「想像以上に良い作品だったが・・」鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎 yoneさんの映画レビュー(感想・評価)
想像以上に良い作品だったが・・
鬼太郎誕生へつながる物語。
どんな作品なんだろう?と思っていたが、「墓場の鬼太郎」の第一話につながるようストーリーがつながれていた。墓場の鬼太郎を最初に読んだときに、鬼太郎のお父さんとお母さんが何故あんな風貌なのかが気になってはいた。お父さんはミイラ男みたいだったし。それを説明できる話ではあった。
ただし、この映画の「M」とかは原作にない設定なので、だいぶ無理があるな、とは感じた。この設定だと、漫画で鬼太郎のお母さんが血を売って輸血された患者が幽霊化して、それを血液銀行の水木が調査して・・みたいな話と整合性が取れない。鬼太郎のお父さんとお母さんの過去を変に美化しすぎて、いらない設定を追加した結果なんだろうな。。
ストーリー自体は、戦後の日本の醜悪さを描き、今のどうしようもない日本と対比させ、日本があまり変わっていないことを語っていたように思う。龍賀時貞(最初死んだとされた当主)のクズっぷりは現代(特に自民党)の政治家にしか見えなかったし。
しかし、個人的にどうにも鬼太郎が「人間の味方」みたいなヒーローとして描かれるのは違和感がある。墓場の鬼太郎を読むとわかるが、別に鬼太郎は人間の味方ではない。幽霊族は人間によって絶滅しかかっている、という設定なわけだし。人間の愚かさを蔑み、本当に人間ってクズだよね、と妖怪(幽霊族)の立場で眺める傍観者でしかない。本来「狐に化かされる」という感性がないと理解できない存在だ。
鬼太郎は今でもアニメ化されており、反復して子供達が観続ける作品になった。その過程で、こんなヒーローみたいな存在に変化してしまったのだろう。私が子供の頃に観た鬼太郎もそうだったもんな。本来妖怪は、人間の敵でも味方でもないはずだ。時代とともに変にヒーロー化した鬼太郎像を、オリジナルの「墓場の鬼太郎」に接続したせいで、チグハグな存在になってしまっている。
もし、作者の水木しげる氏が存命であれば、この鬼太郎の両親の話をどんなストーリーにしたのだろう?おそらく、こんなストーリーにはならなかったんだろうな、と思う。この作品自体は製作者が力を注いだことがわかる良い作品だったが、鑑賞後に水木しげる氏本人がこの作品に満足するのだろうか、元の鬼太郎(+鬼太郎の両親、ついでに作中の水木)の設定と違い過ぎる存在になっているのではないだろうか、ということが気になった。