「話が真面目に寄りがちなのは、“加害者”側の贖罪意識の表れか」クレッシェンド 音楽の架け橋 高森 郁哉さんの映画レビュー(感想・評価)
話が真面目に寄りがちなのは、“加害者”側の贖罪意識の表れか
脚本・監督を務めたドロール・ザハヴィはイスラエル出身で、1990年代からドイツに移住し主にテレビ番組の製作に携わってきたという。ザハヴィが本作の着想を得たのは、名指揮者のダニエル・バレンボイムがイスラエルとアラブ諸国の若者たちを集めて結成した「ウェスト=イースタン・ディバン管弦楽団」の活動。バレンボイムはアルゼンチンのユダヤ移民の子で、家族と一緒にイスラエルに移住したが、同国政府のパレスチナ占領政策に批判を続け、ユダヤ人とアラブの民との和解を目指す活動の一環として同楽団を設立した。
第二次世界大戦終結、そしてイスラエル建国から半世紀以上が過ぎ、ドイツ人とユダヤ人、あるいはイスラエルのユダヤ人とパレスチナ人の歩み寄りや相互理解をテーマにした作品は少しずつ作られるようになってきたが、本作の挑戦は、新たな楽団に参加するイスラエルのユダヤ人とパレスチナ人の若者たち、それに親がナチス党員だったドイツ人指揮者という、現代に生きる3つの民族の立場と関係性を描こうと試みたことだろう。実話に着想を得たとはいえ、フィクションの力を借りた平和的解決のための思考実験と言えるかもしれない。
ザハヴィ監督がドイツで製作した本作には、ドイツのユダヤ人への贖罪、そしてイスラエル出身者としてのパレスチナ人への贖罪という、二重の贖罪意識が表れているように感じた(大戦時のユダヤ迫害がイスラエル建国の一因になったし、入植したユダヤ人によって先住のパレスチナ人の多くが家と土地を奪われ狭い自治区に押し込められている)。
若い世代が互いのこと(親の世代の体験を含め)を知り、同じ音楽を奏でることで仲間意識が芽生えていく――という筋に込められた理念はもちろん素晴らしいのだが、ユダヤ人女性とパレスチナ人青年の恋の顛末やそれに影響を受けるコンサートの行方など、やや生真面目でシリアスに寄りすぎの印象を受けた。パレスチナ・イスラエル問題を扱ったフィクションとしては、イスラエルのテレビ局でドラマ制作スタッフとして働くパレスチナ人青年の奮闘を描いた傑作コメディ「テルアビブ・オン・ファイア」(2019)があったが、複雑で深刻な問題を笑いに昇華させたあのユニークさに比べると、物足りなさを否めない。モデルになったバレンボイムの楽団は、パレスチナ自治区のほか各国でコンサートを敢行している。現実より暗い話にしなくてもよかったのに……と残念に思う。
もう一つ気になった傾向は、男性よりも女性の方を、より感情的で、攻撃的で、思慮の足りないキャラクターとして描いていること。たとえば、イスラエル人のホルン奏者シーラの女友達はオーディションに落とされ指揮者スポルクに悪態をつく。シーラはクラリネット奏者のパレスチナ青年オマルと恋に落ち、ベッドで寝る2人を自撮りして件の女友達に送り、その友達に写真をばらまかれてしまう。いくら若いと言っても、イスラエルで暮らして十代後半にもなれば、ユダヤ人とパレスチナ人が交際することに対する周囲の反応は想像できるはず。まるで「SNSにセルフィーをアップして喜んでいる若い女性の言動なんてこの程度」といったステレオタイプの性格づけがなされたのではないか。スポルクにしてもオマルにしても、押しの強い女性にそそのかされて行動したのに、目的を果たせないまま終わってしまうのが不憫すぎる。
talismanさん、コメントありがとうございます。お子さんの行動力、頼もしいですね! 異国に赴いて他の民族と交流することで、初めてわかることがきっとたくさんあると私も思います。
「テルアビブ・オン・ファイア」は確かに良かったです。笑っていいんだ!と心が軽くなりました。この映画ではドイツが絡むことによる生真面目さに私もうーんとなりました。セルフィーに関しても同意見です。脇が甘すぎるしあり得ないと思いました。だから映画としては期待以下ではあったんですが、色々と後から考えさせてくれる映画が好きなので評価を途中から上げました。
うちの子どもが何度か勉強のためにテルアビブに行っていて話を聞いてます。そのため親近感があります。一方でエジプトの知り合いも居るので本当に色々考えさせられます。