コットンテールのレビュー・感想・評価
全95件中、21~40件目を表示
ふわふわしっぽを追いかけて。
リリーフランキーと木村多江ならキャスティングは間違いないでしょう。家族だからこそ言えない本音を胸の奥にしまいこんで、美しい景色が広がるイギリスの湖を舞台に少ない登場人物で描く家族の映画です。
思っていたより重いテーマで、なかなか辛いシーンもあり、自分もいつか親の介護をするんだろうなとか改めて色々考えさせられました。観る側の解釈に委ねられるシーンが多くて、父と息子がようやく語り合うところも、それ結局どっちなん?ってなりました。その辺が私にはちょっと分かりにくかった。
錦戸亮と高梨臨もすごく良くて、息子夫婦と父親との微妙な距離感なんかはリアルで良かった。
いい映画なんだけどね、一つひっかかることがあって、もやもや。
「ぐるりのこと」をみていないのですが、リリーさんと木村さんの夫婦役はとても、良い感じに見ることができました。二人の若い頃の二人、特に明子さんの若い頃を演じた恒松さんがとても天然というのか、可愛くて良かったです。
そして、ロードムービーとして兼三郎が和解していきます。息子さんというところなのでしょうが、その前に、彼は自分自身とまず和解しなきゃならなかった。こういうふうにしか生きてこれなかった、看取ってやれなかった彼自身と和解しなきゃならなかった。その描き方が時間をかけて、伝わってくる感じがして良かったと思います。
さて、ここからは僕のモヤモヤの部分です。この映画を良い余韻で終えたい方は読まないでください。
モヤモヤのこと、それは妻・明子さんの死因なんです。
彼女の死因はなんでしょうか。
認知症は死に至る病ではありません。
例えばアルツハイマー病罹患から死亡までの平均罹患期間は8〜10年と言われています。
若年認知症はあります。しかし、すぐには亡くならないのです。
しかも、痛みを伴うものではありません。
明子さんが亡くなるところの場面で医師がしようとしていたのは「疼痛コントロール」のように見えました。
そう、癌末期のように見えます。
もちろん、認知症と癌が併発することもあります。
しかし、もしそうなら、おそらく日本の医療ではああはならない。
明子さんの年齢であれば、認知症よりも癌治療をもっと積極的に行おうとします。
手術など外科的な治療に化学療法、放射線治療や免疫療法など。
フル装備で行っていきます。
夫の兼三郎も息子の関わり方ももっと変わってきます。
癌の告知であったり、手術の同意書であったり
映画の内容も変わってきてしまうでしょう。
明子さんは認知症でなくなったというより、癌で亡くなった、となります。
そういった医療の現実がぼやけて使われている、そこがどうしても
見終わった後に気になってならなくなったのです。
そこのリアリティーが感じられないのです。
汚したおむつ取り外しなんて肉親として悲しいシーンを描きながらも
そこまでに辿り着く設定がファンタジーなんです。
私の知識が乏しく、違う医療の現実があるのであれば
そこを上手に挿入していただかないと
医療の端っこにいる者は「?」と湧いてきた疑問を解消できないままになってしまうのです。
愛を家族に伝えていますか?
妻を亡くした男が妻の遺灰をまくためにイングランドを旅するヒューマンドラマ。若かりし頃の妻との出会いのシーンから始まり、晩年の闘病生活までだれもが共感するようなドラマとなっている。地味な展開だありながら観客を引き込むリリーフランキーの演技力がさすが名優といった印象。個人的には冒頭の妻との出会いを描いたシーンが非常に印象的で恒松祐里の魅力が上手く引き出しているように感じた。
2024-43
ピーターラビットの妹はコットンテール
UPLINK吉祥寺で「コットンテール」を。
リリー・フランキーが登場して、いきなり万引き家族!?と思ったら寿司屋で妻の明子(木村多江)との初めての出逢いを思い出す。
二人は「始めまして」と挨拶を交わし名乗り合う。寿司屋で待ち合わせの時間に明子が遅れて来たようだ。場所と時間が決まっていて初めて会って挨拶するって、これお見合い?デートで、始めましてで名乗り合わないよね。気になってしまった。
明子は認知症に対する不安を持ち、認知症を発症し、寺の住職に手紙を託す。そこには明子の父親と行ったイギリスのウィンダミア湖に散骨して欲しいという最後の願いが書かれている。
妻の最後の願いを叶えるために謙三郎はトシとウィンダミア湖へ行き、彼女の願いどおり散骨する。
この旅で謙三郎とトシの関係性も変わって行く。
兼三郎(リリー・フランキー)と明子とトシ(錦戸亮)の親子関係が深く描かれておらず、少年時代のトシと両親の関係が不明で、何故明子はトシを評価し、トシと謙三郎の間に隔たりが存在するのかが判らない。明子が認知症を発症してからも誕生日にケーキを買って訪ねて来るなど、長い間トシと疎遠になっていた訳ではない。
だから、何故明子はトシや謙三郎との思い出の場所ではなく、父親との思い出のウィンダミア湖を選んだのか。そういう所を深く掘り下げてあれば、もっと余韻が残る作品になったのではないだろうか。
拝啓、謙三郎様
あなたの幸せを
家族の幸せを願っています。
クレジットでイギリスで世話になる親子が同じ姓だった。本当の親子かな?
