秘密の森の、その向こうのレビュー・感想・評価
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母娘の関係はまた独特なのか。
母親と娘との関係は、父親と息子との関係とは、また違う人間関係なのかとも思います。そう思ったのは、実は、家内と(まだ子供だった)娘との口論を聞いたときでした。
息子が小学生でも高学年か、中学生くらいになると、さすがに一端の理屈を構えてくることもあるので、評論子と口論のような状況にもなったりもすることがあります。
それでも評論子には「相手はまだ子供」ということが意識の何処かにはあるのですが…。
しかし、同じ年頃の娘と母親(家内)との口論を聞いていると、まったく対等な「女同士」のような言い争いでした。
(母親=家内の目線からは、相手はまだ子供だという意識は窺えないような感じ。)
そう考えると、本作のネリーも、母親マリオンから聞いた、まだマリオンが子供だった頃の話を、自分と同い年くらいの歳の子供として目の前に現れたマリオンに、何の不思議もなく投影・追体験できるという心情も、あながち判らない訳ではないように思われます。
プロレビュアー氏のコメントによると、本作のセリーヌ・シアマ監督は、女性同士の心情を描くことに長けた方であるとか。
そうすると、本作も、ネリーと母親マリオンとの心情を鮮やかに描いた一本ということになりそうです(まだまだ鑑賞力不足の評論子には、断言ができませんけれども。)
少なくとも、シアマ監督の他の作品もじっくりと観てみたいという意欲が啓発された一本になりました。評論子には。
自然の音が、心を癒やす
少女の判別に戸惑った
祖母を失い悲しみに耐えかねて姿を消した母と森を探索する少女の出会いを描いた物語。自然の美しい映像が印象的ですがストーリーが曖昧で内容が良く分からなかった。愛らしい少女二人がキュートで魅力的ですが非常によく似ていたので見分けがつかず青と赤の色で判別しました。
2022-210
久々に映像だけに浸る
『燃ゆる女の肖像』のセリーヌ・シアマが監督・脚本という事らしいですが、正直言って私はこの『燃ゆる~』の方はあまりピンとこなかったというか、個人的にLGBTものの作品自体に苦手意識があるみたいなので、その種の作品には積極的には手を出さない人間なのです。
で、本作はLGBTものでなかったせいなのかどうかは分かりませんが、やっとこの監督の凄さや才能を冷静に理解出来たというか、私にとってはほぼ完璧な作品でした。
でも公開時は鑑賞を見送ったのに何故再映で鑑賞したのかというと、私が最近よく見るYOU TUBEの、社会学者で映画批評家の宮台真司氏の動画をたまたま見て本作を絶賛していたので急遽観たくなったのです。
この宮台さん、非常に辛口の批評家で社会や政治については、普段自分が思っていても中々言語化できないモヤっとした感覚を見事に言語化してくれるので、最近けっこう贔屓に動画を見ているのですが、その宮台さんが本作については、傑作だと絶賛している割には何が良かったのかは、いつもの歯切れはなくボンヤリとした表現で素晴らしかったという程度だったので、何処がどう良かったのかを確かめたくて鑑賞しました(笑)
で鑑賞して今まさに感想を書こうとしている訳ですが、傑作であることは間違いないのですが、私も何が良かったかを具体的に言語化するのはちょっと難しく、何から書こうか迷っています(苦笑)
暫く考えたのですが、そもそも論で言うと映画(芸術)って元々が言語化出来ないものを映像で表現する道具ではないのか?という事に立ち返りましたよ(爆)
しかし、商業映画・娯楽映画という表現ばかり観ていると説明が無いと分からない人達が増え、そういう人達が本作を観ても説明はほぼ無いので難しいという事になるとは思いますが、言語化して説明し難い微細な感覚や感情をテーマとして扱う作品の場合、如何に直接心に訴えるかの伝達手段として、その最大の武器(表現方法)として存在するのが映像でありアートだと思います。
本作の場合、誰の人生に於いても絶対について回る“別れ”“決別”“孤独”“哀しみ”等々、その時に湧き上がる感情をたった73分で映像表現するセリーヌ・シアマ監督の才能に驚嘆させて貰いましたが、冒頭車を運転する母親の口に後ろから娘がお菓子を入れるシーンからラストシーンまで、ずっと一貫して母と娘の繋がりの作品でした。
