アフター・ヤンのレビュー・感想・評価
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2022.71本目 文学的?詩的?な映画でした。 映像が、どこを切...
2022.71本目 文学的?詩的?な映画でした。 映像が、どこを切り取っても美しかったです。 展開という展開が少なくて、途中少し退屈なときもあったけど、後半にかけてヤンの秘密が解けるときは見入ってました。 観終わったあと「ヤンはたしかに生きていたなぁ」と思って感慨深い気持ちになりました。 映画館を出て歩いているとき、木々や風の音、家族連れの声、いつもより一層魅力的に感じられたのは、ヤンのおかげだと思います。
AIの方が、人間よりアイデンティティを持っている
いろんなところで、監督が小津安二郎監督の信奉者というのが、滲み出ていた。そして、これまでAIというとマーベルとかにあるような近未来の殺戮ものというイメージに囚われがちだが、ヤンが動かなくなったという点、そのヤンがほとんど人間と変わらない点をみれば、小津ドラマの21世紀版。
小津の映画がそうであるように、すごい非日常のドラマがあるわけではないのだが、ヤンの記憶媒体の中を探るうちに、彼の温かみのある思いが垣間見れたり、いまの人間が忘れているそういった温かみのある心根を教えてくれる。
それにしても、本作はミッドサマーでお馴染みのA24の配給だが、万人受けはしないかもしれないけど、いいものを見せてもらえた。
コゴナダ監督独自の静謐な世界観やゆったりとしたテンポにはあらがえない魅力を感じ取るかたもいることでしょう。
人型ロボットが家庭にも普及している未来を舞台にした「アフター・ヤン」を見てきました。韓国系米国人のコゴナダ監督は、小津安二郎監督を信奉しているというだけあって、極めて静謐で哲学的な世界を作り上げました。画面の隅々まで作り込まれ、余計な物が一切映っていません。スタンダードサイズの画面に正対する人物や、画面の奥に人物を配する構図など小津調を取り入れていました。物語は、すべてが整えられ調和した映像の中で淡々と進んでゆくのです。セリフの少ない寡黙な作品でした。 人間そっくりのロボットが普及した近未来。茶葉店を営むシェイク(コリン・ファレル)は有色人種の妻カイラ(ジョディ・ターナー=スミス)と中国系の中国系の養女ミカ(マレア・エマ・チャンドラウィジャヤ)に加えて、ミカの教育係として購入したロボットのヤン(ジャスティン・H・ミン)がいて、4人で暮らしていました。 ヤンは外見も知能も、生身の人間と変わらりません。幼いミカは兄のように慕ってい田のです。 しかしある日、ヤンが故障。シェイクはヤンを修理してくれる技術者を探すことになります。そして修理のために内部構造を調べると、科学的にはありえない“感情”が記録されていました。彼には1日数秒の動画を記録するメモリーが搭載されていたのです。 そこにはヤンが見た映像が1日数秒分ずつ記録されていた。シェイクが再生すると、見知らぬ女性が映し出されます。 ヤン視点の映像は生き生きと弾んでいます。数秒ずつの断片を続けて見ているうちに愛着や郷愁といった感情が喚起されてきて、それらは「記録」というよりヤンの「記憶」と呼んだ方がふさわしいものでした。恋人に注ぐようなヤンのまなざしに、シェイクは戸惑い動揺する。ヤンは人間になろうとしていたのでしょうか? 画面の基調となるトーンはぬくもりはあっても無機質なのに、人工知能(AI)がどこまで人間に近づけるかという主題は、映画にもしばしば表れるみのです。ロボットに心があるかどうかは、SFでは古典的なテーマ。驚くべき速さでA(人工知能)が進化している21世紀、それはもはや現実的な関心事かもしれません。 AIが身近な存在として描かれる作品といえば「her 世界でひとつの彼女」 「アンドリューNDR114」などが浮かぶますが、ヤンのルックスは人間そのもの。それゆえに、養女ミカの相棒であるヤンの喪失を通して描かれる記憶や愛、家族、ルーツについての物語が、より親密で深遠なものに感じられました。このSFには、人間を人間たらしめているものは何か、という問いかけも含まれていると思います。また多様性の象徴のような家族構成を始め、何かを問いかけたいという意志も感じられました。 ただ、知的好奇心は刺激するものの、前作の長編デビュー作「コロンバス」同様、感情に訴えるものに乏しいのです。機械に心はあるかという命題を扱う映画に心が欠けているのは、皮肉です。例えば「ブレードランナー」で雨の中、レプリカント(人造人間)が見せる涙のようなシーンがあれば、と思うのは高望みでしょうか。 話しているのは英語だが、画面は米国らしくありません。淡い色調、東洋風の衣服、シェイクがいれるお茶。俳優たちの表情は乏しく、セリフ回しもささやくようです。東洋的な感覚を美化しすぎているような場面もありますが、コゴナダ監督独自の静謐な世界観やゆったりとしたテンポにはあらがえない魅力を感じ取るかたもいることでしょう。 ジェイクが、もはや家族同然の存在となっていたヤンを救うべく、ヤンの修復していく過程で感じることは、「人間とは何か。人間と機械の違いはどこにあるのか」という問題。ヤンとシェイクがどれほど隔たっているかと問いかけの中に、考えさせるものがありました。
