「幸せな時間であった」最後にして最初の人類 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
幸せな時間であった
このタイプの映画は初めて観た。20億年後の人類からのメッセージを読み取ろうと努力したのだが、いかんせん言葉と言葉の間を埋める音楽が長すぎて、何がいいたいのかさっぱり解らなかった。多分音楽からイメージを読み取って、行間を埋めていくことができれば、本作品も理解できたのかもしれないが、当方には音楽の素養がないので、そんな芸当は不可能だった。
ターミネーターが1984年のアメリカにやってきたのは2029年の近未来からである。本作品は20億年後だから桁が違う。そんな途方もない未来まで霊長目ホモサピエンスが存続し続けているのだろうか。人類の浅はかさを前提にすれば、世界大戦も今後何度か起きるだろうし、食糧危機や内戦や新型ウイルスのパンデミックや異常気象や巨大地震も起きるだろう。世界各地にシェルターが造られて、世界大戦や天災地変のたびに人口が減っていくし食糧も底をつく。
それでも生きられるように、人類はやがて進化を遂げるだろう。呼吸だけで生きられるとか、鉱物を摂取してエネルギーに変換できるとかいった進化だ。あるいは環境と深く結合して、風力や地球の磁力や太陽エネルギーによって生命を維持できるようになるかもしれない。
テレパシーなどの超能力もいくつか身に着ける。殆ど動かず、遠くまで届く脳波によって世界中の人と交信し、瞑想することで科学や文化を発展させることができる。言語は形を変えて、誰とでも円滑な関係性を築ける。脳が驚異的な発達を遂げて、もはやコンピュータは不要となる。あらゆる情報は人類共有となり、人類そのものが科学であり文化であり芸術となる。共有の範囲は時間軸を超えて、ついには過去とも交信できるようになる。しかし同時に人類が直面していたのは、アイデンティティの喪失であった。
当方の想像力ではこの程度が精一杯である。ただ、本作品の音楽は大変に心地のいいものであった。加えてティルダ・スウィントンのナレーション。ティルダ・スウィントンといえば映画「ドクター・ストレンジ」や「デッド・ドント・ダイ」などを思い出す。妖しくも超然とした、独特の存在感のある女優で、声もイメージも本作品にぴったりである。あの半透明のような美しい顔を思い浮かべながら、陶然として鑑賞することができた。幸せな時間であった。