【”こんにちは、さようなら・・、Petite Maman・・。”今作は、8歳の少女を主人公に、時を越えて三世代を繋ぐ、喪失と癒しのファンタジックムービーである。】
■ネリーは、亡くなった祖母も自宅を片付けるために、両親と森の中の家を訪れる。だが、哀しみから、姿を消してしまう。
時間を持て余し、独りで森で遊ぶネリー(ジョセフィーヌ・サンス)の前に、”マリオン”と言う、母と同じ名前の同じ八歳の少女(ガブリエル・サンス:勿論、ジョセフィーヌとは双子である。)が現れる。
そして、ネリーが”マリオン”に自宅に誘われると、そこは祖母の家だった・・。-
ー 資料によると、このファンタジックな作品を撮影している時に、セリーヌ・シアマ監督は迷いが出ると、”宮崎駿監督ならどうするか?”と自問したという。
現在、愛知県では”ジブリパーク”が絶賛公開中であるが、宮崎駿監督の影響は大きいのである。-
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・出会った少女の名が母と同じ名前の、”マリオン”で、自宅が祖母の家とくれば、この物語が時を越えて、三世代の血のつながった女性の物語だと分かる。
・ネリーと”マリオン”は、仲が良く、森で遊んだり、クレープを焼いたり・・。
・”マリオン”のお母さんは、杖を突いているが、(冒頭、杖をマリオンが貰うシーンがありますね。)若くて、ネリーにも優しい。
■巧いのは、居なくなった母と思われる女性が祖母の家の一室で、背中を向けて寝ているシーンをサラリと映し込む場面である。
・ネリーは”マリオン”に”貴女は私のお母さんなの。”と語り掛けるが、”マリオン”は驚きもせずに、ネリーの母の事をサラリと聞く。
<今作は、ネリーの祖母の家の周囲の自然描写が美しく、且つ三世代の女性達の、世代を超えた喪失と癒しの物語なのである。>
<2022年11月6日 刈谷日劇にて鑑賞>
シュールなファンタジードラマ
物語の視座がネリーに固定されており、スタイル自体は児童映画のように捉えられる。しかし、実際にはそう簡単に割り切れない不思議な作品である。祖母の喪失、母の不在によるネリーの不安や戸惑い、孤独がリアルに表現されており、大人が見ても十分に堪能できる作品となっている。
森の中で育まれるネリーとマリオンの交流もどことなくシュールである。そう思わせる最たる要因は、ネリーとマリオンを双子の少女に演じさせた点にあろう。一応着ている物や髪型などで差別化はされているが、同じ容姿の少女が並んで遊んでいるのを見るとなんだか不思議な気持ちになる。
そして、映画を観ていれば容易に想像がつくが、マリオンはネリーの母親の幼き頃の姿なのである。ネリー自身もそれは知っていて、それでも尚、自然とマリオンを求めてしまう。それは母の不在からくる寂しさなのであろう。
自分は最初、これは孤独に病んだネリーが創り出した妄想の世界なのではないか…と思った。しかし、どうやらそうではないということが中盤の父親との会話から分かってくる。父親にもマリオンの姿が見え、実在する者としてそこに存在しているのだ。こうなってくると益々このシュールな世界観に惹きつけらてしまう。
こんな感じでネリーとマリオン、同じ容姿をした少女の交遊が続いていくのだが、やがてそこから一つの真相が明らかにされていく。この計算されつくされた構成にも唸らされてしまうばかりだ。最終的に母娘の絆という所に帰結させた脚本も見事である。
監督、脚本は前作「燃ゆる女の肖像」が評判を呼んだセリーヌ・シアマ。残念ながら前作は未見なのだが、本作を観る限り演出は淡々としていながらも、ヒリつくような緊張感漂う映像にグイグイと惹きつけられた。また、終盤におけるBGMの使用もドラマチックな効果を生んでおり、中々の手練れという感じがした。
ただ、個人的には1点だけ気になったことがある。それは、あれだけ祖母のことが大好きだったネリーが、生前の祖母にそれほど執着していなかったことである。マリオンとの交遊に焦点を当てた描かれ方をしているので、祖母の存在が希薄に映ってしまった。これについてはどう捉えたらいいのだろう。少しだけ不自然に感じてしまった。
少女2人のやりとりが、心底可愛らしいのです
母親と仲良くしたかった過去の少女の自分へ
この詩的で芸術的な感じ、セリーヌ・シアマ監督ならでは
不思議な魅力のある作品
