クレッシェンド 音楽の架け橋のレビュー・感想・評価
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話が真面目に寄りがちなのは、“加害者”側の贖罪意識の表れか
脚本・監督を務めたドロール・ザハヴィはイスラエル出身で、1990年代からドイツに移住し主にテレビ番組の製作に携わってきたという。ザハヴィが本作の着想を得たのは、名指揮者のダニエル・バレンボイムがイスラエルとアラブ諸国の若者たちを集めて結成した「ウェスト=イースタン・ディバン管弦楽団」の活動。バレンボイムはアルゼンチンのユダヤ移民の子で、家族と一緒にイスラエルに移住したが、同国政府のパレスチナ占領政策に批判を続け、ユダヤ人とアラブの民との和解を目指す活動の一環として同楽団を設立した。
第二次世界大戦終結、そしてイスラエル建国から半世紀以上が過ぎ、ドイツ人とユダヤ人、あるいはイスラエルのユダヤ人とパレスチナ人の歩み寄りや相互理解をテーマにした作品は少しずつ作られるようになってきたが、本作の挑戦は、新たな楽団に参加するイスラエルのユダヤ人とパレスチナ人の若者たち、それに親がナチス党員だったドイツ人指揮者という、現代に生きる3つの民族の立場と関係性を描こうと試みたことだろう。実話に着想を得たとはいえ、フィクションの力を借りた平和的解決のための思考実験と言えるかもしれない。
ザハヴィ監督がドイツで製作した本作には、ドイツのユダヤ人への贖罪、そしてイスラエル出身者としてのパレスチナ人への贖罪という、二重の贖罪意識が表れているように感じた(大戦時のユダヤ迫害がイスラエル建国の一因になったし、入植したユダヤ人によって先住のパレスチナ人の多くが家と土地を奪われ狭い自治区に押し込められている)。
若い世代が互いのこと(親の世代の体験を含め)を知り、同じ音楽を奏でることで仲間意識が芽生えていく――という筋に込められた理念はもちろん素晴らしいのだが、ユダヤ人女性とパレスチナ人青年の恋の顛末やそれに影響を受けるコンサートの行方など、やや生真面目でシリアスに寄りすぎの印象を受けた。パレスチナ・イスラエル問題を扱ったフィクションとしては、イスラエルのテレビ局でドラマ制作スタッフとして働くパレスチナ人青年の奮闘を描いた傑作コメディ「テルアビブ・オン・ファイア」(2019)があったが、複雑で深刻な問題を笑いに昇華させたあのユニークさに比べると、物足りなさを否めない。モデルになったバレンボイムの楽団は、パレスチナ自治区のほか各国でコンサートを敢行している。現実より暗い話にしなくてもよかったのに……と残念に思う。
もう一つ気になった傾向は、男性よりも女性の方を、より感情的で、攻撃的で、思慮の足りないキャラクターとして描いていること。たとえば、イスラエル人のホルン奏者シーラの女友達はオーディションに落とされ指揮者スポルクに悪態をつく。シーラはクラリネット奏者のパレスチナ青年オマルと恋に落ち、ベッドで寝る2人を自撮りして件の女友達に送り、その友達に写真をばらまかれてしまう。いくら若いと言っても、イスラエルで暮らして十代後半にもなれば、ユダヤ人とパレスチナ人が交際することに対する周囲の反応は想像できるはず。まるで「SNSにセルフィーをアップして喜んでいる若い女性の言動なんてこの程度」といったステレオタイプの性格づけがなされたのではないか。スポルクにしてもオマルにしても、押しの強い女性にそそのかされて行動したのに、目的を果たせないまま終わってしまうのが不憫すぎる。
このラストに待つ、セリフ抜きの魂の協奏が、パンデミックや格差による分断の時代に、ひとすじの希望の光を示す感動をもたらしてくれたのです。
