「フォーカスポイントが見えない作品」ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ リオさんの映画レビュー(感想・評価)
フォーカスポイントが見えない作品
本作は、 ヨハン・ハリ著 「 麻薬と人間 100年の物語 」 の第一部(ビリーホリデイに関する内容)を映画化した作品とのこと。原作は読んでいないのだが、あえてこの映画の印象だけで言うのなら、何が伝えたいのか主題が見えない印象だった。
公民権運動黎明期に国家権力に抵抗した「シンボル」としてビリーホリデイを描きたかったのか、 1人のミュージシャンとして彼女を描きたかったのか、はたまた波乱万丈の数奇な運命を背負った女性の半生を描きたかったのか。。個人的には、三番目のテーマにフォーカスをして、もう少し丁寧に彼女の「人生」を描いて欲しかった。
一方で、原作の内容からか彼女とドラッグの関係、又は彼女と連邦麻薬局(アンスリンガー)とのやり取りについてことさら触れるのだが、法廷でのやり取りの描き方を見てもやや雑な印象だし、当時のドラッグの問題について本当に描きたかったのか疑問が残るところだ。
1点、十分に評価できるところは、主演のアンドラ・デイの歌唱シーンだ。
ビリーホリデイというビッグネームを扱うにあたり、音楽シーンにはとりわけこだわったことが伝わってくるし、素材の良さが際立っているとも言えるだろう。
主演のアンドラ・デイは、ジャズ・ソウルのシンガーで、もともとビリーホリデイやニーナシモンに影響を受けているそう。ニーナシモンは個人的にも大好きなミュージシャンの一人だが、あの独特の歌唱法はビリーホリデイからの影響を感じる。( もともとクラシックから音楽を開始したニーナシモンは、黒人差別の壁からクラシックをあきらめジャズやソウルに傾倒し、公民権運動の旗手としても活躍した女性ミュージシャンである。)そして、アンドラ・デイ、ニーナシモンともにそのキャリアの中で「Strange Fruit」をカバーしている。
本作の終盤、入院中のビリーホリデイが連邦麻薬局のアストリンガーに、今後一切 「 Strange Fruit 」を歌わないことを強要されるシーンで「 私が歌わなくても、私の孫が歌うわ 」 というセリフが出てくる。正に、娘の世代(ニーナシモン)、そして孫の世代(アンドラデイ)がこの曲を歌い継いでいることは感慨深い。
それから、本作の時代背景となる40年代~50年代のアメリカについて、当時ビリーホリデイは既に売れっ子のジャズシンガーだ。この点について、「Strange Fruit」及びビリーホリデイが主に黒人から人気があっただけでは無いことに注目したい。人種の構成上、白人が圧倒的マジョリティーであり、ビジネス的な成功を納めるには白人からの人気が必須である。その意味では、ニューヨークを中心に、黒人社会やジャズをはじめとする黒人文化に理解を示す層がいたことは確かだ。
その一方、本作の冒頭や作中に度々登場するインタビュアーの白人女性は、ビリーのファンを公言しながらも、黒人文化やそのお作法、そして考え方などには一切無頓着である。 これは、「無意識の差別」、又は「深層心理での差別」といった差別問題が持つ、根深い、より本質的なテーマだと感じた。 (深層心理での差別については、「ゲット・アウト」がそのテーマを扱っていたと思う。)
何れにせよ、当時のアメリカは人種のるつぼ(メルティンポット)であると同時に、今以上に様々な価値観が交錯する「 価値観のるつぼ 」 でもあったことが窺い知れて興味深かった。