RUN ランのレビュー・感想・評価
全182件中、81~100件目を表示
この母親は怖い
母親が子供に怪我をさせたり、入院中に点滴等に細工したりして病状を悪化させる母親がニュースになったこともある。それは、「お子さんが大変な状態なのに、あなたはしっかり看病して大変ね、よく頑張っているわね」と自分に同情して欲しかったり、認めてほしいなどのために危害を加えることがある。恐ろしいことだ。この映画もそういう話かと思ったが、そこまでではなく、ただ可愛いがために自分のそばにおいておきたい、と思ってのことのようだ。
でも、なんとこの母親は自分の子が命を落としたために他人の子を誘拐して自分の子として育て病気にさせている。本当の両親の元で普通に育っていればと思うととても気の毒である。ラストの彼女の言葉で、結婚をし、子供にも恵まれて幸せそうに暮らしているようなので、一安心!
サイコスリラーの良作だと思います。
もう一捻り欲しかった気もしますが、90分の枠に収まっていたのは好印象ですね。
短い事もあって、ずっとハラハラ出来るのも良いところですよね。
オチは余分な気がしないでもないですし、終盤も含めて展開は読める箇所が多いのですが、それを補って余りあるくらいサラ・ポールソンさんが滅茶苦茶怖いです((((;゚Д゚)))))))
キーラ・アレンさんも新人さんとは思えないくらいの演技でしたし、気軽に楽しめる(?)サイコスリラーの良作だと思いますよ。
RUN ラン
鉢植えに種をまいて水をやった。
毎日まいにち水をやった。
日の光や栄養もやった。
くるひもくるひも水をやった。
それなのに芽が出ない。
いつまでたっても芽が出ない。
これっぽっちも芽が出ない。
悲しくなって泣いたけど泣いたって何も変わらないじゃないかと大きな声で叫んだ。
それでもやっぱり信じられなくておいおい泣いた。
地面に膝をついて泣きじゃくった。
ら、鉢植えの横のヒビから芽が出て葉をつけて大きな花か咲いていた。
ママ恐ろし
愛情というものは時に狂気に変わる事があるが、本作はそれを真っ当に描いているサイコホラーだ。サクッと観れる尺だが、こんなにも背筋が寒くなる作品は久しぶりだった。人は幽霊なんかよりも怖いものである。
主人公が身体的なハンデを複数負っている時点でハラハラさせられるだろうと予想はしていたが、観ていてじっとしていられない程のハラハラ感を味わえた。監督のデビュー作、「search/サーチ」もそうだったが、登場人物らの動線は少ないが、その限られた場所にしか無い特有の雰囲気が本作でも体感できる。そこでの様々な攻防こそが本作の見所のため、深く書くことはしないが、変に予備知識だけ増やしてしまうと楽しさの半減は間違いないため、基本まっさらな状態からの鑑賞をおすすめする。
キャッチコピーにもこれは記載されているから書くが、結局のところ母の異常な愛情から娘が逃れる物語だ。タイトルの「RUN」は逃げる意味でのRUNで良いのだろう。
序盤であっさりと片鱗が伺える母が買ってきた緑のカプセルの飲薬。これに娘が疑問を抱いたところから一気に母が恐怖の対象になる。そこから先は優しさすらも狂気に見えるほどのサイコっぷりを全開で発揮する。こういう作品をサイコホラーと呼ぶのだろう。
断罪される母性の狂気
現実の世界でも、母性の狂気にまつわる犯罪はしばしば起こるが、何かしらの同情や理解が伴うものだ。 この作品では、 常軌を逸した方法で実子でもない娘を支配し、彼女の青春を奪ったこの母親?への同情は一切ない。 最終的には、身勝手極まりない悪行として娘から断罪され、始末?される。
最初は、悪意をもって娘を陥れようとしているようには描かれていない。 人格の破綻したサイコなのだから悪意もクソもないが、その表情と言動からは、娘が自分から離れることに怯えている母親の姿しか見えない。 車椅子の娘とそれを支える母親の関係からは、 深い絆さえ伺える。
母親の歪んだ支配欲・独占欲を、 母性と母娘の濃密な関係に転換して見せる演出が、非常に巧だ。 この描き方が、後半の盛り上がりにドライブをかけることになる。
