秘密の森の、その向こうのレビュー・感想・評価
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自然の音が、心を癒やす
早稲田松竹にてなんとなしに鑑賞。
開始早々の社内で横顔を移すカメラワークで、この作品は間違いないと確信。
その流れのままに、どのシーンをとっても、画になるシーンばかりである。
邦題のとおり、「秘密の森」を醸し出す森の様子、そして、劇伴代わりの森の風音。
一曲だけ入るアップテンポの歌がメリハリと子どもたちの心を表現している。
70分ほどの時間が丁度いい。長すぎても退屈であった。
なんとも不思議な作品であるが、癒やされた。
2023年劇場鑑賞36本目
少女の判別に戸惑った
祖母を失い悲しみに耐えかねて姿を消した母と森を探索する少女の出会いを描いた物語。自然の美しい映像が印象的ですがストーリーが曖昧で内容が良く分からなかった。愛らしい少女二人がキュートで魅力的ですが非常によく似ていたので見分けがつかず青と赤の色で判別しました。
2022-210
久々に映像だけに浸る
『燃ゆる女の肖像』のセリーヌ・シアマが監督・脚本という事らしいですが、正直言って私はこの『燃ゆる~』の方はあまりピンとこなかったというか、個人的にLGBTものの作品自体に苦手意識があるみたいなので、その種の作品には積極的には手を出さない人間なのです。
で、本作はLGBTものでなかったせいなのかどうかは分かりませんが、やっとこの監督の凄さや才能を冷静に理解出来たというか、私にとってはほぼ完璧な作品でした。
でも公開時は鑑賞を見送ったのに何故再映で鑑賞したのかというと、私が最近よく見るYOU TUBEの、社会学者で映画批評家の宮台真司氏の動画をたまたま見て本作を絶賛していたので急遽観たくなったのです。
この宮台さん、非常に辛口の批評家で社会や政治については、普段自分が思っていても中々言語化できないモヤっとした感覚を見事に言語化してくれるので、最近けっこう贔屓に動画を見ているのですが、その宮台さんが本作については、傑作だと絶賛している割には何が良かったのかは、いつもの歯切れはなくボンヤリとした表現で素晴らしかったという程度だったので、何処がどう良かったのかを確かめたくて鑑賞しました(笑)
で鑑賞して今まさに感想を書こうとしている訳ですが、傑作であることは間違いないのですが、私も何が良かったかを具体的に言語化するのはちょっと難しく、何から書こうか迷っています(苦笑)
暫く考えたのですが、そもそも論で言うと映画(芸術)って元々が言語化出来ないものを映像で表現する道具ではないのか?という事に立ち返りましたよ(爆)
しかし、商業映画・娯楽映画という表現ばかり観ていると説明が無いと分からない人達が増え、そういう人達が本作を観ても説明はほぼ無いので難しいという事になるとは思いますが、言語化して説明し難い微細な感覚や感情をテーマとして扱う作品の場合、如何に直接心に訴えるかの伝達手段として、その最大の武器(表現方法)として存在するのが映像でありアートだと思います。
本作の場合、誰の人生に於いても絶対について回る“別れ”“決別”“孤独”“哀しみ”等々、その時に湧き上がる感情をたった73分で映像表現するセリーヌ・シアマ監督の才能に驚嘆させて貰いましたが、冒頭車を運転する母親の口に後ろから娘がお菓子を入れるシーンからラストシーンまで、ずっと一貫して母と娘の繋がりの作品でした。
【”こんにちは、さようなら・・、Petite Maman・・。”今作は、8歳の少女を主人公に、時を越えて三世代を繋ぐ、喪失と癒しのファンタジックムービーである。】
■ネリーは、亡くなった祖母も自宅を片付けるために、両親と森の中の家を訪れる。だが、哀しみから、姿を消してしまう。
時間を持て余し、独りで森で遊ぶネリー(ジョセフィーヌ・サンス)の前に、”マリオン”と言う、母と同じ名前の同じ八歳の少女(ガブリエル・サンス:勿論、ジョセフィーヌとは双子である。)が現れる。
