「ロードムービーの形を取っているが…」コットンテール ぺがもんさんの映画レビュー(感想・評価)
ロードムービーの形を取っているが…
出掛ける際、隣人に挨拶されても返事もしない兼三郎。電車では肩がぶつかった乗客に謝りもしないし、市場では店主の目を盗んで蛸を万引きする。こうした冒頭からのシーンで、主人公がかなり自分本位の偏屈な男だという事が伝わってくる。しかし馴染みの寿司屋に入ったあたりで、彼が妻を亡くしたばかりで平常心を失っていたことが分かる。ここまで台詞は少ないが、兼三郎の置かれた状況と明子への愛情の深さが窺い知れる良い導入だ。そしてイギリスで迷子になってしまっても、彼ならさもありなん、というエクスキューズにもなっている。
途中、何度か回想シーンも挿入されるが、過去は過去で出会いから死までが時系列に沿って語られるので、混乱することはない。ロードムービーの体をとっているが、本質的には避けていた息子といかに向き合い、妻の死をいかに受け入れるかという家族の再生の物語であり、特に後者の比重が大きい。
象徴的なシーンがある。明子の臨終の際、病室のドアは完全に閉まってはいない。医者や看護師に声を掛けようとすれば可能なのである。しかし、兼三郎はそうしなかった、と言うよりも部屋の外は関係なかった。彼にとって妻との関係が唯一無二の物であり、外界とは(たとえ、それが息子であっても)積極的に関わるつもりはなく、ましてや明子の死後は閉ざされた世界にひとり住んでいたに違いない。だから、言語が異なり意思の疎通が取りづらい異国において、初めて自分と向き合うことが出来たのだ。
他人に触られることを拒んでいたバッグは妻への執着を表しているのであり、見つかった写真の湖は過去のメタファー。そう考えると、その湖を見下ろし、あれほど手放さなかったバッグを置いて、家族の呼びかけに応じて丘を登った兼三郎は、新たな一歩を踏み出す勇気が持てたのだろう。切なくも愛おしいラストシーンだ。
確かに、別に舞台が湖水地方でなくても成立する物語ではある。しかし、よく見ると監督はイギリス人。おそらく、洋の東西を問わず共通な家族の和解というテーマ(高齢者大国日本を象徴する介護問題も含んでいるが)に、自分自身のアイデンティティでもあるイギリスの田園風景を盛り込んだのではないか。それも納得の美しい映像と、出演者の演技が心に沁みる作品だった。