“世界で最も解決が難しい”とされる紛争が今この時も続くパレスチナとイスラエルから、音楽家を夢見る若者たちを集めてオーケストラが結成されるという、現実にはあり得ない物語に見えます。しかしユダヤ・アラブ混合の管弦楽団は現実に存在しました。
本作がインスパイアされた実在の楽団とは、現代クラシック音楽界を代表する巨匠指揮者ダニエル・バレンボイムと、彼の盟友の米文学者エドワード・サイードが、中東の障壁を打ち破ろうと1999年に設立した和平オーケストラ。ゲーテの著作のタイトルから「ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団」と名付けられたその楽団には、二人の故郷であるイスラエルとパレスチナ、アラブ諸国から若き音楽家たちが集い、「共存への架け橋」を理念に、現在も世界中でツアーを行うなど活動を続けているそうなのです。
実在するこの楽団から着想を得たというのが本作です。若者たちの対立と葛藤、恋と友情を彩るのは、ヴィヴァルディの「四季」より《冬》、ラヴェルの「ボレロ」、パッヘルベルの「カノン」など誰もが知るクラシックの数々の名曲が演奏されます。
タイトルにある「クレッシェンド」とは、「だんだん強く」を意味する言葉です。音楽により生まれた小さな共振が、やがて世界に大きく響きわたっていくことがモチーフとなっているのでした。
物語は、世界的指揮者のスポルク(ペーター・シモニシェック)、実業家でボランティア活動に熱心なカルラ(ビビアナ・ベグラウ)から、紛争中のパレスチナとイスラエルから若者たちを集めてオーケストラを編成し、平和を祈ってコンサートを開くという企画を引き受けます。
オーディションを勝ち抜き、家族の反対や軍の検問を乗り越え、音楽家になるチャンスを掴んだ20余人の若者たち。しかし、当然のように戦車やテロの攻撃にさらされ憎み合う両陣営は激しくぶつかり合ってしまうのでした。
そこでスポルクは彼らをアルプスの南チロルでの21日間の合宿に連れ出します。寝食を共にし、互いの音に耳を傾け、経験を語り合うなかで、少しずつ心の壁を溶かしていく若者たち。中には国同志の対立を超えて、恋に落ちるカップルまで現れるまでに。
けれどもコンサートの前日、ようやく心が一つになった彼らに、想像もしなかった事件が起こるのでした。
本作で感銘を受けたのは、すごく繊細でリアルな演出です。タイトル通り、ユダヤ・アラブ混合の楽団は、当初絶望的なほど喧嘩が絶えない対立が描かれます。その対立を乗り越えるため、合宿中指導者のスポルクは、音楽面だけでなく、精神面でも融合を目指して対立するメンバー同志を向き合わせて、いいたいことを大声でぶつけ合わせたり、ゲームを取り込んだり、川に飛び込ませたり、忍耐強くあの手この手を繰り出すのでした。涙ぐましいほどのスポルクの努力は、少しずつ彼らの演奏の変化につながっていくのでした。 最初はバラバラだった彼らが繰り出す音は、次第に素敵なハーモニーを繰り出すのでした。たとえ小競り合いを繰り返していても、音楽には嘘がつけません。クラッシック好きなら、演奏での微妙な演出の付け方にグッとくることでしょう。
圧巻は、ラストの空港で彼らがそれぞれお互いの母国に帰るため待機しているシーン。ずっと21日間も一緒に合宿を過ごした間柄なのに、お互いに会話もなく帰国の飛行機を待っている状態でした。すると誰かが、ラベルのボレロを刻み始めます。それにつられて、ひとり、またひとりとメンバーたちが演奏を初めて、最後には全員が大団円となってボレロを演奏するのでした。まさにタイトル通りの「クレッシェンド」となったラストでした。
このラストに待つ、セリフ抜きの魂の協奏が、パンデミックや格差による分断の時代に、ひとすじの希望の光を示す感動をもたらしてくれたのです。ぜひこの唯一無二の音楽に触れられてみてください。
