「愛という、映画で語られたこと、もの」鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎 タニポさんの映画レビュー(感想・評価)
愛という、映画で語られたこと、もの
不運とは一体なんなのだろう。
ここ最近、自分は占いにハマっていた。
それは度重なる不運について知りたかったこともある。
自らに定められた運命というものはあるのだろうか。
もし、初めからハッピーエンドが約束されていなかったら?
生まれた時からまるで約束されていたかのように不運が設定されていたとしたら…。
それは考えたくもない事柄かもしれない。
しかし、現実はどうなのだろうか。
今作「鬼太郎誕生」は、容赦の無い作品と言える。
まるで子供向けには作られていない。
観ていても、昭和の横溝正史のサスペンス劇を観ているかのようだ。
主な登場人物となる水木は会社員としての出世の為に、鬼太郎の父親の通称ゲゲ郎は行方不明の妻を探しに、遺産相続に荒れる村へとそれぞれ現れる。
二人はやりとりの中で、互いの境遇を知ることとなり、閉ざされた村で起こる怪異の真相を探ることとなる。
今作は容赦の無い作品と述べたことのひとつに、
未来を担うべき子どもがどのように描かれたか、
という観点を省く訳には行かない。
今作を観れば分かるが、全く救われなかった命が存在する。
それも予め生まれた時からその悲劇か約束されていたかのような残酷さをもって描かれた。
それはただ単に作り手の意図だけでは無いだろう。
こうした悲劇的なことが現実として、本当に多々あると、ぼくは思ってしまう。
日本の年間の自殺者数は2万を超えている。
何の為に生まれてきたのか、と、言葉にもならないで亡くなってしまう命も、この日本社会において存在することを思う。
全く救われなかった命の深いかなしみを前に、水木とゲゲ郎は、未来へ繋がる大事なものの為に、不運をもって生きることを決意する。
人に限られた、ほんの意志しか働かせられない状況、その時に選択出来る物事は何なのだろう。
その中で、せめても出来ることは、未来への想い、そして、愛をもって生きることではないのだろうか。
ぼくは今作が子ども向け作品を数多く手掛ける東映で作られたことに、驚いた。
とても希望を語ったような作品では無いからだ。
それでも、と思う。
今作品は愛を語った映画であった、と。
鬼太郎の〝おかあさん〟が大事にしていたこと、もの、そうした想いが、観る人々の心へ届くことを、願わずにいられない。