アフター・ヤンはパンドラの箱🐍🐉💀💥
主体の無い執事の様に寄り添うヤンは、 とても静かで優しく、老子の様に達観し、仏陀の様に慈悲に満ちて、家族の一員として仕事をこなしてくれ役に立つ。 それは他方、 無限に活動するし続ける死なない介護型アンドロイドとして無数の人生に寄り添い数多くのプライバシーをメモリーし、AIストーリーを量子的にシミュレーションするリスキーな品物でもあった。 そんな無限も、 メモリーオーバーなのか、圧縮不良なのか、それとも無限の時空から蝶に脱皮したのか? 新鮮な樹々の光景を織り交ぜるながら、静寂な近未来を自動運転車両で平穏な社会を疾走するのはハンドルがなく操縦できない便利で何故か何処に行くのか連れられて行くのか不安で不自然な繰り密室が何処かを駆け抜けていく。
『ブレードランナー』の方が好き(永野さん風で)
つかみOKな、ダンスのオープニングが良くて引き込まれましたが、 基本、静かに淡々と話が進んでいきます。 想定どおり予想範囲内の、内容、着地、ですね。 最初、ん?これで終わり、と思ったけど。 いい映画なんだろうけど、あまり好みじゃないです。 『ブレードランナー』の方が好き。 席の周りが時おりガサガサしてて、静かで美しい世界に浸っているのを邪魔されて、イライラしました(笑) そんな感想です(笑) マナーいい人ばかり、静かな環境で、もう1回観たい。
AmazonのCMみたい
グローバルな出演者
茶葉ブレンド、家の中、風景とかお洒落で今時な感じ よく外国人が考える間違ったアジア風のネオンや屋台が珍しく出てこない、静かなSci-Fi お話はまるで壊れたPCのメモリ修復みたいでした 文化的クロノ、クローンと見分けがつかない 結局原因不明でしたけど、かなり昔からお仕えしていたみたいなので、寿命か容量オーバだったのかな 終わりは悲しいことではない
アート・ムービー
AIが人間的感情を持つって、けして映画の中の世界だけとは言い切れない。いつかAIが感情を持つとしたらヤンのような優しい感情であってほしいな。 ストーリーも映像も音楽もアート的で美しい映画である一方、テンポが遅いのでしっかりと睡眠をとって鑑賞することをオススメします。僕のように寝不足で観ると寝落ちする危険性があります。
ある種の「A24」らしさ
網羅出来ていないものの、「A24」製作作品については必ず鑑賞候補に入れ、日本で観られる作品については9割程度鑑賞済みだと思います。そして、今作もやはりある種の「A24」らしさが感じられる作品ですが、私的にはやや映画評が書きにくい作品でもあります。 今回もまたトレーラーも観ずにチケットを買ったものの、たまたま公開日の朝のワイドショーで紹介されているのを見かけ「あ、そういう作品なのね」と自分には十分すぎる前情報と高を括っていました。しかし、本作を観始めてから設定を把握するまで何度も、「あ、違うのか」とあっさりとは理解させてくれない難解さで、しかも主人公ら家族がおもんぱかる対象「ヤン」は「AIロボット」だというのだからなおさらです。 しかも、中盤以降で「クローン」もいることを知らされるわけですが、ある会話で「(それらを創造した人間は)どうして、我々があなた達と同じでないことに満足できていないと思うのか」と、なるほど、我々は最近になって「多様性」なんて事を言い始めてはいるけど、実は全く解っていないことに気づかされたりもあったり。 セリフは必要以上なく耳から入る情報量は多くない分、視点を変えて繰り返されたり、アート映画的な映像美など目から入る情報で想像力を掻き立てさせようとしてきます。そんな中、聞き覚えがある挿入歌が気になって鑑賞後に確認すると、ああ、なるほどと思いだしたり。 まぁ、冒頭で断った通りまとまりのない映画評ですが、要するに私は1回では理解しきれない映画だったと告白しておきます。でも、悪くはないです。そんなところもある種の「A24」らしさかもしれません。(なんて誤魔化して終わるw)
なんかちょっと予想と違ってた 何が違ってたか上手く言えないけど 少...
