「鬼太郎×犬神家かと思いきや『水木しげる漫画大全集』監修者との激熱コラボ映画だった!」鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎 じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
鬼太郎×犬神家かと思いきや『水木しげる漫画大全集』監修者との激熱コラボ映画だった!
予備知識なしで観に行って、ひっくり返った。
なんだよこれ、超★超★傑作じゃないか!!!
ヤバいぜ。今年の新作ナンバーワンかもしれん……。
(以下、パンフ売り切れ未入手の状態なので、的外れなこと書いてたらすみません)
開幕早々から、ふだんの鬼太郎とはまるで違う空気にビビる。
トンネル? 廃村? おいおいそれ『犬鳴村』じゃん(笑)。
過去篇が始まって、さらにびっくり。
たしかに水木は血液銀行の社員として出てくるのだが、なんだか自分の知っている「鬼太郎誕生秘話」(売血された「妙な血」の持ち主を探して水木が訪ねる話。いわゆる漫画版の第一話)とはまるで異なるストーリーラインらしい。
で、「哭倉村」編に入ってまたまた仰天。
なに? 今回の鬼太郎って、
『犬神家の一族』と『八つ墓村』のパスティーシュなのかよ!?
ちなみに、村のまんなかに湖があるのは『犬神家の一族』。
家の地下に鍾乳洞があって鎧武者が置かれてるのは『八つ墓村』。
『犬神家の一族』の原作では、犬神家は製糸業で成り上がった財閥だが、市川崑の映画版(76)では製薬会社に変更されており、隆盛の背後には戦争と麻薬製造があったことになっている。まさにそのあたりも本歌取りされているわけですね。
次々に起こる猟奇殺人。
跡目争いで醜く反目する家人たち。
三姉妹の設定や性豪の老人など、あちこちに『犬神家』の残滓がみられるが、変な神主が出てくるとか(『悪霊島』)病弱な子供が出てくるとか(『本陣殺人事件』)温泉場があるとか(『悪魔の手毬唄』)、全体に渡って「横溝リスペクト」の要素が散りばめられているのは見逃せない。
ヒロイン・沙代さんのキャラクターは、一見すると『犬神家の一族』の珠世さんを意識しているかのように見えるが、しきりに水木に東京へ連れ去ってくれるよう頼むあたりは『獄門島』の早苗さんにむしろ近いところがある。あとは詳細は避けるが『仮面舞踏会』の美沙さんとか。
ところが事件が進展するにつれて、お話は単なるミステリを超えた『陰陽師』や『幻魔大戦』のような様相を呈してくる。
まずは、ゲゲゲの鬼太郎のオヤジがついに村に登場。いよいよ物語に「妖怪」が絡んでくる(立ち位置はまさに「風来坊」に近く、金田一や椿三十郎のようなヒーロー感がある)。
一方、オヤジと敵対する村の連中は、しばらくすると「裏高野」か「根来衆」みたいな呪法集団としての本性を表わすことに(ふだんはうだつの上がらない農民や使用人が、揃いの仮面を装着した瞬間に「村の意志を遂行する禍々しい集団」に変貌するのは、『犬神の悪霊(たたり)』(78)とか『ウィッカーマン』(73)とか、大量の夜這いものの18禁コミックで散々観て来たクリシェだ)。
この両者のバトルが、キレッキレで、とにかくもう素晴らしいのだ。
なんだよ、鬼太郎映画のくせに、最高級の超能力アクションものになってるじゃないか。
この異次元妖怪バトルのなかで、意外と水木もしっかり戦えているのだが、それが「兵隊上がり」だからというのがまた良い。実際にラバウル戦線の生き残りである「戦争漫画家」としての水木しげるの一面をうまく拾って、作中の重要な要素として消化してみせている。
で、奮戦虚しく、捕われの奥さんの命を人質にとられて自らもつかまってしまうオヤジ。
地下の広大な「工場」で繰り広げられていた、龍賀家(このネーミングって、島田荘司の『龍臥亭事件』を思い出させるよね)の恐るべき秘密とは?
昔、『デイブレイカー』(10)っていうイーサン・ホークが出ているSFホラーがあって、ほぼほぼ同じネタをやっていたのを思い出す。まあ『デイブレイカー』が元ネタというよりは、「水木→血液銀行→血液製剤で財を成した龍賀家→何をつくってた?」という連想ゲームなのだろうけど。
その場でおもむろに始まる、謎解き。
その前に「狂骨」ってネーミングが出て来た時点で「ああああ!」と思ってたけど。
これ……、まんま京極夏彦じゃねえか!!
ていうか、それがやりたくてわざわざ見え透いた横溝正史パロから入ったんだな!
パッと見て、「ああ鬼太郎×京極夏彦だ」ってバレないようにするために!
