「普遍的な家族の物語」コットンテール 赤福餅さんの映画レビュー(感想・評価)
普遍的な家族の物語
家族というのは、お互いの人生に『刻み込み合う関係』を持たせるものだと思います。
お互いの関係性において、
・好きか嫌いか
・愛するべきか憎しみあうべきか
・価値観を共有するべきか否か
・守るべきか守らざるべきか
・血が繋がっているか否か(里親でも受け入れられるかどうかを含む)
エトセトラ、エトセトラ…
それらいずれにせよ個人の人生に『刻み込まれ』ます。ただの経験の共有ではないのです。
なので『決して切ろうと思っても切れないもの』なのです。
良い思い出の時には人生の節目として幸があり、悪い思い出の時にはトラウマとして人生に深い傷跡がそれぞれ残ります。心に刻み込まれるわけですから、放っておいて癒せる傷ではありませんし、ましてや時間が解決するなんてことはありえません。
すべては自分の力にかかっています。
主人公の兼三郎も愛する人の心の救済ができなかったこと、息子との関係を修復できなかったことに対して心に傷が刻み込まれます。しかしながらそれらは自分自身で解決するより方法はありません、前に向かって…
イギリスに旅に出るのは妻の力を借りて前に進もうとする心のあらわれだと思いました。
兼三郎が旅する風景は、彼の心象風景のようでした。
そのなかで現地の人との交流などを経て、次第に生きる力を取り戻してゆきます。
そして最後には息子との和解、妻との約束を果たし、あらたなるスタートラインに立つことが出来ます。
妻の明子は「身近な人の記憶失くして生きていたくない」というような事を言います。しかし認知症方々は心のなかに記憶を残しておられます。それは心のなかにしっかりと思い出が刻みこまれているからに他なりません。
『刻み込む』という感覚は人生において決して消えることのない、そして忘れる事ができない事であると思いました。
おはようございます。
ただの経験ではない共有。
消えることのない、忘れることができない『刻み込む』という感覚。
赤福餅さんの言葉を、家族を思いながら納得しています。
認知症に対するイメージについてもすこし観点を変えて取り込むことで、向き合い方に何かしらのしなやかさが生まれる。それはきっとお互いのプラスになりますね。
作品を通しみなさんに気付かせていただいています😌