なんかちょっと予想と違ってた 何が違ってたか上手く言えないけど 少なくとも 始まってすぐヤンがダメになっていてびっくりした
達観し観念する。歴史には勝てない。
『凱里ブルース』(2015年)や「ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯へ』(2018年)のビー・ガン監督が気になって仕方がない昨今。新作も出てこないし、動向さえ聞こえてこない。で、『コロンバス』(2017年)から5年、やっと2作目というコゴナダ監督作品。小津が好きで、野田高梧からペンネームをコゴナダにした、というだけで相当のオタクな人物だと想像できる。その描く作品は「誰も絶叫しない」のだ。あたかも笠智衆が微笑みながら原節子に「アリガト」という清とした佇まい。ビー・ガンの狂気にも似たワンカット映像とともに、コゴナダ監督の「深い場所にある狂気」をヒリヒリと感じる快感が、本作にもある。 家族のように生活していたAIロボット召使い「ヤン」が突然故障。修理もままならない内に彼の辿ってきた歴史が判明してくる。という近未来ドラマ。長い長いヤンの歴史の帰結に、我々は歴史の一部に過ぎない、という邯鄲の夢のような真理を突きつけられる。前作の『コロンバス』では都市と建造物が否定し得ない歴史の証言者として立ちはだかったのに、似ている。そしてコゴナダ監督は、そんな戦いようのない「歴史」に静かに降伏し、リスペクトしていくのだ。達観し観念し、家族のパターン化を追求した小津安二郎のように。
AIの走馬灯
とにかく聞こえてくる音色が美しい。家族とは何か、愛とは何か、AIと人間との違いは何か。ヤンのメモリに保存されている記憶の断片を見ながら考えてしまう。 AIにも走馬灯があれば、きっと美しい思い出だけがフィルタリングされて、人工脳の中で再生されるのだろう。 ヤンが故障する前に不快な記憶を消去してしまったのだろうか。そうだとすると、ジェイクが再生したヤンの記憶が、追憶のエピソードばかりということに合点がいく。 美しい近未来の映像に目が奪われてしまうが、デストピア的なことも語られている。お金がある人は、自分の親族のクローンを自分の子供として育てていたり、アジア系の子供を合法的に斡旋する組織があったりする。 美しい音楽と映像でα波が次から次へとやってくる。心地よくウトウトしながら鑑賞してもよし、たっぷり考えに耽るのもよし。そんな作品でございます。
趣旨が(映画の構造上)理解しにくい点もあるが、今週では対抗以上。
今年310本目(合計585本目/今月(2022年10月度)24本目)。 ※ 「劇場版ソードアートオンライン」については鑑賞はしたものの(同、2021年版の前作もみています)、おそらく「正当なジャッジ」ができるのは原作ファンメインとなると思うので飛ばします。しいて言えば、アスナちゃん役の戸松遥さんが頑張っていらっしゃった点、次作(6フロア以上の探索?あるの?)の期待もあります。特に減点対象なく5.0)。 さて、こちらの作品。 こちらも近未来のIT技術が発達していたら?という趣旨の、中国(ここでは、大陸のみをさす)の方も入ってきたタイプの映画。最近よく見ますよね。 リアル日本(世界)の2022年時点でもAIという技術は目覚ましく進歩しているので、映画内で描かれていることは完全に達成はされないとしても「趣旨的には」一部達成しているものと思えるし、究極論としては「AIと人間との共存」というテーマであり、この点に関しては映画内での描写が丁寧なのでストーリーとしては入っていきやすいです。この「ITネタうんぬん」に関しては、「ぼくらのよあけ」もそうですが、こちらの映画は主に「大人向け」であるので、小中学生の子が見ることが(積極的に)想定されていない以上、多少高度な話題が飛んできても仕方がないし、趣旨としては理解できます。 ストーリーの展開としては全然違うのだけど、「AIとの共存」という観点では、今年の1月だったか2月だったか、「恋人はアンドロイド」に似た雰囲気(人間とAIは共存しうるか)という部分を感じました。 なお、映画内で「アジア人」という「大きなくくり」で描かれている関係上、「コチュジャン」の話が突如登場したり(←コチュジャンは韓国の調味料)という点は確認はしていますが、それも常識範囲内の話で(換言すれば、一般的な日本の韓国料理店で普段目にしないようなマニアックな韓国調味料の話をされても???になる)、おそらく「アジア人」といっても「中国・韓国(北朝鮮)・日本…」という点を「積極的に」意識していないのでは…と思えます。 他の方も書かれている通り、展開が結構独特で他の映画と比較が難しいものの(あえてあげれば、「恋人はアンドロイド」や「アイの歌声~」?)、趣旨的には理解はできるし、外国からみた「アジア人の印象」という観点では概ね妥当な描写がされている(この点、現代中国で皇帝がいるだの、今だに清王朝が続いているだのといった「なんちゃって中国」にになっていない)点も踏まえると、特に減点対象は見出しにくいところです。 ただ、やはりどうしても「独特な世界観」が終始漂うのも事実なので、気になる方は他の方の評価や、公式サイトやここの予告編なども見て決めることをお勧めします(10/21の週では、「RRR」とこの映画の一騎打ちではないか…という気がします)。 特に減点対象まで見出しにくかったので、フルスコアにしています。
どっち?