家族の再生
もう少し全体的に配慮が欲しかった…という一作。
今年98本目(合計1,190本目/今月(2024年3月度)16本目)。
(前の作品 「オーシャン・クライシス 沈黙の核弾頭」、次の作品「Moonlight Club in 長寿庵」)
ストーリー自体はほぼほぼ一筋で、遺言の内容を果たすためにイギリスにいって散骨をするだけ、という本当に単純なロードムービーの亜種の類で、ストーリー自体にひっかけ要素がまずなく(ただ、途中で時間軸が結構変わるのは混乱するかも)、日英合作という事情からも、どちらの文化も取り入れたという考え方から「混乱の要素はないが、逆に短い放映でストーリーが一つだけである」ので、個々気になる点もあります(この点後述)。
映画のサブ筋としては、いわゆる末期医療に関することや認知症に関すること、また「親の介護は子の義務か」というような、今でも議論されるようなところに飛ぶところはありますが、それらはあくまでもサブ筋の扱いのようで(日英合作という事情から、イギリス側でこれらの日本の事情がわかりにくい、というのもあるのだろうとは思います)、それらが「出てくるだけで大半すっ飛ばされてしまう」のがちょっと厳しいかな…といったところです。
今日(3/11)はアカデミー賞の発表ということもあったのか、映画館がガラガラで(賞をとった映画を放映している映画館は固定されているので)、コロナ事情の真っ最中でみられた本当に「ガラガラ」といった状況にある意味驚いたのですが(大阪市は大雨でもないし別に月曜日から映画館くらい行けるはず)、そういった事情(おそらく、賞をとった映画のほうは満席状態だった?ただし別の系統の映画館)なのだろうと思います。
ここでは感想として触れている方が少ないですが、それでも私は法律系資格持ちなので…。解釈上ごまかせない点や気になる点(これらは、この映画が90分と短いといったことからも派生する)もあります。個々触れていきます。
採点は以下のようにしています。
--------------------------------------------------------------
(減点0.3/遺言状の開封について)
遺言状は公正証書によるもの以外は、家裁に提出した上で開封する必要があり(1004条1項3項)、勝手に開封すると過料も課されます(1005条)。
解釈上やっかいなのが、「遺言と言えるか?」というタイプのもの、つまり「相続はだれそれ、土地はだれそれ」といった内容がなく、単に「散骨して欲しい」といった「最後の意志」だけがある場合にそれを遺言というかが解釈上争いがあるのですが、遺言の中身をあらかじめ知ることができない以上、「様態から遺言であると推知できるもの」には幅広く適用される(つまり、家裁での開封処理を要求する)というのが通説的な考えで、映画内の描写はややまずいかなといったところです。
※ ただし、家裁の検視を経ない内容は「過料に処されるだけで内容の有効無効には関係しない」というのが判例(昭和3.2.22(大審院のころの判例))です。
(減点0.2/散骨と墓地埋葬法、死体損壊罪等との関係)
まず、日本人が外国で何かをする場合、その外国の法や、日本では「法の適用に関する通則法」が適用されます。
散骨については現在ではよく見られるようになったのですが、墓地埋葬法、死体損壊罪に触れるという解釈論も根強い一方で、これらの散骨行為は宗教的な観点で行われることが多々あることから、「あまりに無茶苦茶なことをしない限り警察も司法もノータッチ」というのが現状で(宗教論になるので、政教分離をうたう日本ではこれらは議論しにくいので、学問上の争いとは離れて検挙例はまるで見当たらない)、実際の摘発例はほぼもってないものの「学問上の争い」は実際かなりあるので、この点、何らかのフォローが欲しかったです。
※ 散骨が少しずつ知られるようになった平成10年以降では、条例で散骨を禁止する市町村もあらわれたものの、こうした規制は宗教論に基づく感情論にかかわるため、条例の撤廃を求める運動(←地方自治法)が激しく行われ、現在では「ガイドライン」等で「最低限これだけは守ってね」というようになっています(秩父市、熱海市など、散骨のメッカとされるような市町村において)。
(減点0.1/主人公の英語のレベルが変?)