個人的には、 母親の怪しさを確信できて以降も、少しは同情の余地があると思いつつ、 この大人しそうな娘がどう行動するのかを観ていたが、 展開が進むにつれて甘い考えは吹き飛んだ。
娘の疑問が確信に近づいてくると、母親の隠していた狂気が凄まじい形で露出し始めるのである。 そして、愛が裏切られたことを悟った娘の怒りと悲しみは、異常者の狂気を遥かに凌駕する。
結末は、想像以上に厳しいものだった。
仮に、これが自分の身に起きたならと想像してしまう。 血のつながっていない他人であり、自分を支配し殺そうとした鬼・悪魔である。 しかし、自分を育ててくれた母親であり、幼いころからの思い出を共有している唯一の人間でもある。
果たして、殺れるものか。 いやぁ…。
やっぱり殺るしかないかねぇ…。
考えさせられるサスペンススリラーであった。
「自分がいないとダメな人であってほしい」という思考
狭い関係性の中でなら、自分の存在意義を見出すとか自己肯定感を得るとかは比較的容易だろうし、別にそれ自体は悪いことではないと思う。マッチポンプでその状況を作り出しているのでなければ。
高校生相当だけど、自己憐憫に陥らず頭の回転が速く、決断力も強い意志もある主人公には好感が持てる。”Excuse me, thanks!”のところのきびきびした車椅子捌きが好き…だったが。ちょっと意外性を狙いすぎてしまったかな。
よくある親の監禁系
誘拐して軟禁するのはよくあるパターン。
「全てがあなたのため」
よくあるセリフ。
サラさんがお母さん役を演じてたため緊迫感恐怖感が増した。
最後は娘?(他人)の復讐。
ちゃんと復讐で返すのは気持ちがいい
もっと露骨なB級演出を
個人評価:2.0
searchからは一変した仕上がりでやや驚いた。
登場人物の心情描写があまりにもペラペラな為、違和感しかない脚本になっている。この脚本であれば、もっと非リアルに、もっと露骨なB級の演出が必要と感じる。前作がよかっただけに残念。
及第点
サラ・ポールソンは天才だし、代理ミュンヒハウゼンは鉄板だけど、あまりにも飛び出たとこがなさすぎる。かと言ってボロクソ言うような欠点も見つからないし、映画の教科書みたいな映画ですね。私はストーリー破綻してても監督の熱量が伝わるような映画が好きです。
新人の女優さん良い
「search」がすごかったので期待して見てしまった。「search」は、ワンシチュエーションというか、映画全編・パソコンの画面だけで展開ので、斬新でおもしろかった。今回のは、「郊外の家」「病院」「道路」これれが前作でいうところの「パソコンの画面」であって、単純に撮影する情景が多くなった。
登場人物も前作が1人だったのが、2人以上になった。主人公にかかわる人物・配達員や医者や看護師も増えた。単純に人も情景も増えている印象。
ルールの範囲が「パソコンの画面内で表現できること」から「セットと実際にある施設と外で表現できること」に広がった結果、「シチュエーションをどう使うか」になっていて、「物語や心の描写のためにシチュエーションをどう使うか」というふうには感じられなかった。。
まいった
なんびゃくと映画の感想を書いてきたので、じぶんなりの経験則があるのだが、作法のひとつ、としていることに「ものすごく面白かった映画はすぐにレビューを書かない」というのがある。
(読者がいない素人レビュアーなので、作法とか言っちゃうのは、こっ恥ずかしいこと──なのは承知しています。)
推察できると思うが、すごく面白かった映画を見て、すぐレビューを書くと、いわば「興奮さめやらぬ」状態なので、筆が乱れ、結果として映画のみりょくが伝わらないから──である。
(誰にも読まれていない過疎レビュアーなので「筆が乱れ」とか、なんかすごく勘違いした言い回し──なのは承知しています。)
この作法は、超絶につまんない日本映画をみて、憤激しているときも、おなじ。
怒っていると、うまい皮肉が浮かんでこなかったり、罵倒がバシッと決まらない。
