として生まれ変わろうとしている水俣市に、実名を使用しながらも水俣では撮影されていない捏造された商業主義の映画は必要ありません。
はじめまして。本編は最近サブスクリプションで観たのですが、少し御都合主義といいますか、米国産の予定調和的なところが気にはなっていたんです。
貴殿のレビューを拝読し合点が。やはり実在の人物をメインにした「英雄譚」的なものは一歩二歩引いた目線が必要なのだな、と思った次第です。
ありがとうございました。