劇場公開日 2023年4月7日

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「あらゆる些事を忘れて、女を、そしてショットを見よう。」ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう 慎司ファンさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0あらゆる些事を忘れて、女を、そしてショットを見よう。

2023年4月16日
PCから投稿

あらゆるショットがビスタサイズで適切にフレーミングされているとはいえ、
不要としか思えないショットがあまりに多すぎる。
素晴らしく単純なストーリーが、150分の尺を持たされる必然性は皆無と言える。
矢鱈に使用される既成楽曲も、映像と音響の結合による表現として有効な部分は殆どなく、
ラストの言い訳がましいナレーションもなくてちっとも構わない。

しかし、そうして噴出した不満は、全て大目に見よう。
つまらない些事に囚われて、目の前の画面を見過ごすような愚かしい振舞いはやめにしよう。
では、何を見るのか。

第一に、女を見よう。
それは主役のリザであり、サッカーをする子供たちをスローモーションで捉えたシーンでひときわ目を引く少女であり、その他画面に登場する、ありとあらゆる女性たち(老いも若きも)である。
彼女らの髪、瞳、顔の輪郭、表情、仕草、或いはふくらはぎの脈動に対するコベリゼ監督の執着は、「こんにちは、マリア」におけるゴダールのミリアム・ルーセルに対するそれ以来とも形容できるほど、変態的な域に達している。
女性に見惚れさせてくれる映画が世界中で絶滅しかけている現在、
登場する女性に悉く見惚れさせてしまう本作は、それだけで貴重である。

と同時に、ショットを見よう。
思えば、人物がなにやら会話している場面でもその台詞を録音することを拒否し、
申し訳程度に音楽や環境音をつけたシーンが無数に配された本作は、
はなから観客に、サイレント映画のごとく、ショットを見よと強要していたはずだ。
水準の高いショット群の中でも、ひときわ胸をざわつかせたいくつかのショットが、
脳裏に蘇ってくる。
例えば、主役二人が呪いを受ける前に別れる夜の交差点を俯瞰した超ロングショット、
例えば、ギオルギにサッカーボールを借りに来た子供たちが、見知らぬ男と化したギオルギの元を去ろうとしたとき、ベランダから不意に出現するボールを捉えたショット、
例えば、カフェの店長の依頼で二人がケーキを調達しに行った店のある丘の上で、
何やら祝い事を催しているらしい若者たちが、木の下のテーブルに次々と集まってくるショット、
そしてもちろん、16mmフィルムに映っていた、主役二人の照れ臭くはにかむショット…。
しかし、それら全てを差し置いて最も素晴らしい、
ワールドカップ決勝の夜に、リザの家までの帰路を行く二人を望遠のクローズアップでフォローパンした長回しのショット、この美しさはただ事ではない。
この1ショットだけで、この監督の次回作、あるいは日本未公開の作品に対する無際限の期待を抱かざるを得ない。

ともかく見よう。そして期待しよう。
いま新たな作家が発見されようとしている。

Ka!