RUN ランのレビュー・感想・評価
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この監督作品好きかも
この監督の「search」もとっても楽しめて今作も楽しめました
あまり得意じゃないゾワゾワくる内容と知らず鑑賞
わりと早めに嫌な予感がしましたがそのまま観続けて正解の面白さでした
クロエ役の女優さんの演技もとっても良くて、サラ・ポールソンがとにかくすごい…
途中からずっとハラハラする展開で、そしてあのラスト
予想できないラストで、それがまた満足度アップ
あれはあのくらいしても許されるのであります
search-サーチ-鑑賞済の人は、序盤でドキッとする?
分かりやすいストーリーながら、最後までハラハラできるTHEスリラー作品で非常に面白かったです!
(設定は違いますが、「ミザリー」を思い起こさせるようなスリル感でした)
劇中の主人公の行動(薬への違和感を素直に母に質問してしまう、暴力で反撃しないなど)も、母娘の関係だからこそそうなると理解できるので、違和感無く観進める事ができました。
徐々に不信感を募らせていくという描写が丁寧で良かったです。
(薬剤師さんに薬の情報を聞き出そうとするシーンや、終盤にコードブルーのアラームで看護が手薄になった瞬間を狙って母が娘を連れ出すシーンなどは、ご都合主義に感じたり「そうはしないだろう!」と思ったりもしましたが…)
序盤、search-サーチ-に登場するフリー素材の女性が出てきたと思うのですが、私の記憶は正しいのか…?
密室系サイコスリラー
この母親は怖い
母親が子供に怪我をさせたり、入院中に点滴等に細工したりして病状を悪化させる母親がニュースになったこともある。それは、「お子さんが大変な状態なのに、あなたはしっかり看病して大変ね、よく頑張っているわね」と自分に同情して欲しかったり、認めてほしいなどのために危害を加えることがある。恐ろしいことだ。この映画もそういう話かと思ったが、そこまでではなく、ただ可愛いがために自分のそばにおいておきたい、と思ってのことのようだ。
でも、なんとこの母親は自分の子が命を落としたために他人の子を誘拐して自分の子として育て病気にさせている。本当の両親の元で普通に育っていればと思うととても気の毒である。ラストの彼女の言葉で、結婚をし、子供にも恵まれて幸せそうに暮らしているようなので、一安心!
サイコスリラーの良作だと思います。
RUN ラン
ママ恐ろし
愛情というものは時に狂気に変わる事があるが、本作はそれを真っ当に描いているサイコホラーだ。サクッと観れる尺だが、こんなにも背筋が寒くなる作品は久しぶりだった。人は幽霊なんかよりも怖いものである。
主人公が身体的なハンデを複数負っている時点でハラハラさせられるだろうと予想はしていたが、観ていてじっとしていられない程のハラハラ感を味わえた。監督のデビュー作、「search/サーチ」もそうだったが、登場人物らの動線は少ないが、その限られた場所にしか無い特有の雰囲気が本作でも体感できる。そこでの様々な攻防こそが本作の見所のため、深く書くことはしないが、変に予備知識だけ増やしてしまうと楽しさの半減は間違いないため、基本まっさらな状態からの鑑賞をおすすめする。
キャッチコピーにもこれは記載されているから書くが、結局のところ母の異常な愛情から娘が逃れる物語だ。タイトルの「RUN」は逃げる意味でのRUNで良いのだろう。
序盤であっさりと片鱗が伺える母が買ってきた緑のカプセルの飲薬。これに娘が疑問を抱いたところから一気に母が恐怖の対象になる。そこから先は優しさすらも狂気に見えるほどのサイコっぷりを全開で発揮する。こういう作品をサイコホラーと呼ぶのだろう。
断罪される母性の狂気
現実の世界でも、母性の狂気にまつわる犯罪はしばしば起こるが、何かしらの同情や理解が伴うものだ。 この作品では、 常軌を逸した方法で実子でもない娘を支配し、彼女の青春を奪ったこの母親?への同情は一切ない。 最終的には、身勝手極まりない悪行として娘から断罪され、始末?される。
最初は、悪意をもって娘を陥れようとしているようには描かれていない。 人格の破綻したサイコなのだから悪意もクソもないが、その表情と言動からは、娘が自分から離れることに怯えている母親の姿しか見えない。 車椅子の娘とそれを支える母親の関係からは、 深い絆さえ伺える。
母親の歪んだ支配欲・独占欲を、 母性と母娘の濃密な関係に転換して見せる演出が、非常に巧だ。 この描き方が、後半の盛り上がりにドライブをかけることになる。
個人的には、 母親の怪しさを確信できて以降も、少しは同情の余地があると思いつつ、 この大人しそうな娘がどう行動するのかを観ていたが、 展開が進むにつれて甘い考えは吹き飛んだ。
娘の疑問が確信に近づいてくると、母親の隠していた狂気が凄まじい形で露出し始めるのである。 そして、愛が裏切られたことを悟った娘の怒りと悲しみは、異常者の狂気を遥かに凌駕する。
結末は、想像以上に厳しいものだった。
仮に、これが自分の身に起きたならと想像してしまう。 血のつながっていない他人であり、自分を支配し殺そうとした鬼・悪魔である。 しかし、自分を育ててくれた母親であり、幼いころからの思い出を共有している唯一の人間でもある。