そして、ネリーが”マリオン”に自宅に誘われると、そこは祖母の家だった・・。-
ー 資料によると、このファンタジックな作品を撮影している時に、セリーヌ・シアマ監督は迷いが出ると、”宮崎駿監督ならどうするか?”と自問したという。
現在、愛知県では”ジブリパーク”が絶賛公開中であるが、宮崎駿監督の影響は大きいのである。-
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・出会った少女の名が母と同じ名前の、”マリオン”で、自宅が祖母の家とくれば、この物語が時を越えて、三世代の血のつながった女性の物語だと分かる。
・ネリーと”マリオン”は、仲が良く、森で遊んだり、クレープを焼いたり・・。
・”マリオン”のお母さんは、杖を突いているが、(冒頭、杖をマリオンが貰うシーンがありますね。)若くて、ネリーにも優しい。
■巧いのは、居なくなった母と思われる女性が祖母の家の一室で、背中を向けて寝ているシーンをサラリと映し込む場面である。
・ネリーは”マリオン”に”貴女は私のお母さんなの。”と語り掛けるが、”マリオン”は驚きもせずに、ネリーの母の事をサラリと聞く。
<今作は、ネリーの祖母の家の周囲の自然描写が美しく、且つ三世代の女性達の、世代を超えた喪失と癒しの物語なのである。>
<2022年11月6日 刈谷日劇にて鑑賞>
シュールなファンタジードラマ
物語の視座がネリーに固定されており、スタイル自体は児童映画のように捉えられる。しかし、実際にはそう簡単に割り切れない不思議な作品である。祖母の喪失、母の不在によるネリーの不安や戸惑い、孤独がリアルに表現されており、大人が見ても十分に堪能できる作品となっている。
森の中で育まれるネリーとマリオンの交流もどことなくシュールである。そう思わせる最たる要因は、ネリーとマリオンを双子の少女に演じさせた点にあろう。一応着ている物や髪型などで差別化はされているが、同じ容姿の少女が並んで遊んでいるのを見るとなんだか不思議な気持ちになる。
そして、映画を観ていれば容易に想像がつくが、マリオンはネリーの母親の幼き頃の姿なのである。ネリー自身もそれは知っていて、それでも尚、自然とマリオンを求めてしまう。それは母の不在からくる寂しさなのであろう。
自分は最初、これは孤独に病んだネリーが創り出した妄想の世界なのではないか…と思った。しかし、どうやらそうではないということが中盤の父親との会話から分かってくる。父親にもマリオンの姿が見え、実在する者としてそこに存在しているのだ。こうなってくると益々このシュールな世界観に惹きつけらてしまう。
こんな感じでネリーとマリオン、同じ容姿をした少女の交遊が続いていくのだが、やがてそこから一つの真相が明らかにされていく。この計算されつくされた構成にも唸らされてしまうばかりだ。最終的に母娘の絆という所に帰結させた脚本も見事である。
監督、脚本は前作「燃ゆる女の肖像」が評判を呼んだセリーヌ・シアマ。残念ながら前作は未見なのだが、本作を観る限り演出は淡々としていながらも、ヒリつくような緊張感漂う映像にグイグイと惹きつけられた。また、終盤におけるBGMの使用もドラマチックな効果を生んでおり、中々の手練れという感じがした。
ただ、個人的には1点だけ気になったことがある。それは、あれだけ祖母のことが大好きだったネリーが、生前の祖母にそれほど執着していなかったことである。マリオンとの交遊に焦点を当てた描かれ方をしているので、祖母の存在が希薄に映ってしまった。これについてはどう捉えたらいいのだろう。少しだけ不自然に感じてしまった。
少女2人のやりとりが、心底可愛らしいのです
常識に囚われずに、目の前で起こることに向き合う少女の感性の柔らかさ。
子供を1人の人間として尊重し、内面に土足で踏み込まない大人たち。彼らはかつて子供だった事を忘れない。
淡々と起伏のない物語に、これ程胸を打たれるなんて!