序盤の回想シーンで「英語で食べている」といっている割に、イギリスに行くと英検3級の面接会場ですか?みたいな話し方しかしないのが気になりました。
--------------------------------------------------------------
海外でも田舎の人は人情味がある
我が道を行く兼三郎。今後もぶれずにあのまま行く。兼三郎にはイライラするし感動もしなかったが、スゴく面白かった。男の介護者は自分1人で頑張ろうとしてしまいがちなのが良くない。
以下は別に兼三郎の悪口のつもりではないし、欠点、短所のつもりでもない。兼三郎を非難、否定したいわけではない。コレが兼三郎だと言いたいだけだ。
「コレが俺だ」 by 兼三郎 (^^)
兼三郎は、ふてぶてしい、ずうずうしい、自己中心的。どれも否定的な言葉で、「よく言えば○○」と言い換える言葉さえ思い浮かばない。あえて言えば、動じない、堂々としてる、大胆不敵。
もっと協調性をとか、まわりの迷惑も考えろとか、気をつかえとかあなたは思うだろう(僕も思う)。しかし周りから何と言われようとも兼三郎は、我 関せず、馬耳東風、聞く耳持たずだ。兼三郎にしたら自分の気分にしたがって行動してるだけで何が悪い、余計なお世話だ。兼三郎とあなた(僕)の行動の基準が違うだけだ。兼三郎は当然自分の基準にしたがって行動する。それで失敗しても反省はしないし、ちょっと運が悪かったなと思うだけだ。
例えばタコと自転車を盗むが、バレなきゃいいと思ってる。バレたら謝ればいいと思ってるし、きっともしバレても後悔も反省もしない。運が悪かったと思うだけだ。
また、ロンドンで急に今日行こうと言い出して、結局ひとりでサッサと出かけてしまう。結果、逆方向の列車に乗り、途中下車で電車がなくなり、盗んだ自転車でやみくもに走り出して雨に降られ、木の下で雨宿り。スマホの電池切れで助けも呼べないからそこで一夜を過ごす。こんな時ももちろん、今度からは息子の言うことにも耳を傾けようなんて、これっぽっちも思わない。きっと後々思い出すときも、外国で面白い経験をしたぐらいの感じだ。
あーホントいい迷惑、いい年して何やってんだ、学習しろよ、自業自得、やれやれコレで少しは反省して態度を改めるだろう、とあなたは思うだろう。
だけど僕は、絶対 兼三郎は変わらないと確信して見ていた。
だから最後のほうの家族の再生みたいな場面でも僕は覚めた目で見ていて、思わずつい鼻でフッと笑ってしまった。何も変わっちゃいないよと思ったからだ。
最初にも書いたが兼三郎を非難して否定したい訳ではない、良くも悪くも、コレが兼三郎だと言いたいのだ。だけどヤッパシ周りにしたらホントにいい迷惑だ。「やれやれ」。
「文句あるか」 by 兼三郎。
イギリスの景色はよいけど
リリーフランキーと木村多江はいいけど脚本はやや疑問。愛する妻を手にかけた事を匂わすが、介護疲れをあまり感じない。義母を見送ったときは、もっと大変で、家でモルヒネを打ったし、家の中もメチャクチャで妻は激痩せ。毎日泣いて暮らしてた。本作では父子の関係が希薄だったけど、それでは在宅介護はできない。
若い時のシーンが入るが、イギリスの湖に散骨してほしい理由がやや不明。パーフェクトデイズのように、淡々とリリーと木村多江の演技を中心にした脚本にした方が、夫の深い悲しみや喪失感が描けたのではないか。或いはイギリスの湖に向かうロードムービーにすると良かったか。
期待し過ぎだったかな
死がふたりを分かつまで命の続く限り、これを愛し、敬い、貞操を守ることを誓い合う!
