「死そのものは悲劇ではない」やすらぎの森 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
死そのものは悲劇ではない
老いと死は永遠のテーマである。人は歳を経れば必ず老いるし、必ず死ぬ。中には老いる前に死ぬ人もいる。若者の死因の第一位はこのところずっと自殺だ。老いを経験しなくても、人生を終わりにするのは常に死である。ファラオの昔から、人は不老不死を願ってきた。しかし一方で多くの人々が自殺している。人は必ずしも人生を望んでいないのだ。
本作品のテーマも老いと死である。人々の近づかない湖のそばの森の中に掘っ立て小屋を建てて住んでいる。毎朝湖で泳ぐのは淡水浴に排便も兼ねているのだろう。湖の生物の餌になるだろうし、そこで釣った魚を食べる。ミニ食物循環だ。
穏やかで永遠にも思える森の暮らしだが、森林火災の恐怖は常に存在する。永遠の安住の地は地球上に存在しないのだ。大規模な森林火災は町を焼き尽くし、家族や友人を奪う。子供の頃に焼け出されたテッドは、森林火災の絵を画く。あの恐怖は、どれだけ年月を経ても少しも衰えることはない。
人間は社会的な動物だから、社会との関係を完全に遮断して生きるのは難しい。自給自足の生活でも、金融資本主義の社会では金が必要だ。酒好きのトムには特に必要だろう。
男たちに受け入れられたジェルトルードは、病院の薬を飲むのをやめ、甥のスティーヴが作った薬草茶を飲んで、日に日に元気になっていく。この描写は特に頷ける。人体は自浄作用があり、自ら治癒する力もある。薬はそれらをすべて奪い去る。芝を緑化しようとして緑色のペンキを吹き付けるようなものだ。芝は枯れてしまう。水を与え、自然の肥料を少しだけ撒けば、芝は自分で緑色に輝く。
まとまりのない作品だが、テッド、トム、チャーリーの3人の男たちと老女ジェルトルードのそれぞれの人生が、肯定されるべきものとして描かれているように感じた。名もなき人生、たかが人生、されど人生である。別れは悲しいが、死そのものは悲劇ではないのだ。