で、姑息な小市民のわたしは、難癖や嫌味の文々をあれこれ考えながら、怒りのしずまるのを待ちつつレビューを構築していくという、ひじょうに陰湿なレビュアーをやっている。
だが、往往にして、激怒した場合よりも、おもしろくて興奮状態のときのほうが、うまく文が書けない。
もちろん、さいきんの(というかここ50年間以上)日本映画はわたしを激怒しかさせてこなかった──ていうのもあるが。
(ごまめがはぎしりしているだけ。痛くも痒くも、なんの影響もありません。)
このことは、人様のレビューにおいて、興奮さめやらぬまま書かれたレビューが、ぜんぜん映画のみりょくを伝えていない、ことからも証明できる。
たとえば「すごくすごくすごくすごくすっごく面白かった。」と書かれてあった──とする。発言からは書き手のこうふんが伝わってくる、だけで映画のみりょくは伝わらない。
わたし自身、むかしは修辞を過剰に盛っただけのレビューを書いていたので、経験則になったわけだが、映画は形容詞によって伝わるものではない。むしろ面白かったとかつまんなかったとか要らない。どのみちレビューなんてどれも同じようなことしか言ってない。だから人の触れていない枝葉のことを言ったほうが、ど素人のレビューとしちゃ伝わる。
(これは指南なんかではなく、じぶんのレビューの読者はじぶんだけのなので、じぶんで書いてじぶんで読んで、そう思った──てだけの話です。)
むかしアブデラティフケシシュのアデル~(2013)という映画を見たとき、わたしはものすごくこうふんした。なんつうか異次元的なこうふんだった。けっきょくアデルにレビューを書くのはやめたが、ずっとあとになってレビュー書けないみたいな心境をレビューにした──のだった。
本作はSearching(2018)の監督とのこと。その紹介だけで、ほとんど飛びついた。(ストリーミング配信サービスだけどね。)
とてもこわい。そしてふるえるほど面白い。本気で興奮した。これは時間を置いても多分書けないから書いとく。
アイデアがある。映画そのものに頭の良さがある。てより、なんていうか人類の叡智をかんじる。Searchingのときも、狭い世界の話を展開していながら、家族愛みたいなところへ昇華していた。これの場合は、かんぜんにホラーだけれど、終局で看板「University of Washington Be Boundless」(ワシントン大学、無限の可能性)がクロエの目に入ったとき、それによって生にたいする執着が芽生えたとき(おおげさかもしれないが)わたしは魂がふるえた。
ごまめらしくこの感動を、牽強付会なdis日本映画でまとめるが、おねがいです!日本映画界、はずかしいから、もう映画つくらないで!
ばかなひとに映画をつくってもらいたくない──猛烈にそう感じさせた賢い映画だった。
恐ろしく歪んだ欲望の果て
観始めれば、この親子の異様さはすぐに見えてくる。
娘クロエの服用している薬への疑惑
調べものもさせてくれない母ダイアン
身体障がい者であるクロエのADLの低さから考えると、過保護な母親にしては対応が異常。身体が動かない分、他の技能に目を向けさせるのは当然の選択のはずなのに…。
ただミステリーとして先が読めない事はなく、むしろ「まぁ大体こうだろうな」と想像できるストーリー。内容は90分で出来る限りの展開はやったと言う感じ。
ここから先はネタバレします。
◯
◯
◯
◯
◯
◯
◯
◯
◯
◯
◯
◯
◯
◯
誘拐までして得たクロエへの執着は毒を飲んだクロエを病院へ連れていった部分で判るが、人為的にマヒを起こさせて身体を悪くしたのでは、お世話をしている内にクロエが死んでしまう可能性もあっただろう。何故偽物ではあるが“義親”として愛情で縛る事が出来なかったのか?そんな大切な娘にマヒを引き起こす薬を飲ませる…そんなダイアンが理解できなかった。
ラスト、ダイアンの面会にやってくるクロエ。
指にはリングがつけられているが、マヒはそのまま…本当の両親とは出会ってないままなのだろうか?
