「私は最後スッキリしました。(考察)」鳩の撃退法 こうのさんの映画レビュー(感想・評価)
私は最後スッキリしました。(考察)
小説未読・1度映画を鑑賞しただけの考察なので、違った見方があれば教えてください。
まず事件の夜、本当にヒデヨシは家族を救えたのか?
妻と子供を連れて逃げおおせることができたのか。
…違うのではないでしょうか。
あの夜、妻と子供、郵便局員の男は処分され、ヒデヨシはどうにもならない現実を目にしながら、誰かどうにかしてくれと、ピーターパンの小説に擬えて手と手を打ち鳴らすことしかできなかった。
津田はそれさえも読み解いたのではないか。
そして小説にて、その場面だけを意図的に改変(郵便局員の男が車に乗り込んで暴走する辺りからかと思います。)することで、小説家としてせめてヒデヨシを救ってやった。
最後にヒデヨシが津田に文庫本を返しにきたのは、小説の中だけでも理想の世界を創り上げてくれた津田に対して感謝を込めて。
最後のシーンで、ヒデヨシと共に車内にいたのが妻や子供ではなく、倉田だった違和感からこのように考察しました。
ヒデヨシを大切に思っている倉田は、津田が全てをノンフィクションで書き上げていたら制裁を加えていたのではないでしょうか。
裏切られても裏切られても、昔得られなかった"家族"というものへの憧れから妻を許そう、許容しようとしてしまうヒデヨシ…
ラストシーンでヒデヨシを見捨てず共にあることや、3000万円の使い道からも残虐なだけの男ではないこと・血は繋がっていなくても自分と同じ境遇で理不尽に虐げられる(た)子供達(ヒデヨシ)を愛していることが汲み取れる倉田…
今回は『何が現実で、何が虚構なのか』に注目することに注意してしまいましたが、また鑑賞することがあれば、次はこの不器用で哀しい男達に焦点を当てて物語を楽しみたいと思いました。