転の部分で興醒め
民族間の長い歴史と争いの終着点を見出すのは難しい。2時間くらいの映画で結論が出るなら戦争なんてしてない…とは言えこの作品、前半はそれぞれの憎しみとどう向き合うかとか提示されていて良いのですが、転となる事象が「女子が禁止されてるスマホ写真撮影を浮かれてした挙句友達に送ったら親に言い付けられて連れ戻されそうになり無謀な逃走を企てて結果相手の男子が死ぬ」というよく言えば若気の至り、悪く言えば色ボケからの軽率な行動で演奏会ごとポシャった挙句和平交渉にまで影響が出そうという。
自分が元々「他人に迷惑をかける恋愛をする・恋のためなら何をしても許される展開」が嫌いなので、他の楽団員全員が巻き込まれているのをみると自分の恋路で他人の努力を潰すなよ…とめちゃくちゃ冷めました。
この部分が事実ならあんまり同情出来ないなあ…
敬意と勇気と今決めること
西岸の小さな町の風景が映る。老人が家の前に座る西岸の町。それだけでも私には十分。
コンサートはなかった。
このことはとても重要だと思う。バレンボイムさん、サイードさんが立ち上げたウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団という事実活躍していた(今はどうなのか不明)楽団に嫡孫を得ているようだが、映画タイトルは、Crescendo #makenusicnotwar
#つきの映画タイトル(サブタイトル)!
これは2019年の作品(2018年はまだコンサートしていたみたいそのあとまだ調べてない)
SNS がある今では、秘密なんてどこにもないと映画でも言っていた。若者たちのSNSを禁止しようという提案に対し。
最終的に、私の個人的な考えだがISIS が出てきてアラブの大義もなんもわからなくなり本当に中東も世界中もぐちゃぐちゃになった。このような若者たちのオーケストラ、バレンボイム級のマエストロが率いる楽団のコンサートでさえ、成立しないのだ。
パレスチナ の若者は今毎日目の前にある占領の直接の被害者として生き、また二度と帰れない帰れてもそこにはない家の鍵を拠り所に年老いていく祖父の記憶に生きる。イスラエルの若者は、ナチスに迫害され殺され急死に一生を得てやっとイスラエルの地にたどり着いた世代の記憶を、イスラエルでまた中東戦争に巻き込まれた祖父母たちの記憶を占領している側として生きている。
そしてマエストロの記憶、ナチス党員として両親を失った記憶、マエストロの記憶は、罵り合いに使う記憶ではない。
記憶することは大切。忘れてはいけない、二度と同じ過ち、罪、不幸を繰り返さないための記憶、大切ではないか。記憶をたどり記憶を色褪せたものにしない消さないための血の滲むような映画を沢山見てきた。
でも、この映画を見ながら、記憶を無くしたら?今を生き美しい音を奏でる若者たちが亡霊たちの記憶に囚われ前進できないのなら、、いっそ記憶を消し去ったら、と極端な思いに駆られた。
そしてクレッシェンド版ロミオとジュリエット、トニーとマリアは、なんとも、周りの激しい主張とテンションの中で、なんとものほほんとした風情で、それでも家族の記憶やオンゴーイングな記憶予備軍がそれぞれの生の背景にあり、のほほんとしてもっと強く個性と主張を発してしまうところが、また、、、
コンサートはなかったのだ。
音楽は素晴らしい。どの曲も。泣ける。
コンサートはなく、仲間を失い、マエストロがいない、壁越しの空港での突然のセッション。ガラスの壁を挟んで、段々と奏者が加わりクレッシェンドするボレロ。
絶望と希望を感じる、これから#makemusicnotwar の世界を生きる、若い人たちに、縋るような絶望と希望を感じる。
記憶からハッシュタグへ縋るような思い。