なんて巧緻なミスディレクション(笑)。見事にひっかかってしまった。
この仕掛けの経緯は、きっと未読のパンフレットにも触れられているのだろうが、想像をたくましくすると、京極サイドから入知恵があったパターンもありうるし、逆に水木プロないしは東映アニメーション側からの気の利いた「御礼」という可能性もある。
なにせ、京極夏彦はあの114巻にのぼる『水木しげる漫画大全集』(2013~2019)の監修者であり、原稿集めから校訂、あとがきの執筆依頼まで、ほぼ手弁当で10年の歳月を捧げてくれた「鬼太郎」の大恩人なのだ(そのせいで新作が出なかったとのうわさも)。
ウソだと思うなら、ネットに転がってる「『水木しげる漫画大全集』制作秘話」を読んでみればいい。マジで頭が下がりますよ。
京極夏彦と「鬼太郎」の関係性はそれにとどまらない。僕は知らなかったのだが、調べてみると鬼太郎4期では自ら1話、脚本を書いているだけでなく、出演まで果たしているようだし(京極堂そのまんまの悪役が出て来るらしい)、本作の監督・古賀豪が2008年に監督した5期のラストを飾る『劇場版ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!』(TVアニメ化40周年)でも脚本監修を務めている。間違いなく、京極夏彦はもはや水木しげるワールドの一部を成す存在であると言っていい。
こうして水木しげる生誕100周年記念の栄えある作品で、鬼太郎世界と京極堂世界がふたたびオーバーラップするのは、考えてみれば「当然の帰結」だったわけだ。
犯人当てに関しては比較的さらっとしたものだし、犯行方法も超常的な要素が強くてミステリ味は薄いものの、「水木には最初から見えていた」という話は、まさに京極夏彦の輝かしきデビュー作のネタを彷彿させるし、あらためて観直したわけじゃないけど、実は結構気を遣ったカメラワークになっているんじゃないだろうか?(要するに水木の一人称視点で沙代さんをあからさまにとらえたショットは敢えて避けて構成されているのでは?)
作中で水木が沙代に見せるとまどったしぐさや、困惑したような立ち居振る舞いも、ダブルミーニングになっていたわけで、観直してみるといろいろ気づかされることがありそう。
あと、沙代さんとお母さんの関係性と最期に引き起こされる大スペクタクルは、そのまんま『キャリー』(76)だよね。抑圧され、虐待され、性的に搾取されてきた少女が、怨念と憤怒と呪いを力学的エネルギーに換えて解き放つカタルシス。悪が虫けらのように踏みつぶされてゆく快感。まさに『キャリー』だ。
終幕に展開される、巨大な「霊樹」と封印というネタは、たとえばアニメでいえば『ロミオ×ジュリエット』とか『ケムリクサ』とか『Rewrite』とか、それこそ類例には事欠かないが、そこからまさか「鬼太郎のオヤジの身体が破壊される」ネタにつなげてくるとは思いもしなかった。
それでエンドロールに至って、何度目かの驚きに撃ち抜かれることに。
あああ、この話って、僕らがみんな知ってる「鬼太郎誕生秘話」の「前日譚」にあたる話だったのか!!!
別に好き放題、魔改造してたわけじゃなかったんだ。
いったん、ここで記憶がリセットされてから、ふたたびオヤジと水木は邂逅するってことなのか……いやあ、そりゃ胸アツすぎるぜ!!
あんだけ「血を抜く」という拷問によって酷い目にあった人間(人間じゃないけど)が、ふたたび「売血」に手を染めるというのは、ちょっとあり得ない気もするけど、逆に言うとそれは、記憶を喪った水木をふたたび呼び寄せて縁(えにし)を結ぶための「呪法」のようなものだったのかもしれない。この哀れな夫婦は、最後の最後は水木を頼るしか手がなかったわけだから。
こうして見てくると、「妖怪」「ホラー」「アクション」「ミステリ」といった界隈でやれる面白そうなことは、全部ひっくるめてぶちこんである、ほんとうに稀有な究極のエンタメ映画だったことがわかる。しかもその諸要素の按分、塩梅が驚くほどうまくいっている。要するに素材はありものやパロディでも、発想と組み合わせとバランスが抜群にいいのだ。
そのうえ、水木の兵役時代と、今まで知られている「鬼太郎誕生」のあいだにぴたっと収まる前日譚、という美しい構成。いや、マジ傑作です。
しかも、本作は『墓場鬼太郎』(2008)のダークで大人向けのテイストをベースにしつつも、『ゲゲゲの鬼太郎』(6期)の独自色――政治批評性と社会風刺性の部分を強く打ち出すことで、沢城版鬼太郎の「延長上」にあることをしっかり主張している(監督の古賀豪も脚本の吉野弘幸も、6期からの続投だ)。
