「キューバ危機の裏話です。」クーリエ 最高機密の運び屋 ノリック007さんの映画レビュー(感想・評価)
キューバ危機の裏話です。
原題は、「THE COURIER」で、国際宅配便という意味です。
邦題は、「クーリエ:最高機密の運び屋」です。
邦題の方が分かりやすいです。
60年前くらいのお話です。
日本では、池田勇人が首相を務めていた頃です。
事実を元にした映画ですが、事実を知らないと理解できません。
1960年代がどのような時代なのかを理解していないと、理解できない映画です。
映画「チェ 28歳の革命」、映画「13デイズ」と映画「JFK」を鑑賞したことがある人には理解できるでしょう。
嘘みたいな本当の話です。
それでは、年表です。
1953年9月7日、ニキータ・フルシチョフが、ソ連の最高指導者に就任しました。
1953年から1959年にかけてGRUのピョートル・セミョノヴィッチ・ポポフ陸軍少佐がCIAに寝返って大量の秘密情報をもたらしました。
1959年1月1日、キューバで、カストロ率いる革命政権が成立しました。
映画「チェ 28歳の革命」を鑑賞すると理解できます。
1959年1月、ピョートル・セミョノヴィッチ・ポポフ陸軍少佐は処刑されました。
1960年6月、オレグ・ペニコフスキー大佐は、モスクワで数人の米国人観光客に声をかけ、米国大使館に手紙を渡すよう依頼しました。
1960年12月19日、キューバは、ソ連との共同コミュニケを発表し、共産主義の一員であると、世界に向けて宣言しました。
1961年1月3日、アイゼンハワー米国大統領は、キューバに対して、国交断絶を宣言しました。
1961年1月20日、ジョン・F・ケネディは、米国大統領に就任しました。
1961年、米国政府は、トルコに射程距離が2,400kmで、中距離弾道核ジュピター・ミサイルを配備しました。
1961年4月、オレグ・ペニコフスキー大佐は、出張でロンドンに赴いた際にMI-6に採用され、「ミノックス」という小型カメラによって、彼は111本のフィルムに5500もの文書(7650ページ相当)を撮影しソビエト軍の現状、ドイツ駐留ソ連軍、中ソ関係、ソビエト政権上層部の雰囲気に関する極秘情報を流しました。
1961年8月13日、東ドイツは、東西ベルリン間の通行をすべて遮断し、西ベルリンの周囲をすべて有刺鉄線で隔離し、コンクリートの壁を作りました。
1961年10月30日、ソ連が北極海のノバヤゼムリャ島の上空から爆撃機で水素爆弾が投下され、高度4000メートルで爆発させました。
1961年末、KGBは、オレグ・ペニコフスキー大佐がスパイ行為を疑われていた英国の大使館員アナ・チザムと一緒にいる姿を目撃しました。
KGBは、一年間オレグ・ペニコフスキー大佐を監視し、やり取りを明らかにしました。
1962年10月、KGBは、オレグ・ペニコフスキー大佐と諜報連絡員であるグレヴィル・ウィンを逮捕しました。
1962年10月16日、ジョン・F・ケネディ米国大統領は、キューバに射程距離が2,400kmで、中距離弾道核ミサイルであるSS-4を見つけ、キューバ危機が始まります。
1962年10月28日、ソ連のニキータ・フルシチョフ最高指導者は、モスクワ放送を利用して、キューバから中距離弾道核ミサイルであるSS-4を撤去すると発表しました。
映画「13デイズ」を鑑賞すると理解できます。
1963年4月、米国政府は、トルコから中距離弾道核ジュピター・ミサイルを撤去しました。
1963年5月16日、オレグ・ペニコフスキー大佐は、銃殺されました。
1963年11月22日、ジョン・F・ケネディ米国大統領は、暗殺されました。
映画「JFK」を鑑賞すると理解できます。
1964年4月、グレヴィル・ウィンは、ソ連の諜報員であるコノン・モロドゥイと引き換えに、釈放されました。
1964年10月10日、東京オリンピックが開催されました。
1964年10月14日、ニキータ・フルシチョフは、ソ連の最高指導者を辞任しました。
米国は、キューバと国交を断絶したままです。
北朝鮮は、核ミサイルを保有し、日本全土を射程距離に収めています。
キューバ危機は終わりましたが、日本の北朝鮮危機は終わりません。
平和ボケした日本人は、北朝鮮の核ミサイルのことさえ気にしていません。