いろいろ言っても希望愛信頼音楽は人を感じさせ動かす。
というわけで日本語タイトルはこの作品も、よくない。
クレッシェンド音楽の架け橋ではないよと思う。
今この瞬間にも新しい戦争が始まっている。クレッシェンドし加速していっているものは一体何なのか、、、
それでもクレッシェンド。敬意をクレッシェンド、勇気をクレッシェンド、記憶は過去のもの、一歩踏み出すのは今、決めるのは今を生きる私たち。
暴力の連鎖を止める
パレスチナとイスラエル、相互不信と痛み・憎しみが歴史ではなく個人と家族の今の記憶である中で、両者が共存する物語を紡げるのか。
インティファーダを想起せずにいられないクライマックスの投石に、音楽で応えたラストシーンが、暴力の連鎖を止めるための個人による一歩だと信じたい。非当事者の無責任な感想だが。
合宿中の「セラピー」で、視線を交わさず、互いに相手を存在しないものとして振る舞う姿に涙が止まらなかった。(昔読んだミエヴィル『都市と都市』を思い出したが、現実世界で同じモチーフが使われることがショックだった)
【追記】駆け落ちしようとした彼の事故?死は現実のメタファーと理解した。衝突事件は往々にして不慮の死で始まり、投石、ゴム弾、爆弾テロ、ロケット弾、空爆と暴力の応酬がエスカレートしてゆく。家族や友人が犠牲になれば、辛うじて存在していた個々の間の理解も、簡単に憎しみにとって代わられてしまう。そこを踏み留まれるかが主題で、彼らは何とか踏み留まったのだろう。
んーどうなんだろ?
実際の話を元にしていますという映画お得意のパターンなんだけど
いつも思うけど、どこまでが事実なのかわからないから入り込めないんだよね
指揮者がナチの子供って所なのか?
演奏者が逃亡しようとした事なのか?
どこが事実かによって一気に物語が変わるよね
そうゆうところで失敗してる感がある
なんなら全て事実で
ドキュメントみたいに撮ってくれても良かったんんだけどな
肝はユダヤの子とパレスチナの子が一緒に劇団で演奏する事なんだけど
実際問題企画物としては良いけれど続けるのは難しそう
最後の演奏シーンはそこそこ胸熱なはずなんだけど
上記のように入り込めなかったから残念でした
まぁ結局思ったのが
音楽では全然解決しない問題
そして時間が経っても
どちらかが有利になっても
解決しない問題だと思った
一体誰だろうね、あそこに建国しようと言ったヤツは...
ま、でも思ったんだけど
こうゆう映画をきっかけに世界の社会情勢に興味を持つ事は悪くないよね
問題提起の最初の一滴としては良いんじゃないだろか?
できるのにできない。しかし、いつかきっと。
ウェスト=イースタン・ディバン管弦楽団が、モデルだそうですね。wiki情報ですが、練習時はワークショップも実施したそうですね。本作の中で描かれたさまざまな民族間の葛藤は少なからずあったのではないでしょうか?
音楽などの芸術やスポーツは「平和」というキーワードで括られることが多いです。共通言語ですからね。どんな民族も奏でるEは同じ音。赤色は赤色、サッカーのルールも万国共通。宗教も思想も政治も関係ないから。でも、それって、対岸の火事としてみている企画者の戯言、妄言なんだろうなぁ。。って思っちゃいます。「火事場の中の人達」の本音は「そんなの二の次」だからです。けど、僕が彼らだったらどうかな?憎しみの連鎖を断てるのだろうか?子守唄のように恨み節を聞かせられながら、実際に被害を受けながら生活していた人間は瞬間でも「赦す」ことができるのだろうか?
本作の「安易な感動仕立てではない作り方」に好感が持てます。決して容易な話じゃないんだとしっかりと提示してくれているスタンスはとても良いと思います。ゆえに、爽やかな涙が流れる作品ではないのです。ですが、それがリアルなのでは?
