「権力の闇、人道の危機、不屈の信念。日本にとっても他人事ではない」モーリタニアン 黒塗りの記録 高森 郁哉さんの映画レビュー(感想・評価)
権力の闇、人道の危機、不屈の信念。日本にとっても他人事ではない
9.11の後、米軍のグアンタナモ収容所でひどい拷問や虐待が行われていたことは日本でもひところ大きく報じられたので、名称ぐらいは覚えている人も多いだろう。本作の主要人物の1人、モーリタニア人(=モーリタニアン)の青年モハメドゥ(タハール・ラヒム)は、同時多発テロに関与した容疑で逮捕され、同収容所に送られる。これはモハメドゥの手記と関係者の取材に基づく実話ベースのドラマだ。
裁判も受けられないまま長期間拘禁されているモハメドゥをプロボノ(公共善のため無報酬)で弁護することになるのが、人権派の弁護士ナンシー(ジョディ・フォスター)。一方、軍属の検察官ステュアート中佐(ベネディクト・カンバーバッチ)は、「モハメドゥをテロ首謀者の死刑第1号にすべく起訴せよ」と命じられる。
カンバーバッチが出てきたあたりで、有罪にしたい検察側と無実を訴える弁護側が争うありがちな法廷劇かとも思ったが、ほどなく早合点だと気づく。ステュアートは、調査に着手して早々に供述書などの資料に不審を抱き、軍属の立場よりも法律家でありキリスト教信者である自身の心の声に従い、真実を求めていくのだ。
ストーリーはこの3人の視点で語られるが、ナンシーとステュアートという、立場は違えど不屈の信念で公正さを貫こうとする2人の法律家の奮闘はリアルタイムで描かれる。一方、モハメドゥのパートは主にナンシーが受け取った手記に基づく回想シーンとして、4:3のスタンダードサイズで区別すると同時に、横幅の狭い画面比率で理不尽にとらわれの身となった閉塞感を強調してもいる。
この劇映画は製作面の主に2点で、公正さを確保できているように思う。第1に、弁護側のナンシーも検察官のステュアートも実在の人物であり、双方から脚本作りの段階で話を聞いていること。つまり、片方の立場から一方的な主張をするプロパガンダではないということだ。
第2は、本作がイギリス映画であること。カンバーバッチが共同経営者を務める英製作会社SunnyMarchが映画化権獲得に動き、監督のケヴィン・マクドナルドも英国人だ。もしハリウッド製作だったら、米軍の黒歴史に光を当てる映画を果たして客観的に作れたかどうか。米主導の対テロ戦争では、ブッシュとラムズフェルドが「大量破壊兵器」の大嘘で始めたイラク戦争に、当時の英ブレア政権が参戦したのは不当だったと、のちに英調査委員会が結論づけた。英国人なりの贖罪と名誉挽回の意識が、カンバーバッチたち製作陣にあったのではないかと想像する。
それにしても、本作を観て痛感するのは、強大な権力を持つ組織が個人の人権を蹂躙する構図という、悲しき普遍性だ。森友学園をめぐる公文書の改竄を指示された財務局職員の赤木俊夫さんが自殺した事件。在留資格を失ったスリランカ人ウィシュマ・サンダマリさんが収容された名古屋入管で死亡した事件。ブラックな労働環境で精神を病んだり自殺したりする人も大勢いる。人権を侵害され、非人道的な扱いを受けた人たちや遺族に対し、公正で誠実な対応がなされない社会でいいのだろうか。日本で生きる私たちにとっても、他人事ではない。