「理解の及ばぬ他者へ、あの時、気持ちを伝えていたら」うみべの女の子 忍者さんの映画レビュー(感想・評価)
理解の及ばぬ他者へ、あの時、気持ちを伝えていたら
中学生の男女が、苦悩や鬱積を抱えながらも日々をやり過ごし、何も解決せず、救われないままそれぞれの道を生きていく話。良くある話だが、本作は万人受けではない。「ちんこ」「セックス」などのセンシティブなワードに拒絶反応をしていると物語はあっという間に過ぎてしまう。また、「自身の中学時代とは乖離している」「中学生の頃はこんなに性の知識はなかった」などと思っていると、作品が伝えたいことがなかなか入っていかない。
真夏になってもあまり賑わうことのない小さな浜辺のある街(つまり楽しみのない閉塞された田舎町)で、3つ上の死んだ兄のちょっとオトナなTwitterを引き継いでいる磯辺と、先輩とは埋められない心の溝を磯辺で埋めようとする小梅(小梅は先輩にも、心が弾むような何かを期待しているが、その何かは大麻ではなかった)。尽くす磯辺に対して、「(ピザまんじゃなくても)なんでも良かった」くらいの軽率さで、2人が致してしまうのは理解が出来る。(念のため、小梅の下着に着いていたのは経血ではない。処女だったことを意味する。)
原作漫画を読んでいない大半の人は整理が追い付かずに「最後は良かったけど、うーん?」となっていると思う。一度観ただけで言いたいことがわかる人は決して多くはないだろう。私もその一人だった。原作を読んでから、長い年月が経っていた。読み返していなかったので、イベントの時系列と各人の心情(視線の先にあるもの・伝えたいこと・伝えられなかったこと)を整理するのが大変だった。浅野いにおは読み手に楽をさせないのも分かっているので、素直に2回目を観た。すると、1回目では気付かなかった描写や伏線があり、終盤に向かうにつれ感情移入をしていた。状況を逐一整理しながら頑張って観ていないと理解できないようになっている。
磯辺は、1年前に兄が死んだ日と同じ9/15を自殺希望日としている。先輩が大麻を所持しているという小梅の証言やTwitterによる先輩の所在地情報を利用して、どうせ9/15には死ぬんだ、と兄の仇を打つ。(大麻を回されちゃってたかもという小梅の表現に自慢か?と言うのは本人の言う通り確かに中二病っぽい。磯辺の父親は磯辺の自白を聞かなかったため、磯辺はすぐに逮捕されることはなかった。)
終盤、いつものように小梅を追うように歩く描写から一転、初めて磯辺が追い越すシーン。明るく小梅から離れようとする磯辺。キスをしたって全部忘れられる訳はないし、事件を起こしてしまった以上、あの頃にはもう戻れない。今さら両思いにはなれないということが磯辺には分かっていた。泣きそうになるシーンが解りづらかったけど、「嫌いじゃない」がその時の彼の最大限の「好き」だったのかなと思う。
負けず嫌いの小梅が「磯辺に会いに来たんだよ」と言えたとき、磯辺の好きな「優しい人」になりたいと言えたとき、もっと素直に好きと言えたらこうなっていたと、見知らぬ中学生のキスを見て思ったのかな。新しい彼との会話から、磯辺にはずっと自分を好きでいて欲しかったという意図が伝わった。(彼は音楽の趣味が合うことが重要だと言っているが、小梅の音楽の趣味は磯辺(兄)から影響を受けている。)順番を間違えないようにキスをした小梅は、彼女なりの成長をしていたと思う。
若手俳優がみんなすごく良かった。
特に磯辺は替えが効かない。フェンスで小梅を怒鳴り付けるシーンが台詞ありきで演じる余裕が無い感じがしたけど、全体的に磯辺が憑依しているとしか思えなかった。
小梅の「意地の張り合いじゃ誰も幸せになれないんだから。」という台詞が聞きたかった。