TVシリーズに関しては、あまりに反権力・反保守のノリが逆にきつすぎて、僕は途中で観るのを辞めてしまったくちなのだが、今回の映画に関しては「巨悪」のふてぶてしい存在感と見苦しいほどの卑小さはインパクト絶大で、観ていてそこまで左翼くさい幼稚さは感じなかった。『ヘレディタリー/継承』(18)や『ゲット・アウト』(17)を思わせるラストのネタもなかなか見ごたえがあった。
腐属性の女性客にとっては、オヤジと水木がカップリングされたバリバリに濃密なブロマンスとしてもこたえられない内容だったろう。なにせ、『ジリオン』や『シュラト』で鳴らした関俊彦と、『テニプリ』『DTB』の木内秀信なんだから、そりゃあはかどるよね。ご飯三杯はいけそう。ちなみに木内秀信は、京極夏彦原作アニメの『魍魎の匣』(08)で関口をやってたのが、たぶん今回のキャスティングの決め手だったんじゃないかと思う。
主役ふたり以外の声優陣も、実力派をつぎ込んでいて本当に素晴らしかった。とくに皆口裕子と釘宮理恵の役どころは、意外ながらも妙にはまってて笑ってしまった。
ただ、キャスト表に「謎の少年」とある古川登志夫は、家に帰ってHPを初めて開けてみるまで一ミクロンも疑うことなく、「ただのねずみ男」だと思って観てました。あれはさすがに少年だとは思わなかったなあ……(笑)。
以下、ふと思ったことを箇条書きで列挙しておく。
●とにかくこの作品は、空間を埋める「大気」「空気」の表現が上手い。タバコの煙(昭和感)や湿潤な霧、靄、湯気。光と影。吹く風、飛ぶ虫。つねに「キャラ絵」と「背景絵」のあいだを埋めるなんらかの三次元的な情景演出がなされていて、おかげでつねに「臨場感」がある。
●鬼太郎のオヤジが鬼太郎に似ているのは遺伝子の必然として、ベタ惚れの奥さんがちょっと猫娘に似ていたのにはまあまあほっこりした。夫婦ふたりの生き生きとした風貌が、僕たちが鬼太郎誕生秘話で知る、包帯男と亡霊女のおぞましい風貌に変化する理由も一応しつらえてあって感心しきり。
●鬼太郎のオヤジが監視の目をかいくぐってまで、野湯に入りに行くのって、目玉のオヤジの風呂好きとひっかけてるのか。
●鬼太郎のチャンチャンコが誕生する瞬間は、結構ぐっときたし、猛烈にあがった。あれが「祖先の霊毛で編まれている」というのは鬼太郎界隈ではほぼ常識かと思うが、こうやって家族の一大事にグルグルポンで生み出されたってわけだ……なんて良いシーン! あと、リモコン下駄もパパ譲りなのね。
●鬼太郎のなかで「子供向け」の要素を担う「ゲゲゲの歌」(学校・試験・運動会)を敢えてかけない、流さないというのは見識だと思いながら観ていた。
●鬼太郎のオヤジって、元気だったときはあんなに黒目が小さかったのに、眼球だけになったら黒目でかくなるのなw
●「桜の樹の下には屍体が埋まっている」と書いたのは梶井基次郎。「桜」は日本の象徴でもあるから、人々の犠牲の上に生き血をすすって、紅い華を咲かせて花吹雪を散らせてたって比喩でもあるのかもしれない。
●でも、東映がこうやって公開してしまった以上は、ガチでこれが「正史」ってことでよいんでしょうね。一応「横溝」つながりでしめてみました(笑)。
おはようございます❗️
鬼太郎への関心は、昔テレビアニメで見た記憶がある、程度だったのですが、たまたま京極夏彦さんの小説を読んで興味が湧いたところ、この映画の公開を知りました。で、いきなりあのクオリティだったので、ビックリしたのですが、こちらのレビューでほぼ納得。どころか横溝正史のことも含め、もっと深い作品であることも分かり、リピート決定です。
pipiさんとのやり取りもとても楽しくて奥深くて、おふたりには敬意(というよりもはや畏敬)と感謝しかありません。
うわぁぁぁ、凄い!
このレビュー、どなたの?
っと思ったら例の如く、またまたじゃいさんでした。
いつもながらの秀逸なレビュー、大変勉強になります。
鬼太郎×京極、引っかかりますよぉ。もう横溝ネタとしか思わないですもん(笑)
4期に京極堂が出演してるんですか!わぁ、絶対探して見てみようっとw
アクションは私の世代ですと荒俣や獏さん作品群が浮かびました。
ジリオン&シュラトもリアルタイムで見てますが最近の関さんは電王のモモタロスの印象が強すぎて。
今回久しぶりに「こんな男前な声もまだ出せるんだなー」なんて思ってしまいましたw
(キャプ翼、星矢、サムライトルーパー等のヤオイ小説を書いていた事はありますが、森茉莉や竹宮惠子、中島梓などの系譜と、現在の「腐」とは別物かもしれません)
●の箇条書き、すべて大きく頷きながら大変共感致しました。
とりあえず金田一映画と姑獲鳥&魍魎の匣を観てきまーす。
また共感作にて宜しくお願い致します。