「この作品には人生の深みはない」先生、私の隣に座っていただけませんか? 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
この作品には人生の深みはない
クミコが歌う「わが麗しき恋物語」の歌詞には次の一節がある。
五年がたったら あたしはやめてた 煙草をまたはじめ
あなたの浮気が 七回目数え あたしも三回目
視線をそらして 会話も減ったけど どこでもそんなものでしょ
人生ってそうよ 退屈だったって 思い出しながら
(作詞:覚和歌子)
作詞作曲のバルバラによる歌詞はちょっと違っていて、フランス語だからここでは紹介しないが、愛の遍歴を経て初恋の人のもとに戻るという内容だ。覚和歌子さんの詞は完全にオリジナルで、しかし原詞の内容から遠く離れてはおらず、聞いた人をもれなく感動させる詞になっている。まさに職人芸だ。
シャーリーンが歌った「愛はかげろうのように(I’ve never been to me)」にも同じような歌詞がある。英語なので紹介しないが、様々な場所に行ったり、いろいろな愛の遍歴を経たりして、最後は現実の自分に戻ってくるという話である。
いずれの歌も人生の深みを上手に表現していて、特にクミコの歌はコンサートで何度も聞いたが、聞く度に涙が出る。
不倫は文化だというつもりはまったくないが、そもそも浮気の何がいけないのか、当方にはよく理解できない。許すとか許さないとか、浮気された側は被害者なのだろうか。むしろ、個人の所有欲によって他者の行動を束縛することが憲法上、許されることなのかという疑問のほうが先に立つ。不倫を禁止する法律も条例もないのに、離婚の調停や裁判では不倫した側が一方的に非難され、不利な条件を無理やり飲まされる。
本作品は不倫は悪だという価値観がなければ成立しない。不倫された妻は被害者意識の怒りに燃え、不倫した夫は罪悪感に顫える。夫の方は経済的に妻に依存しているから危機感もある。妻は夫を翻弄し、夫はまんまと翻弄される。それだけの話である。見終わってとても不愉快だった。黒木華や柄本佑の無駄使いだ。この作品には人生の深みはない。
私見だが、不倫専門の私立探偵や離婚専門の弁護士がいることを考えれば、世の中は不倫で溢れている筈だ。ラブホがやっていけるのは、セックスを家庭に持ち込まない人がたくさんいるからだろう。週刊誌にはどうすれば不倫が妻にバレないかとか、恐るべし女の勘だとかいった記事が溢れている。ニーズがあるから記事があるのだ。不倫は悪いことだからコソコソとやるものだという共通認識がある訳だ。
不倫を咎めないパラダイムが浸透すれば、気持ちが楽になる人がたくさんいるだろうし、食を楽しむように性を愉しむことのできる社会になるだろう。いまの窮屈な社会よりもよほどそちらのほうがいい気がする。
ねこやさん、コメントありがとうございます。
実は私のアカウント自体が映画.comによって非公開にされてしまい、レビューが一般には見れなくなってしまいました。
フィルマークスに同じレビューを上げていて、最新の分は映画.comにはアップしていません。よろしくおねがいします。
初めまして。度々レビューを拝見しています。作品に対する感想や意見のこともあれば、作品に触発された考えをレビューにされていると感じていますが、どちらにしても共感することが多く、また私の知らない知識や考え方を知ることができて勉強になるため、いつも興味深く読ませていただいています。
本作品は未見なのですが、今更ながらレビューを拝見して同感だなと思いました。公開当時他のレビューを見るなどしてげんなりしてしまい、スルーしていましたが、主演のふたりはよい俳優だと思っていますので、機会があれば観てみたいと思います。