果たして、殺れるものか。 いやぁ…。
やっぱり殺るしかないかねぇ…。
考えさせられるサスペンススリラーであった。
「自分がいないとダメな人であってほしい」という思考
よくある親の監禁系
誘拐して軟禁するのはよくあるパターン。
「全てがあなたのため」
よくあるセリフ。
サラさんがお母さん役を演じてたため緊迫感恐怖感が増した。
最後は娘?(他人)の復讐。
ちゃんと復讐で返すのは気持ちがいい
もっと露骨なB級演出を
及第点
新人の女優さん良い
「search」がすごかったので期待して見てしまった。「search」は、ワンシチュエーションというか、映画全編・パソコンの画面だけで展開ので、斬新でおもしろかった。今回のは、「郊外の家」「病院」「道路」これれが前作でいうところの「パソコンの画面」であって、単純に撮影する情景が多くなった。
登場人物も前作が1人だったのが、2人以上になった。主人公にかかわる人物・配達員や医者や看護師も増えた。単純に人も情景も増えている印象。
ルールの範囲が「パソコンの画面内で表現できること」から「セットと実際にある施設と外で表現できること」に広がった結果、「シチュエーションをどう使うか」になっていて、「物語や心の描写のためにシチュエーションをどう使うか」というふうには感じられなかった。。
まいった
なんびゃくと映画の感想を書いてきたので、じぶんなりの経験則があるのだが、作法のひとつ、としていることに「ものすごく面白かった映画はすぐにレビューを書かない」というのがある。
(読者がいない素人レビュアーなので、作法とか言っちゃうのは、こっ恥ずかしいこと──なのは承知しています。)
推察できると思うが、すごく面白かった映画を見て、すぐレビューを書くと、いわば「興奮さめやらぬ」状態なので、筆が乱れ、結果として映画のみりょくが伝わらないから──である。
(誰にも読まれていない過疎レビュアーなので「筆が乱れ」とか、なんかすごく勘違いした言い回し──なのは承知しています。)
この作法は、超絶につまんない日本映画をみて、憤激しているときも、おなじ。
怒っていると、うまい皮肉が浮かんでこなかったり、罵倒がバシッと決まらない。
で、姑息な小市民のわたしは、難癖や嫌味の文々をあれこれ考えながら、怒りのしずまるのを待ちつつレビューを構築していくという、ひじょうに陰湿なレビュアーをやっている。
だが、往往にして、激怒した場合よりも、おもしろくて興奮状態のときのほうが、うまく文が書けない。
もちろん、さいきんの(というかここ50年間以上)日本映画はわたしを激怒しかさせてこなかった──ていうのもあるが。
(ごまめがはぎしりしているだけ。痛くも痒くも、なんの影響もありません。)
このことは、人様のレビューにおいて、興奮さめやらぬまま書かれたレビューが、ぜんぜん映画のみりょくを伝えていない、ことからも証明できる。
たとえば「すごくすごくすごくすごくすっごく面白かった。」と書かれてあった──とする。発言からは書き手のこうふんが伝わってくる、だけで映画のみりょくは伝わらない。
わたし自身、むかしは修辞を過剰に盛っただけのレビューを書いていたので、経験則になったわけだが、映画は形容詞によって伝わるものではない。むしろ面白かったとかつまんなかったとか要らない。どのみちレビューなんてどれも同じようなことしか言ってない。だから人の触れていない枝葉のことを言ったほうが、ど素人のレビューとしちゃ伝わる。
(これは指南なんかではなく、じぶんのレビューの読者はじぶんだけのなので、じぶんで書いてじぶんで読んで、そう思った──てだけの話です。)
むかしアブデラティフケシシュのアデル~(2013)という映画を見たとき、わたしはものすごくこうふんした。なんつうか異次元的なこうふんだった。けっきょくアデルにレビューを書くのはやめたが、ずっとあとになってレビュー書けないみたいな心境をレビューにした──のだった。
本作はSearching(2018)の監督とのこと。その紹介だけで、ほとんど飛びついた。(ストリーミング配信サービスだけどね。)
とてもこわい。そしてふるえるほど面白い。本気で興奮した。これは時間を置いても多分書けないから書いとく。
アイデアがある。映画そのものに頭の良さがある。てより、なんていうか人類の叡智をかんじる。Searchingのときも、狭い世界の話を展開していながら、家族愛みたいなところへ昇華していた。これの場合は、かんぜんにホラーだけれど、終局で看板「University of Washington Be Boundless」(ワシントン大学、無限の可能性)がクロエの目に入ったとき、それによって生にたいする執着が芽生えたとき(おおげさかもしれないが)わたしは魂がふるえた。
ごまめらしくこの感動を、牽強付会なdis日本映画でまとめるが、おねがいです!日本映画界、はずかしいから、もう映画つくらないで!
ばかなひとに映画をつくってもらいたくない──猛烈にそう感じさせた賢い映画だった。
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