歴史が変わることはないし、それにより生まれた憎しみも消えないでしょう。しかし、「あの民族は憎いがお前は好きだ、お前だけは認める」ってあるんじゃないかな?親世代、祖父母世代はお前を知らないから嫌うかもしれない。でも俺はお前を認めるよ。ってのはあるんじゃないかな?なんて可能性を信じたくなります。しかし、それ以上に闇は深いのでしょう。あっという間に真っ暗になり、光の道は消えていくんでしょう。でも可能性があることは信じたいです。夢物語かもですが。
本作内の楽団員の活動は民族間の問題解決の「理想型のミニマム」として描かれているのではないでしょうか?彼らの合宿時の活動そのものが「こうやってみようよ!ここから始めてみない?」って訴えているかのようでした。(民族云々じゃなくて、人間関係の構築って面でも気づきがありますよ)そして彼らが迎える結末も、また「理想型のミニマム」として迎えるべきものだったのかもしれません。その結末をどう進めていくか?はこれからの世代に投げられた宿題のような気がします。
彼らの行動がクレッシェンド(次第に強く)になるための「はじまりの一歩」であって欲しい。
作内演出は両民族の隔たりや壁による分断を巧みに描いていたと思います。前編を通して描かれていたそれは、ラストに大きな意味を持って映し出されます。彼らの行動の動機、行動、視線、舞台(環境)、意図的なカメラワークにいつか叶うであろう民族間の和解を願わずにいられませんでした。最高のラストではないでしょうか?最後の曲の意味を知っていればもっと感慨深かったかもしれません。不勉強な自分を恨みました。
実在の楽団の活動が永続的に続きますように。
そこで演奏するとは。
きっとどうにか仲良くなるんだろうとは思っていましたが、喧々囂々な様子にそんなの永遠に無理なんじゃないかとも思い。
一番ヴァイオリンが上手い彼、絶対に仲良くなれないだろうと思っていましたが、意外な展開に。。
彼からヴァイオリンの彼女に手を出して握手を求めた場面や、まさか最後その場所で演奏し始めるとは思いませんでしたが、「きっと彼女は自分の演奏に続いてくれるはず」、という彼女への信頼の目の演技が素晴らしかったです。
「また彼女と、そして皆と演奏がしたい」という決意の演奏を最後に始めてくれて良かったです。
出来ればクラリネットとホルンのカップルのほうは幸せになってほしかったですが。。
考えさせられる映画でした。
2022年ベストムービー!⭐️⭐️⭐️⭐️✨
とても見応えのある素晴らしい作品でした。
この作品は、どちらかと言うと、生活環境がより過酷なパレスチナ側の人物(とりわけ若い世代)に、より同情的に描かれているなと思いました。劇中のセリフにも出て来ますが、"我々は戦車に対して素手で戦っている"という言葉が、象徴的で印象深かったです。
そして、何よりも、その教育環境…とりわけ音楽教育の環境にも差があり、イスラエル人がパレスチナ人の教育レベルについて差別的な発言をする場面もあります。
こうした音楽プログラム(平和コンサート)を企画して、パレスチナとイスラエルの若い世代に託するのは、対立を乗り越えて欲しいという期待からなんだとは思いますが、その"根深さ"は、やはり想像以上のものがあるなと改めて思いました。
ラスト…
不幸な結末となる、イスラエル人とパレスチナ人の若者の恋愛劇も、当事者にしたら非現実的で馬鹿馬鹿しい出来事なのかも知れないなと、ちょっと冷めた目で見てしまう自分自身に気づいてしまいました。
仲間のパレスチナ人の事故死を悼み、空港の隔たれたガラス越しに、彼らが共に演奏するシーンは、あまりにも悲し過ぎます。
ドキュメンタリーではないけれど。
