「ネタバレ(妄想込み)」リトル・シングス 5150さんの映画レビュー(感想・評価)
ネタバレ(妄想込み)
整理できていないこと、わからないことはたくさんあるが、現時点でのまとめ。
◎監督ジョン・リー・ハンコック
監督ジョン・リー・ハンコックはこう語っている。「この映画の結末には、マッドビルの喜びはない」
これは「Casey at the Bat」という詩を踏まえて語っている。「野球の試合が行われ、チーム「マッドビル」は大方の予想通り、最終回2点差で負けそうになっている。ところが奇跡的にランナーがたまり、2アウトで強打者ケーシーに打順が回ってくる。観衆の期待を背にバッターボックスに立った自信満々のケーシーは三振に倒れ、試合にも敗れ、満員の観衆をガッカリさせる」という話のようだ。
つまり、期待通りの展開にはならないよ、と言っているのだ。お約束通りのお話を望んでいるなら、ガッカリするよ、と。
◎ 一連の殺人事件の真犯人はジョン・ディーコン(デンゼル・ワシントン)。動機は快楽殺人。
5年前、娼婦3人に薬を飲ませ腹部等をナイフで刺したが、一人だけ、メアリー・ロバーツをとどめを刺す前に逃がしてしまった。駆けつけてきた刑事たちの前に彼女が現れたため、誤射したと見せかけて撃ち殺した。捜査官達は狙い通り隠蔽してくれて、罪を免れた(死因はナイフの刺し傷と判定した鑑識官とは不倫関係にあった)。
しかしこのことは、ディーコンのプライドを深く傷つけた。もともと腕利きの刑事として署内の花形だったのに、隠ぺいしてもらった悪徳刑事になってしまったからだ。ディーコンは荒れた。結果、離婚し、心臓を悪くしてしまった。罪をなすりつけようと、スタン・ピーターズという覗き魔を締め上げてあごの骨を折ったことも問題になった。署内でも彼の扱いに困り、配置転換して厄介払いするしかなかった。
ロサンゼルスから離れ、ひとりになったディーコンは少しずつ回復する。刑事の仕事は奪われ、巡査の閑職になったことで、さらに熱心に殺人の腕を磨いてゆく。行方不明になっても誰も探さないような娼婦に対象を限定し、地域も殺人多発地帯で行う。 ハイウェイを自由自在に使い、捕まるようなミスをしなかった。いや、よくあることとして捜査さえされなかった。
そして、1990年8月。ジョギングしていたロンダ・ラスバンを見かける。娼婦ではない、身許のハッキリした女性をいつか殺してみたいと熱望していたディーコンはこのチャンスを逃すまいと決心し、犯行に及ぶ。2か月に及ぶ連続殺人事件の始まりである。
ディーコンにとってそれは、めくるめく出来事だった。しかも、誰にも気づかれなかった。ディーコンは狂喜した。興奮のあまり、ステーキレストランのネオンサインにいたずらした。これも癖になった。
そして女子大生ジュリー・ブロックに手を掛ける。この殺人はディーコンにとって特別のものだった。
今までは屋外で殺していたが、なんと彼女の部屋に上がりこむことができたのだ。ディーコンは支配欲やサディスティックな欲求をゆっくりと味わった。隣の部屋の住民が不法滞在の家族だったことも幸いした。いたぶっている間は大音量の音楽を流しても、警察に通報される心配もなかった。泣きながら命乞いをしたベジタリアンの彼女にローストビーフを食べることを命令し、全能感を味わっている。殺した後、ふと思いついて彼女の部屋に戻り、足の毛を丁寧に剃ってビニール袋をかぶせ、おあつらえむきに廃屋になっていた向かいのビルの部屋で一日中眺めて過ごした。甘美な時間だった。
彼の犯行の特徴は快楽殺人なのにレイプしないところである。性的に興奮はしているが、サディストとして、また、ナルシストとして弱みを見せることを極端に嫌う。その分だけ、彼は「見て興奮する」ことにこだわっている。
それがよく表れているのが取調室のシーンだ。マジックミラー越しに「メアリー・ロバーツのことを訊いてみろ」とバクスター(レミ・マレック)をそそのかす。スタン・ピーターズはその名前を聞いてハッとする。「お前が殺したんだ」と何時間も責められて殴られた記憶。絶望でいっぱいになるスタンを見て、暗い喜びを味わっている。
◎ 「no angels」
ロサンゼルス滞在2日目から泊まっていたセントアグネスホテル(1日目はジュリーブロックの向かいのビルの部屋にいた。あそこにはマットレスもあった)。壁に掛けてあった絵は「ゲッセマネの祈り」だ。最後の晩餐を終えたイエスが一晩中神に祈っていたところ、天使が舞い降りて苦しむイエスを慰めている。
この、「ゲッセマネの祈り」について、マタイ・マルコ・ルカの3福音書で伝えているが、伝え方が若干違うという。天使が現れたり現れなかったりする。キリスト教を信仰していないので不案内なのだが、おそらく宗派によってどの解釈を取るかは分かれてくるのだと思われる。
かつての上司だったカール・ファリスが熱心に通っていた教会はアメリカ国内においては少数派であったが、天使が現れる説を取っていた。ディーコンはひどくバカにしていた。ひさしぶりに会ったカールにバクスターのことを「desciple(門弟・弟子)か?」と尋ねたのはそういう事情による。
ホテルの部屋に入って荷物を置いた後、この絵を見つけてニヤッとしたのはこういうことが下敷きになっている。
直接的に言葉として「天使」が登場するのは、5年前の殺害現場をバクスターに案内した時だ。「被害者の無念を晴らそうとする天使にはなるな」と先輩刑事としてアドバイスしている。少なくともバクスターはそう受け取っている。
しかし、全然違うのだ。バカにしているのだ。天使の話をする時、不自然に片手を高く伸ばしている。天使が天からやってくる様を表現しているのだ。「そんなバカな話はないだろ?」と。彼の信仰を軽くからかっているのだ。一貫して、ディーコンはバクスターを下に見て、操縦しようとしている。飲酒を禁じる宗派なのに酒を飲ませ、自分の殺害の手口をひけらかしている。「お前なんかに絶対にわかる訳はない」といわんばかりだ。
スパーマを殺してしまい、出勤すらできなくなったバクスターにロンダ・ラスバンの赤い髪留めと「no angels」のメモを送る。もちろん、「お前が殺したことで、これ以上の殺人事件はなくなった。ほら、お前が探していた髪留めだ。努力はきちんと報われたんだ。被害者のための天使としての仕事はもう必要ないんだよ」という意味にも取れる。しかし、本当は違う。
「苦しいだろう?つらいだろう?でも、天使はやってこないよ。イエスの許にも天使はやってこなかった。お前やお前の上司のカールの信じていた教会は嘘ばっかりだ」こっちが本当の「no angels」の意味合いだ。
◎ デンゼル・ワシントン
もし、レジェンド、デンゼル・ワシントンを全く知らない人がこの映画を観たら、こうした解釈にたどり着ける人はもう少し増えただろう。そのくらい、彼のオーラが強すぎるのだ。逆に言えば、彼を隠れ蓑にして、話自体が出来上がっている。
あえてもう一つ付け加えるとしたら、ジャレッド・レトの怪演である。どう見てもあやしいし、レト演じるスパーマが犯罪マニアで事件について調べていたことも大きかった。