ジュブナイルのSF小説をアート映画の監督が実写化、という印象の作品。 セットを含む美術、撮影などがハイレベルで映像はとにかく美しい。一方で、この世界における中国やクローンの位置づけなど、知りたい設定満載で、さてどこから聞いたものやら…状態なのにほぼ説明なくて肝心な話が入ってこない… 美術や雰囲気と、ストーリーのどちらに注目するかで評価が二分される気がする… 僕は後者重視になってしまったので、あまり高い評価は出来なかった…
あまりにもしずか
ちょっとした近未来の話なのだが、 おもしろおかしく描かないことで 情緒やら美しさが浮き彫りになっていた だがわたしにはあまりにも 静か過ぎた 劇場に響いていた 風のせせらぎや鳥の鳴き声は たしかにあのときあったのだと思う あとオープニングはとにかく最高だった あれが30分続いても観ていたと思う
オリジナルはAlexander Weinsteinの短編「Saying Goodbye to Yang」だが・・・
こちらは修復不可能になったヤンを埋葬して別れを告げるという結末で、偏見や命についてを主題にしていたが、本作はヤンの記憶を覗くことで人とロボットとの関係性や生き方を表現している。
まずその家族関係の未来的な在り方。 昨今の差別的問題を排除するハリウッドの意向もあるのだろうが、
夫は白人。 妻はアフリカ系。 子どもはアジア系。 AIは子どものためのアジア系。
さらにダンスバトルシーンでの家族状況が面白い。 性別・年齢・人種など多種多様な在り方がすでに確立しているという設定である一方、隣人たちとの関係もつかず離れずうわべの関係を維持している。
何より、ジェイク【コリン・ファレル】の店にクレームをつけに来る女性客のシーンが印象的だ。 本来「お茶」は適温のお湯を茶葉にそそぎ、茶葉が開き旨味が浸出するものがおいしいとされているが、女性客は粉末状のものを欲している。「手軽さ」である。
監督はこれをAIと比較して本末転倒であるということを揶揄しているのではないか。「養女」、「教育のための兄弟の購入」、「代替品」。短いシーンではなるが、ジェイクの落胆、その後のストーリーの軸となる「生き方」のヒントになるのだろう。記憶とは時間である。その流れをたどることが生きることにつながるのではないか。
監督コゴナダは前作でも親子関係を描いていたし、小津や野田高梧の影響を感じる撮影も落ち着いており、今後ますます期待したい。
喪失と映画
2022年。コゴナダ監督。クローン技術もロボット技術も確立している近未来。中国系の養女を育てる夫婦の元にいる中国系「文化ロボット」ヤンが動かなくなる。すっかりなついてた養女、中国茶に魅せられて仕事にしている白人系の父、忙しく働く黒人系の妻がその喪失を受け止めるまでを静かに描く。 ロボットを製作する巨大企業のインフラ的影響力(GAFA的)、ロボットやクローン技術で生まれた人間の感情や周囲との関係、よくある隣人問題や家族問題、などを含む重層で多様な物語。 ヤンが残した1日数秒の映像を残された夫や妻が見るのだが、巻き戻したりしながらみるそれらの映像は映画製作の比喩になっている。断片化された映像をつないで物語にする映画。特に、監督が敬愛している小津安二郎監督作品の無人のショットのように、定型的な物語に役立つための断片ではなく、物語の「余白」として余韻を残すような断片ショット。そこに物語はもちろんあるのだが、それに収まらない映像。それらは、中途半端に開いたドアやカーテンであり、外の景色を反射しつつ中の人物を透かして写す車窓である。
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