母親と仲良くしたかった過去の少女の自分へ
淡々としたトーンで静かに穏やかに展開する
はからずも、なぜか途中から涙が溢れてきてしまった…
周りで泣いてる人なんていなくてちょっと恥ずかしかったけど
子供のころは余裕のない母親に好かれたくて無意識にいい子をやっていた
大人になって母親の未熟さに幻滅したこともあった
今は私が母親に頼られる存在に…
観る直前に母親に逢ってきたところで、もうすぐ母親との別れが近いと感じている者にとっては思わず感情移入してしまう作品でした
娘にしかわからない気持ちだと思います
この詩的で芸術的な感じ、セリーヌ・シアマ監督ならでは
この詩的で芸術的な感じ、これはセリーヌ・シアマ監督ならでは。そして、フランス映画ならではだなぁ~という感じ。
映像もアート的だし、音楽を使わないのもいい。
不思議な余韻が、残りました。
ネリーとマリオンを演じた子役の双子姉妹の演技も自然で素晴らしかったです。ただネリーとマリオンが似すぎてて見分けがつかないので、青い服=ネリー、赤い服=マリオンと覚えておくといいですね。
不思議な魅力のある作品
不思議な出来事なのだけど…
こういうことが本当にあってもおかしくないように思えてしまったし、自分がネリーの頃に起こって欲しかったとすら思えた。
なんだか、とても現実感があったのは派手すぎないシンプルな演出と、森の力と、双子の姉妹の魅力に拠るのかしら。
怖さがなく、なんだか血の繋がりの強さと大切さと温かさを感じました。
“もう一度だけ見てみたかったの”…観終わった後、何とも形容し難いものが胸に込み上げてくる時を映画的瞬間と呼ぶのなら…ラスト「二人」の再会に胸に染々と暖かい何かが溢れてくる紛れもなく正に映画…
※2022.10.24.映画館にて二回目の鑑賞。
①『燃ゆる女の肖像』は本当に素晴らしかった。
本作はそれに比べては小品だが与えてくれる豊かさは変わらない。本当は男には正確に理解は無理なのかも知れないけれども、この映画でも「二人の女性」の絆が心を揺さぶる。
②『燃ゆる女の肖像』では主要な登場人物は全て女性だった。本作では男性である「パパ」が重要な役で出てくるのが前作と違うところ。そして「パパ」は‘わかっていた’のだと思う…
③ネリーが最後にお祖母ちゃんに言う“Au revoir(さようなら)”に微笑み、最後の台詞“マリアン”に胸が熱くなる。
なんかジブリ的な。
フランス奇譚の小ネタなんですが。何かジブリ的やない?トトロ的やない?ちょっとジュニア的、と言うか、女性視点のライトファンタジー、って言うか。3世代、っちゃー3世代が登場します。母親を失う事への畏れ、が縦串。お父ちゃんは、おっとりし過ぎで、優し過ぎて、舌足らず過ぎて、存在感まるで無しです。
この世界観が新鮮だと言う方におかれましては、満足度もそこそこかと推測したりするけれど。いやー、なんか二つくらい足りねーよ。って思ってしまうんだすよ。
秘密の暴露とか。隠されている、繋がりの暗示とか。ダーク系のバックグラウンドとか。
これじゃジブリの出来損ないだよ。
って思うのでした。
物足りなかった。
明らかに。
独特な感慨に浸れます
なーるほどこういう話か。まったく予備知識なしで観に行ったので、まず、あれ、子役が似てんな〜なんでわざわざ似てんの選んでんのかな〜と思ったりしたが、な〜るほど、のまさかのファンタジーだった。
シアマ監督といえば〜ではないが、なるほど女同士をこういうことでやるという目の付け所はさすが。娘と母。さらに言うと親子三代か。わかった瞬間からいろんなことがこんがらがりつつ思い巡らせつつ、そしてラスト、さすがにああいったツーショットは見たことのない感慨を覚える。
このような話は、たぶんもっともったいぶって作り込んでもいいところ、この簡素&あっけなさで、ぶっちゃけ途中うとうとしてもいたけど子役の魅力で見せてける。
軽やかなステップでジワッときた。
パズル問題漏洩事件
少女がタイムスリップし、少女だった頃の母と交流する話。家族愛がテーマか。
綺麗に濃い内容でストーリー構成も良し。尺もコンパクトにまとまっている秀作。
良い点
・演技と知性
悪い点
・どっちがどっちか分かりづらい
その他点
・出入り自由
・もっと外側も気になるが
ドラえもん
皆、お互いの素性を知っているのに、静かにそれを受け入れているというシチュエーションが良かった。また、上映時間もスッキリしていた。
ドラえもんで似たような状況があったような気がする。
2人の子役が全く同じ顔だったので(双子だから仕方ない)、区別に困った。
74分という上映時間が良い
セリフではおばあちゃん好きということになっているがオープニングでの表現が足りてない感じ。
役者が似てないから長尺で出したくなかったのかもしれないが
シリアルとトーストという貧相な朝食、文化がよくわからないので何とも言えないが・・・
お父さんは特に変な人ではないが、最初妙によそよそしい
車のなかで主人公がとてもいい子なのは伝わってくるが、お父さんとは別の車(逆に夫婦仲が悪いと想像できるのはここぐらい)
おばあちゃんの家に着いた直後のお母さんの闇を感じるホラーのような演出が謎
若いお母さんの父を見る目が燃ゆる女の肖像を彷彿させるものの、燃ゆる女の肖像のような耽美的な映像はなく意味が分かると怖い話的なやつなのかな?