命は限りある。そして突然の別れ・・・
某有名な国民的漫画家と、長年国民から愛されたアニメ声優の突然の訃報。
これを知った時、私は言葉が出なかった。あ~ぁそうなんだと・・・
元気を沢山送り続けてくれる その源が消えて無くなる事ほど悲しいものはないな。そう思う。お二人のご冥福をお祈り致します。
そんな中、「コットンテール」を観に行った。(久々の遠征)
どうしても ”ぐるりのこと。”で夫婦役(翔子&カナオ)で共演していた 木村多江さんと、リリー・フランキーさんの夫婦役がもう一度観たかったからである。
------
この作品は、主人公(作家)兼三郎と明子夫婦の出会い(馴れ初め)から始まり、病で亡くなる妻の死後 彼女の遺言状に書かれていた”イギリス北部のウィンダミア湖に散骨して欲しい” この願いを叶える~ 頑なで寡黙な兼三郎と
疎遠であった一人息子の慧(役:錦戸亮さん)夫婦家族と一緒に散骨の旅をする話である。果たして 無事に遺言は叶えられるのであろうか・・・
-------
馴れ初めからして とっても良い雰囲気で二人の間が芽生える。見ているコッチにも幸せお裾分けな思いw。
若年期を演じた工藤孝生さんと恒松祐里さんが好演でしたね。
やがて二人は夫婦に。
息子も一人出来て 成長しやがて結婚し旅立って、また夫婦二人の生活に戻る。
ある時、妻が認知症の資料と施設パンフレットを取り出し夫に見せた。
ここから 病に転じてしまう妻明子。精一杯看病する夫兼三郎の姿。
認知症がもたらす悲しい症状。家族の途方に暮れる姿が本当に居た堪れない。
病室のベット上で最後を看取る夫。妻が言葉に成らない声を出している様で。でも観ているこっちには聞こえない。きっと二人の間だけで分かる会話(最後の別れの仕草) それがとっても 切なく胸を打ちます。
二人の間を死が分かした現実を受け入れられない 兼三郎。
寺の導師がなぜ遺言状を預かっていたのか その流れには大いに疑問であったが、
遺言状の願い(散骨)を疎遠の息子家族と執り行う事で きっと孤独に成りがちな兼三郎の事を思い、これからの残された人生を息子家族と一緒にやって行って欲しい願いがココに在ったのだろうと そう思います。
仲の良い熟年夫婦がいつかは迎える旅路の終焉、それを感じます。
寿司屋に持って行ったネタは何処で調達したの?とか、自転車は返さんでいいのとか? イギリスの散骨許可はいいの?とか 色々野暮な事は有りましたが この夫婦には聞きますまい。
お二人のファンの方、
仲良し熟年夫婦の方、
お時間許すならお二人劇場でどうぞ!
脚本がだめだとリリーさんでもつまらないことがわかる。表情等の演技は...
脚本がだめだとリリーさんでもつまらないことがわかる。表情等の演技はいいし、何なら男のエゴもダメさも描けてるけど、なぜ今まで仕事一途だった彼がここまで妻の介護をしてるのかさっぱりわからなかった。息子のほうが妻には信頼があることはわかっても。主観的すぎて、つまらない。イギリスは美しかったし、農家の父子は良かった。
これ以上ないくらい期待通りの映画でした
妻の喪失と向き合う旅、家族愛、穏やかな英国の風景。
予告編で惹かれて観にいきましたが、まさに想像し、期待した通りの作品でした。
週末の映画館でみて、じんわりと浸るのにちょうどよい作品。
日英合作ということで、画作りがとても印象的。
横長の画の中の、二人の会話シーン。目から口の下までのショットが多く、表情の演技が求められるが俳優陣がみごとに応えていた。
淡々とした会話の中にも、どこか緊張感を感じる。
英国の風景も緑と人物のバランスがとてもいい。
登場人物のざわつきと和解をあらわす、天気と風景が効果的に使われている。自然も含め、俳優といってよいほど。
尺も90分あまり、ちょうど眠くならないくらい。ここち良い時間でした。
意外な映画体験もよいですが、求めていたものがそこにある、それもいい。
兎追いしかの山(ロンドンからおよそ120キロらしい)
2024年映画館鑑賞16作品目
3月10日(日)イオンシネマ新利府
6ミタポイント0円
パトリック・ディキンソン監督作品脚本作品初鑑賞
妻の遺言に従って彼女が子供の頃から好きだったピーターラビットの故郷イギリスのウィンダミア湖に行き散骨する夫と息子そして同行した息子の妻と息子夫婦の幼い娘の話
ちょくちょく生前の妻の明子が思い出として登場する
明子は若年性の認知症になり晩年はおそらく末期癌だろう
息子と父がギクシャクした背景はよくわからない
4人で仲良くウィンダミア湖に行けばいいのに父ちゃん勝手にいなくなる
単独行動でウィンダミア湖に向かうも汽車は逆方向ヨーク行き
自転車をかっぱらってウィンダミア湖を目指すも途中親切な牧場経営者と娘に助けられ車に乗せられ目的地にほぼ到着
ところが写真の場所と違う
息子夫婦と孫と合流
なんとか散骨する場所を見つけた
リリーフランキーの顔ヂカラ
最愛の妻を失った喪失感
リリーフランキーが好きで好きでたまらない人におすすめ
衰えていく木村多江の芝居
まだまだチャーミングな恒松も良い
意外と高梨臨は英語が上手に感じた
世界でも活躍した槙野の嫁だからなと思ったが彼が海外で所属していたプロチームはドイツだった
なんだかとっつきにくい内容だし眠くなる人もいるかもしれないが自分はあっという間の時間に感じた
監督がそれだけ有能なんだろう
エンドロールは平凡な海外作品
おまけ無し
文化庁ならびにスタッフの関係者などそれ以外の一般者はさっさと退場してもかまわない
あとイオンシネマに行くと何かしらいちいち粗品を貰えることが多いが有難迷惑
どうせならピーターラビットの小さな絵本でもくれよ
慧さつきエミの写真貰っても困るよ俺は兼三郎じゃないし
ちなみにタイトルはピーターラビットの妹の名前
なぜ?
