名古屋上映の監督舞台挨拶があった日に、センチュリーシネマで観てきました。
まず、この映画のタイトルからして、激烈なメッセージが込められてそうだった。
豊田利晃監督作品の流れからして、映画を観る前からもう何かわからないけど伝わってくるものがあった。
「これを語りて日本人を戦慄せしめよ。」
柳田国男は『遠野物語』の序文にこう記している。
なんと凄まじい響きを持つ言葉だろう。
明治43年(1910)に発表された当時の遠野ですら、自然と向き合って暮らしている山人と、里人の平地人のあいだで、日本の伝統的な価値観すべてがかけ離れてしまっていたということでしょう。
映画を一言でいえば、佐渡島を舞台に和太鼓集団の鼓童がミュージシャンの日野浩四郎とコラボした記録映画。
という単純なものでは、もちろんないのだが。
鼓童自らが豊田監督に撮影依頼をしたのがきっかけのようだ。
この両者の音を、監督がさらに料理して映像化したのだから、やはり豊田節が炸裂していた。
2020年の12月という、まさに世の中はコロナでパンデミックの真っ最中に、感染者ゼロの佐渡島で撮影された。
監督は、そんな和太鼓集団が長い歴史を持つ背景にある佐渡島に何かを感じ取り、それをどう表現するかという問いに、これは祈りだと思った、とういようなことを舞台挨拶でもいっていた。
だから、誰もが想像しやすい褌姿で普通に和太鼓を叩くシーンは全体的に見ればほとんどないくらい。
のっけから音の表現の仕方とか、まさに祈りを感じる音の世界観がすごかった。
いきなり宇宙のはじまりの、闇を感じるシーン。
まだ光がなかったころ、最初に門が開いて音が広がる感じ。
ガムランのような、はたまたレインスティックの甲高い粒々の雨音のような。
日野が指揮をし、鼓童のメンバーが木を叩く。
ある決まり事があり、あとはそれぞれのリズムで、一瞬ユニゾンのようで微妙にズレてるから揺らぎが生まれ、ものすごいエネルギーの倍音が響き渡る。
その演奏が心地よく、かなり長い時間つづく。
すごいと思った。
と、出だしだけ書いてみたけど、この後を含め、映画の感想や内容など、細かなことはもうどうでもいいと思うような映画だ。
とにかく、スクリーンに映し出される向こう側の映像とその音に、空間ごとこちら側の身を委ねるだけでいい。
過去作同様の絵作りで、わたしの感性とドンピシャ過ぎて嬉しくなり、どんなシーンも安心して見ることができる。
渋川さんが顔出しせずつけていた能面や、衣裳とか。
鳥居があって山の神社へつづく参道とか、冬の凄まじい瀧や、荒れ狂う波しぶきの岩場とか。
まだ行ったことのない佐渡の原風景が強烈だった。
映画の後、わたしがそのことを監督にきくと、ぜひ佐渡へ行ってみてくださいといわれた。
佐渡島は世阿弥が流刑となった場所。
キーワードがたくさんありすぎてまとめきれない。
ヤバすぎる。
まさに、平地人のわたしは戦慄せしめられたのだった。