映画というよりはパレスチナ問題に圧倒されてしまいました。ドキュメンタリーではないけど、アクション映画を見ているのとは違う現実問題に圧倒されたのだと思います。私の許容量を越えてしまって処理しきれません。言葉も出ないというのが見た直後の感想です。映画はとても面白かったです。
家でバイオリンの練習中に催涙弾の煙が窓から入ってくる場面が私にはもう驚きです。日本では家にいて催涙弾やテロやミサイルの事は考えません。だから催涙弾の煙や、テロが起きることや、ミサイルが飛んで来るということが想像出来ないのです。
ロープをはさんでののしり合う場面も頭が真っ白になりました。2022年現在、日本国内で国どうしの戦闘で人が亡くなることは有りません。だから現代の若者が戦闘で親兄弟・友人・恋人を殺され憎しみあっている場面に衝撃を受けたのです。
レイラがイスラエル人達と演奏することを母親がヒステリックに反対します。もし私がレイラの父親(夫)だったとしたら母親に言う言葉が見つかりません。日本で母親が娘の人生に反対したら、私は「あなたは娘の人生を生きられない」というかもしれません。だけどあの場面でレイラの母親に、私は何も言えないのではないかと思ったのです。
最後のガラス越しの演奏場面が感動的で素晴らしかったです。
追記2/2(水)
◆パレスチナ問題で1番驚いたことは、ユダヤ教とイスラム教が平和に共存共栄していた期間のほうが長いということ。よく「何千年の宗教争い」なんて言われるが、キリスト教も含めて3宗教はパレスチナやエルサレムでも共存していたらしい。
◆宗教争いというよりもかなり土地争いの感じが大きく 「異教徒は殺せ」なんて話じゃないようだ。今さら「イギリスがウソついたから悪い」なんて言って責めても解決には関係ないな。高校のときの世界史の記憶ゼロを確認♪ヽ(´▽`)/
2022/1/30(日)晴 A
( ´Д`)y━・~~それで?
空港でみんなでボレロを演奏してお終いです。
なんか帰国して事を起こすんじゃないかと期待してましたが終わりです。
和平目的でのパレスチナ人、ユダヤ人混成楽団の話。お約束通りうまく行かず。指揮者の呼びかけでなんとかまとまったかにみえた楽団ですが、楽団のパレスチナ人青年の死で目的のコンサートがおジャン。帰りの空港でボレロ演奏、お終いです。
なんとも呆気ない。帰ってイギリスでコンサートでもするのかと思ってましたが、、、、。
ユダヤ人とパレスチナ人の闘争は果てしない。しかしながらちょっと勉強すればイギリスが悪い事は確か。なんで矛先が違った方に向かっているのか理解できない。
しかしながら問題は解決するのは難しく、問題と向き合っていく姿勢を示していたのは良かったと思います。
やっぱりボレロは名曲ですね…
大好きなボレロ。
より一層、沁みました…
やっぱりハッピーエンドを期待してしまっていたんだなーーーーちょっとしんどかったですね…
んーーなんとも複雑な気持ちで終わってしまって、なんだかな…と思いつつ、でもそれがリアルか…そう簡単な単純なおとぎ話ではないんだよな…と。
帰って改めてパレスチナ問題について調べてより一層複雑な気持ちになってしまったけど、そういう行動にさせてくれた、普段意識していない問題に向き合う機会をくれたという意味で映画としての意義が大きいのでしょうか。
でも、なんたってモデルとなった楽団が実在しているということは希望ですね!
少し期待はずれ。暗すぎる
音楽が国際的は問題や戦争を超えるのかーー。
きっと超えられるのだろう。互いに対話し理解しようとすることが大切だと教えてくれている。
だけどイスラエル、パレスチナの問題は根深い。簡単に超えることはできないんだと。
だけどあまりにも悲惨に描き過ぎじゃない?