“もう一度だけ見てみたかったの”…観終わった後、何とも形容し難いものが胸に込み上げてくる時を映画的瞬間と呼ぶのなら…ラスト「二人」の再会に胸に染々と暖かい何かが溢れてくる紛れもなく正に映画…
なんかジブリ的な。
独特な感慨に浸れます
なーるほどこういう話か。まったく予備知識なしで観に行ったので、まず、あれ、子役が似てんな〜なんでわざわざ似てんの選んでんのかな〜と思ったりしたが、な〜るほど、のまさかのファンタジーだった。
シアマ監督といえば〜ではないが、なるほど女同士をこういうことでやるという目の付け所はさすが。娘と母。さらに言うと親子三代か。わかった瞬間からいろんなことがこんがらがりつつ思い巡らせつつ、そしてラスト、さすがにああいったツーショットは見たことのない感慨を覚える。
このような話は、たぶんもっともったいぶって作り込んでもいいところ、この簡素&あっけなさで、ぶっちゃけ途中うとうとしてもいたけど子役の魅力で見せてける。
軽やかなステップでジワッときた。
パズル問題漏洩事件
ドラえもん
74分という上映時間が良い
セリフではおばあちゃん好きということになっているがオープニングでの表現が足りてない感じ。
役者が似てないから長尺で出したくなかったのかもしれないが
シリアルとトーストという貧相な朝食、文化がよくわからないので何とも言えないが・・・
お父さんは特に変な人ではないが、最初妙によそよそしい
車のなかで主人公がとてもいい子なのは伝わってくるが、お父さんとは別の車(逆に夫婦仲が悪いと想像できるのはここぐらい)
おばあちゃんの家に着いた直後のお母さんの闇を感じるホラーのような演出が謎
若いお母さんの父を見る目が燃ゆる女の肖像を彷彿させるものの、燃ゆる女の肖像のような耽美的な映像はなく意味が分かると怖い話的なやつなのかな?
考察系の作品なので短い上映時間はありがたい。
日曜の午前中に観たい一本
『燃ゆる女の肖像』を初めて見た時、派手なシーンはないし、台詞もそんなにない。なのに強烈な印象を持ってしまい、セリーヌ・シアマの新作だと知って観に行きました。
前作は海や浜辺とゴシックな城を行ったり来たりで、今回は森と家を行ったり来たりでこれまたシンプルかと思いきや、母と娘の絆を丁寧に美しく描いた映画でした。
祖母が亡くなった病院から始まり、祖母が住んでいた家の整理に来ていたネリーは近くの森で同じ8歳の実母マリオンと出会う。子供時代の母親と数日間遊ぶうちに母の秘密を知ることになる。
ネリーとマリアンを演じた双子が素晴らしかった。赤と青を中心とした衣装でしぐさも男女の特徴を表していた。ネリーは歩き方やポケットに手を突っ込むしぐさは男性的で無骨な印象を持ちました。一方マリアンは年相応の女の子ですが、森に落ちてある木の幹で小屋を作るタフな女の子。
この監督の特長がカットが切り替わる瞬間の1秒に演技力を爆発させていて、だんだんキャラクターがカットが切り替わるまで目が離せない時間でした。
確約された未来
おばあちゃんの遺品を整理しにおばあちゃんの家に滞在中のネリーが、森の中で幼い時の母親と出会い、仲を深める話。
完全にこれはフランス版『思い出のマーニー』。話の内容だけでなく、なんとなくマーニーを連想させるなぁってシーンがあって、2人でボート的なものに乗るシーンやくるっくるの髪をクシで雑にとかす(マーニーがお手伝いさんに無理やり髪とかされてたシーンあった気がする)シーンなど。
でも今作はより明確にネリーが母親の支えになっていて良かった。一人っ子で近々手術を控えた幼い頃の母親にとって、自分と似ていて同じ感覚を持ってる女の子の存在ってめっちゃ嬉しいだろうなぁ。自分も一人っ子なのでどれほど兄妹いる友達が羨ましかったことか(いや、今もまだ羨ましい)。
ネリーの存在だけじゃなくて、ネリーから教えてもらう確約された未来羨ましすぎる。母親は早くに亡くなるけど、ネリーという存在に必ず会える人生勝ち確じゃねえか。。
『燃える肖像』ではオルフェウス伝説になぞらえて、相手を思って振り返ってしまったが故に2人は引き裂かれるけど、今作は全く娘の方を振り返らない母親の後ろ姿でタイトルバックが表示されるので2人はもう1度巡り会える。ほっこりする。
とはいえやっぱりこの監督の作品眠い(笑)73分でも眠い(笑)
不思議な物語でかつ静かに淡々と展開する作品なのに飽きさせない芸術性
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