疑問は尽きないが、「お薬の時間ですよ」と胃から吐き出される“あのカプセル”にはダイアンでなくても、うわぁ…となる。
手に汗握る
想像を超える展開。
予告編を観て興味を引かれたので、途中までは想定内の展開。
異常な愛情を注ぐ余り、それが虐待に繋がっている話かと思った。
それだけでも結構緊迫感があり、どう落とすのだろうか。
昨日に引き続いて救いのないラスト?と懸念していた。
母親がそれ以上のサイコ、異常者であることが判明し、
ラストに向けて怒濤の息をもつかせぬ興奮が押し寄せる。
ラストシーン、え!母親を許したのと思いきや、またしても想定外。
個人的には快哉を叫んだ。
目には目を!爽快なラストだった。
あっという間の90分、それ以上に長くは感じたが、
もう少し母親周辺など描いてくれても良かったのでは?
ということで☆-0.5。
毒母の悲しく哀れな真実
母娘の歪んだ愛情を描いたサイコスリラー。最愛の娘を溺愛するあまりに異常な行動をする母親だが悲しく哀れな真実を知った瞬間は唖然とした。怒涛のクライマックと衝撃のラストは見応え充分で満足度の高い作品。
2021-128
RUN
想像以上に良かった作品。
物心ついた時から薬を飲んでてそれを親しい人から配布されたらまず疑わないよね。
それを気づいた時の恐怖。自分だったら恐怖通り越して絶望、放心すると思う。
それに気づくクロエすごいと思う。偶然気づいたとはいえ、それを調べようとする行動力。外部から遮断されてるのに何とかしようとする姿に生きる気力を感じました。
外部からの接触を断ち切る。潜在意識に情報を刷り込ませるところにサイコ感を感じた。
最後の最後で繰り返されるのも、好き。
終わり方は満足だが、もっと胸くそ悪い映画終わりでもいいと思った。
90分でみやすい映画です。
※批評には個人の価値が含まれていますのでご了承ください。
※不快な表現があったらごめんなさい。
ヒッチコック・オマージュ
予告編の時から鑑賞したいと思っていたのですが、公開後、それほど評判が良いわけでもなくて、少しだけ躊躇。
ところが、ヒッチコック・オマージュが盛り込まれたサスペンススリラーで楽しかったです😊
前作「サーチ」も好きでしたが、本作もお気に入りの一作になりました。
ただ前作にも言えるのですが、 もう少し派手な「演出」や「エンディング」でも良いのでは?
と、感じてしまった一方で、派手さに欠けるからこそ「ジワリ」とくる怖さにつながっているのかも、とも思います。
コロンビア大学の現役学生の娘役のキーラ・アレンさんは、実際の生活でも車いすを使っているとのことだけあって、車椅子の身のこなしが慣れている感じでした。
また、純粋さと愛くるしい笑顔の向こう側には、毒母との長い生活で刻み込まれた猜疑心があり、
それが時折、微妙な表情の中に見え隠れしているので、観ている方にも得体のしれない不安感がまん延してきます。
お母さん役の、サラ・ポールソンさんの身の毛もよだつ得体のしれない恐怖演技とビジュアル。
これは本当に怖かったです😱
緊急事態宣言とは関係なく、仕事が立て込んで自由な時間がとりづらく、20日ぶりの映画館になりましたが、
やっぱり映画館は良いですね~👍
全182件中、81~100件目を表示