パレスチナの青年とユダヤの女性との恋の行方にしろ、コンサートにしろ見ているこっちが悲しく暗くなる。
唯一の救いはフラッシュモブのようなラストのボレロかな。ちょっと期待はずれだった。
ラストのボレロのシーンは美しい
イスラエルに実在するパレスチナ人とイスラエル人による管弦楽団に着想は得ているが実話ということではないらしい。解決の糸口さえ見いだせていないイスラエルとパレスチナの問題をテーマにおいているので映画においても何かが解決するということはない。映画の中で何度も描かれるパレスチナ人とイスラエル人が互いを罵倒し合うシーンはこの問題の深刻さを感じさせる。
しかも、パレスチナ人とイスラエル人の融合につながるエピソードはことごとく失敗する形で描かれる。厳しい現実を棚上げして映画の中に架空の平和を作るようなことはされない。しかし、だからこそラストのシーンで、異なる待合室で飛行機の出発を待つ楽団メンバーが演奏するボレロは美しく響くのだと思う。そこにはまだ希望が存在し得るのだということを表しているのだと思う。
【民族紛争の壁を、最初は小さな共鳴でも"クレッシェンド"のように徐々に強い共鳴に変化させ、乗り越える未来を願う作品。ラストシーンは特に琴線に響く作品である。】
- イスラエルとパレスチナの若者達がオーケストラを結成、対立を乗り越えコンサートに向けて合宿する姿を描いたヒューマンドラマ。
今作品は実在するユダヤ・アラブ混合管弦楽団をモデルにしている。
世界的指揮者、エドゥアルト・スポルクは、和平を目的に敵対する若い演奏家達を集めるが・・。-
◆感想
・バイオリンの腕は一流だが、コンマスに選ばれなかったイスラエル人の尊大なロンとコンマスに選ばれたパレスチナ人のレイラの反目する姿。
・スポルクは彼らを団結させる為に、南チロルで二週間の合宿を行う。
- 最初は反目するイスラエルとパレスチナの若き奏者達。だが、ドイツ人のスポルクの哀しき過去を聞き、徐々に打ち解けて行く。スポルクのイスラエル人とパレスチナ人との軋轢を乗り越えさせようとする手法の描き方も面白く、この合宿のシーンがとても良い。そして、人種の憎しみを超えて、恋に落ちるバレスチナ人のオマルイスラエル人のシーラ。だが、二人を襲った悲劇・・。
<事件に依り、コンサートは中止される。が、空港の待合室のテレビに映ったオマルを見たロンは立ち上がり、ガラスの向こうのパレスチナ人の仲間達に向かい、バイオリンを奏で始める。それに呼応するように、レイラも演奏を始める。そして、最後は全員が立ち上がり協奏曲を奏でるシーンは素晴らしい。イスラエルとパレスチナの民族紛争は簡単には、終息しないだろう。だが、あのラストシーンには、両国の未来に微かな希望を感じた作品である。>
2種類の旋律が奏でるボレロ
パレスチナとかイスラエルとかガザ地区とか。恥ずかしながら詳しい知識は持ち合わせてない。想像できるのは、長い間お互いの主張を譲らずに対立が続いている人たちがいること。この映画は、そんな環境下で自然にいがみ合う若者たちが、音楽を通じてコミュニケーションを取っていく姿を描いている。
観終わった直後の感想は、『惜しい』。非常に上から目線で申し訳ないのだが、あのシーンをこうすれば、このシーンをああすれば、ということをエンドロールの間中考えていた。全体の構成はオーソドックスな3部構成ですが、最後のパートをもっと盛り上げて終わらせて欲しかった。エンドロールで使用する曲も、「威風堂々」みたいな気分が上がる曲で終わってくれると良いのではないかと。クライマックスをもう3段階くらい盛り上げてくれると、憎たらしいけど通じ合えるよね、という理想的なメッセージにくるまれて、帰り道は人に優しくなれるのではないかと思うのです。
文句ばかり書いていますが、アクションもなく殺人もないながらも飽きさせず見応えがある作品なのは、総じて高い構成力のなせる業だと思います。「ボレロ」もいいけど「冬」がいいよね。構成を全く変えずに、どの曲を使用するかという話をしたら盛り上がりそう。
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