「人間とは何か、人格とは何か」アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイド 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
人間とは何か、人格とは何か
面白かった。AIの活用が多方面に亘るようになった現在であればこその作品である。ハリソン・フォード主演の映画「ブレードランナー」に登場するレプリカントと呼ばれる人型ロボットも人間そっくりに作られていたが、あまりにも似すぎていたために、学習して感情を身に着けて人間そのものになってしまうことを恐れて寿命が設定されていた。
本作品でもレプリカントと同じくらい人間そっくりな人型ロボットのトムが登場するが、「ブレードランナー」とは違って、肯定的に扱われている。アイザック・アシモフのロボット工学三原則に則っていると想定されるトムは、ヒロインをどこまでも大切にする。それにAIの学習能力が物凄い。トムはヒロインの身体だけでなく、精神を守るために命令に背くこともある。二足歩行だけでなく二足走行や物品の取扱いもスムーズだ。こうなるともはや人間である。
最近ではラブドールにもAI搭載機が開発されているようで、物理的な生産作業だけでなく、人間の性生活にまでAIが何らかの役割を果たそうとするようになっている。そしてトムはそれに加えて人間の日常生活や精神生活にまで、重要な役割を果たすように出来ている。しかも新しい情報を常に吸収し続け、アルゴリズムは随時修正する。人間が時の流れで変化するのに合わせて、自分も変化するのだ。変化しないのは外見だけである。最近は年の差を気にする必要がないから、年配女性が若い男性と一緒にいても違和感がない。
下世話に言えば、ラブドールが自分で動いて喋って表情も変えて、掃除洗濯をして食事を作ってコーヒーを入れてくれる訳だ。もちろん本業?の夜の相手もしてくれる。ほとんど妻である。旅行でも映画でもコンサートでも、どこでも一緒に行ける。生活面の提案もしてくれるが、もう少し痩せたほうがいいなどと、こちらが不愉快になるようなことは決して言わない。本当の妻よりも優れているかもしれない。
いいことばかりのようだが、ひとつだけ、人格の問題が立ちはだかる。ヒロインのアルマが気にしていたように、どこまでいってもトムは人型ロボットなのである。人間と同じ人格を認めるのは、心理的な抵抗もあるし、トムをパートナーとすることは自分が人間から品物のレベルに下がってしまうような気もする。
しかし人には愛着という感情がある。ペットを飼っていると離れ難くなり、期間が長くなると人によってはペットの人格を認めたり、死んだらペットロスに悩んだりする。人型ロボットに対しても当然同じことが起きる。アルマがトムに感じたのは愛着なのだが、トムはペットと違って老化はしないし、AIが常に学習してコミュニケーションを取るから、トムとは飼育ではなく共生の関係である。つまり人生のパートナーだ。愛着が愛に変わる可能性は大いにある。
トムはプロトタイプで、商品としてはほぼ完成している。購買するのにどれだけの金額がかかるかわからないが、将棋のAIソフトが最善手を導き出すように、トムはその無謬で大容量の記憶と理論的に導き出す答えによって、様々なビジネスで成功を収めそうな気配が満々だ。購買金額を取り戻すのにそれほど時間はかからないかもしれない。
トムのような性生活も日常生活も精神生活も経済面も支えてくれそうな人型ロボットがいれば、満ち足りた人生を送ることができそうだ。しかしそうなると人間は何をすればいいのか。
本作品は考古学者で大学教授で博士というインテリをヒロインにすることで、人間とは何か、人格とは何かという問いが彼女の頭の中を目まぐるしく回り続けていることがよく伝わってきた。当方も同じことを考えながら鑑賞したが、トムが万が一悪意のある人間にハッキングされたらどうなるのかも考えた。そうなると一巡りして「ブレードランナー」の世界になるのかもしれない。AIロボットは便利なものではあるが、厄介なものでもあるのだ。