配役
大島兼三郎にリリー・フランキー
大島兼三郎の若年期に工藤孝生
大島兼三郎の息子の慧に錦戸亮
大島兼三郎の妻の明子に木村多江
明子の若年期に恒松祐里
大島慧の妻のさつきに高梨臨
慧とさつきの娘の大島エミに橋本羽仁衣
道に迷った兼三郎を助けくれた農場主のジョンにキアラン・ハインズ
ジョンの娘で最近母を亡くしているメアリーにイーファ・ハインズ
リリフランキーらしい作品
なんか、クセある人
奥さん亡くなっていて
タコを食べて 思い出が重なって事情が
わかってくる。
売れない作家希望の英語教師
錦戸が息子役、最近顔見るよね。
イギリスに行って湖を探して
淡々と
ラストは、明るい雰囲気で良かったよ。
ノーパーフェクトデイ‼️❓絆の関係性は素晴らしい‼️❓
ベストカツプルのリリーフランキーと木村多江、なぜか薄幸の演技が板についている。
ただ、若い頃の二人、女性の方はリンクを感じるが男性の方はまるで違う感じ、なんだろう別人感覚。
まあ、そんなことより、羨ましいとは思わないが、深い絆は、とても素晴らしい、そう素直に思う。
遺伝子だけが絆では無いが、それを除外しようとも思わない。
認知症、介護は個別に事情が大きいので、一括りで論じられないけど、重いことほど軽く受け止めて生きるべき、なんてことわざもあるし、これまた、人生観の問題なんで。
自分問題としては、認知症もあるなら運命、介護した身としては介護されたく無い。
イギリスの監督だが、イギリスの風呂で湯をためることは稀有だそう、まあ、日英のええとこどりなんだろうか、でも、イギリスの風景は自国人が見る姿。
深刻な映画ですが、ほのぼのとした感じでした。
錦戸亮が久しぶりに観て良い演技でした。
ありがとうございます😊
普遍的な家族の物語
家族というのは、お互いの人生に『刻み込み合う関係』を持たせるものだと思います。
お互いの関係性において、
・好きか嫌いか
・愛するべきか憎しみあうべきか
・価値観を共有するべきか否か
・守るべきか守らざるべきか
・血が繋がっているか否か(里親でも受け入れられるかどうかを含む)
エトセトラ、エトセトラ…
それらいずれにせよ個人の人生に『刻み込まれ』ます。ただの経験の共有ではないのです。
なので『決して切ろうと思っても切れないもの』なのです。
良い思い出の時には人生の節目として幸があり、悪い思い出の時にはトラウマとして人生に深い傷跡がそれぞれ残ります。心に刻み込まれるわけですから、放っておいて癒せる傷ではありませんし、ましてや時間が解決するなんてことはありえません。
すべては自分の力にかかっています。
主人公の兼三郎も愛する人の心の救済ができなかったこと、息子との関係を修復できなかったことに対して心に傷が刻み込まれます。しかしながらそれらは自分自身で解決するより方法はありません、前に向かって…
イギリスに旅に出るのは妻の力を借りて前に進もうとする心のあらわれだと思いました。
兼三郎が旅する風景は、彼の心象風景のようでした。
そのなかで現地の人との交流などを経て、次第に生きる力を取り戻してゆきます。
そして最後には息子との和解、妻との約束を果たし、あらたなるスタートラインに立つことが出来ます。
妻の明子は「身近な人の記憶失くして生きていたくない」というような事を言います。しかし認知症方々は心のなかに記憶を残しておられます。それは心のなかにしっかりと思い出が刻みこまれているからに他なりません。
『刻み込む』という感覚は人生において決して消えることのない、そして忘れる事ができない事であると思いました。
全95件中、21~40件目を表示