「お伽噺の裏に・・・」鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎 鬼穏霊禰宜さんの映画レビュー(感想・評価)
お伽噺の裏に・・・
本作品は水木と鬼太郎父のダブル主役の話である。そしてよく考えてみると、水木は横溝的因襲村”哭倉村事情”の殺人譚および「M」の謎をめぐる話。鬼太郎父は妻を捜し求める話とおおまかに原作「墓場~」に沿った幽霊族の血と血液銀行(水木はそこの社員だが)の話。それぞれの二つの流れの主人公なのだ。原作にこの作品が敢えて付け加えたのが前者の話である。そこでのヒロインは沙代。そして彼女が殺人の犯人。彼女は水木にこの村から連れ出してくれる様、依頼する。玉砕崩れでヘビースモーカーの水木はとんだ「白馬の王子」役にされそうに。そして村の地下洞に彼女と乗り込んで芝居を打つ。しかし裏鬼道長田を前にして沙代はその正体を明かされ水木の首を絞める。だが彼女の行動に裏には酷い因襲と先代時貞翁の醜い欲が。これが”哭倉村事情”である。私はここに「ディズニー流お伽噺」の裏を見た。制作の東映アニメーションはそもそも”東洋のディズニー”たらんとして発足した。その「ディズニー流お伽噺」のテンプレは、後継者争いに巻き込まれたヒロインが多く幽閉されあるいは呪いをかけられ、ドラゴンのような怪物に見張られる運命に陥る。それを「白馬の王子」が多くドラゴンや魔獣を倒して姫を救うというもの。これに”哭倉村事情”を重ねると、テンプレの類似が浮かんでくる。そもそも水木は沙代に「白馬の王子」に成ってくれる様に懇願されているのだから。地方領主はその支配の根源として多く土地神の祭祀を担う。そして土地神は多くの場合、龍神(ドラゴン)や魔獣である。さらにそれを補強する物として錬金術や魔術を密かに行っている。(魔女が奥方)その上で後継者争いを巡ってヒロインを幽閉あるいは呪いの対象とする。(沙代が婿をとれば、時弥の強力なライバルと成ったであろう。)そして時には土地神ドラゴンへの人身御供に供される場合すらある。しかし、それは実は一族の呪術性・血の純粋性を保つ為に行われる一族の男達による惨たらしき所業の隠喩であったのかもしれない。洋の東西を問わず、権力者は近親交配の果てに、凶状に走り衰退していく例が数多見られる。こうした運命のヒロインを本来、「白馬の王子」がドラゴンを退治して救い出すのである。だが本作ではヒロインは救われない。ヒロイン亡き後に、その元凶であったドラゴンならぬ時貞翁の霊を討ち滅ぼす水木ではあったのだが。この様に考えると”東洋のディズニー”たらんとした東映アニメーションが今何故、このような「ディズニー流お伽噺」のアンチテーゼと思われるようなサイドストーリーを原作の鬼太郎誕生譚に加えたのだろうか?私個人の考えすぎなのかも知れない。本来、メインストーリーである鬼太郎父とその妻、そして、人間の欲と凶骨鎭魂の感想を中心にすべきで、邪道であるかも知れない。それについてはむしろ他の人に任せたいと思う。