考察系の作品なので短い上映時間はありがたい。
日曜の午前中に観たい一本
『燃ゆる女の肖像』を初めて見た時、派手なシーンはないし、台詞もそんなにない。なのに強烈な印象を持ってしまい、セリーヌ・シアマの新作だと知って観に行きました。
前作は海や浜辺とゴシックな城を行ったり来たりで、今回は森と家を行ったり来たりでこれまたシンプルかと思いきや、母と娘の絆を丁寧に美しく描いた映画でした。
祖母が亡くなった病院から始まり、祖母が住んでいた家の整理に来ていたネリーは近くの森で同じ8歳の実母マリオンと出会う。子供時代の母親と数日間遊ぶうちに母の秘密を知ることになる。
ネリーとマリアンを演じた双子が素晴らしかった。赤と青を中心とした衣装でしぐさも男女の特徴を表していた。ネリーは歩き方やポケットに手を突っ込むしぐさは男性的で無骨な印象を持ちました。一方マリアンは年相応の女の子ですが、森に落ちてある木の幹で小屋を作るタフな女の子。
この監督の特長がカットが切り替わる瞬間の1秒に演技力を爆発させていて、だんだんキャラクターがカットが切り替わるまで目が離せない時間でした。
確約された未来
おばあちゃんの遺品を整理しにおばあちゃんの家に滞在中のネリーが、森の中で幼い時の母親と出会い、仲を深める話。
完全にこれはフランス版『思い出のマーニー』。話の内容だけでなく、なんとなくマーニーを連想させるなぁってシーンがあって、2人でボート的なものに乗るシーンやくるっくるの髪をクシで雑にとかす(マーニーがお手伝いさんに無理やり髪とかされてたシーンあった気がする)シーンなど。
でも今作はより明確にネリーが母親の支えになっていて良かった。一人っ子で近々手術を控えた幼い頃の母親にとって、自分と似ていて同じ感覚を持ってる女の子の存在ってめっちゃ嬉しいだろうなぁ。自分も一人っ子なのでどれほど兄妹いる友達が羨ましかったことか(いや、今もまだ羨ましい)。
ネリーの存在だけじゃなくて、ネリーから教えてもらう確約された未来羨ましすぎる。母親は早くに亡くなるけど、ネリーという存在に必ず会える人生勝ち確じゃねえか。。
『燃える肖像』ではオルフェウス伝説になぞらえて、相手を思って振り返ってしまったが故に2人は引き裂かれるけど、今作は全く娘の方を振り返らない母親の後ろ姿でタイトルバックが表示されるので2人はもう1度巡り会える。ほっこりする。
とはいえやっぱりこの監督の作品眠い(笑)73分でも眠い(笑)
不思議な物語でかつ静かに淡々と展開する作品なのに飽きさせない芸術性
原作はPetite mamanで「小さなママ」といったところか。監督はセリーヌ・シアマ。
本作は「8歳の少女が自分と同じ歳のころのママと出会い一緒に遊ぶ」という非常に不思議な設定だし、全体を通じてそのトーンは非常に控えめで大きな起承転結や音楽による演出もほとんどなく、一歩間違えればただ淡々とよくわからない物語が展開されていく退屈な作品となるところを、不思議と最後まで飽きさせず調和の取れた作品となっており、73分という少し短めの時間でちょうどよく「これがセンスか」と思わせるものがあった。
この監督の他の作品も観てみたいと思う作品だった。
クレープのひっくり返し方
ドラえもんで見たようなシチュエーションではあるが、「ええっ!」とか「うそっ」と言ったリアクションを知らぬ幼い8歳児の会話が淡々と時空の歪みをフラットに行き来する。にゃははと普通にふざけあうキッチンのシーンが眩い。歩き方や佇まいが実に8歳。子供の扱いがうまい。
母の最後の微笑みに秘された23年間が、身に覚えのある観ている自身の過去と重なり、吸い込まれるように感じるのはSF設定ならではの後味である。
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