「愛した後の行動、そこに愛はあるのか?」桜のような僕の恋人 よしくんさんの映画レビュー(感想・評価)
愛した後の行動、そこに愛はあるのか?
クリックして本文を読む
多くの方が好意的なレビューでありますが、私は普段映画を見てよく泣きますが、この作品ではあまり泣けませんでした。最後、ピンポイントで、春人が桜の帽子をみて、あれが美咲だったのかと気づいて慟哭するシーンは、中島健人の演技は自分のイメージを上回り素晴らしかった。
ただ気になったのは、美咲の病気が分かり、ある時を境に全く春人と会わなくなり、連絡もしなくなり、挙げ句の果てに別の人と付き合ってるから忘れて、というのは映画や小説でよくあるパターンではあるが、現実そんな誠意のない事をやるのかと思う。相手は自分にプロポーズまでしてくれている。自分も好きだ。確かに相手の人生を巻き込むかもしれない。でも愛したのなら、自分の状況を伝えるのは勇気もいるし、時間はかかるかもしれないが、伝えなくて良いのか? こうした映画を見て、同じような事をする人が出たら、これは相手も悲劇だと思う。何も知らされず、一方的に冷たくされ突き放される。良いのか、それで。このストーリーの美咲は独りよがりだし、春人の気持ちを本当に考えているのか?
そんな感想を持ちました。美咲も最後に勇気を出して、春人の写真展に出かけたのは良かったが、そこに至る心情の変化や周囲の愛をもっと表現していたら良かったと思う。
あと、冒頭のデートのシーンで、春人の耳たぶを切ったお詫びデートなのに、春人が正直に写真家というのは嘘でした、とぶっちゃけた時、あそこまで怒るか? とここも現実離れの違和感を感じた。怒るかもしれないが、それをこういう状況の、「デート」でストレートに出して帰ろうとするのか? そうした違和感が幾つもあり、泣けなかったんだと思う。
コメントする