「理想と現実の... 狭間」愛と闇の物語 Puti Nakiさんの映画レビュー(感想・評価)
理想と現実の... 狭間
The only way to keep the dream alive, full of hope and not
disappointing is to never try to implement it. A dream brought
to life is disappointing. This disappointment is the nature of
dreams. ラスト90分頃のアモスのラインより
ナタリー・ポートマン
エルサレム生まれ。 3才まで過ごし、そして両親と共にアメリカへ... ハーバード大学とイェール大学にストレートで合格し、ハーバード大学で心理学の学位を取得した彼女は、この映画『愛と闇の物語』を題材に幼い子供と若い母親の心理的プロフィールを創造し構築している。
If you have to choose between telling a lie or insulting someone,
choose to be generous.
-I'm allowed to lie?
Sometimes... yes. It's better to be sensitive to be honest.
このラインは母親であるファニアと子供のアモスの何気ない会話の中にファニアの心に抱える問題が見え隠れする。彼女は息子に「一緒になって物語りを作りましょ」と誘い、その事によって幼いアモスのまだ発展途上の未熟な想像力に火をつけ、彼らの両方が英国統治下のエルサレムという完璧ではない社会環境や不安定な生活状況から逃れることを可能にする精神的支柱となる二人だけの儀式を始める。彼らの日常の存在の洗い流された現実のパレットは消え去り、彼らの創造した寓話には建国のパイオニア・ヒーローや敬虔なユダヤ教の修行僧とホロコーストを象徴する空を覆う黒い鳥がフューチャーされている。
You can find hell and also heaven in every room. A little bit of
evilness and men to men are hell. A little bit of mercifulness
and men to men are heaven.
アモス・オズの回顧録は彼とイスラエル国家が一緒に成人して行く過程をあたかも記録しているかのように、シオニスト左派の著名なメンバーである彼は、この映画『愛と闇の物語』からユダヤ人とアラブ人の関係修復の機会を逸したと見ている。作中、アモスと母親のファニア、父親のアリーと複数の国と関係を持つ国際的視野のあるアラブ人家庭を訪ねる場面は、アラブのおもてなしの美徳を称え、2つのグループの間に常に存在していた関係の本質的な性質を示している。このシーンは、ユダヤ人とアラブ人の間に存在していたかもしれない束の間の平和に対する希望を意味しているけれど、アモスがアラブ人の子供に怪我をさせた後に、彼の両親が謝罪したにもかかわらず、2つのグループ間の相互理解を見つけるのがいかに難しいかを描いていた。
時系列として、アモスがイギリスに対する "モロトフカクテル" と呼ばれる火炎瓶の製作のための空のボトルを集めたり、市民が集まって国連のイスラエル建国の決議の様子を実況する公開ラジオの前で多くの聴衆が聞き入り、ラスト、成長した若きアモスの人生の方向性がイスラエル国家の将来を見据えている。
Maybe you could finally tell me, what is it about you that I
love so much, you of all people?
役が女優の内なる魂を明らかにする時、彼女の作品によって映画スターを知っていると錯覚するように自分自身をだますことがある。ホロコースト史上、悲劇のヒロイン、アンネ・フランクを演じたナタリー・ポートマンのスター作りだけのロールや彼女を最も国際的に露出させ、有名女優にした何を考えているのか分からない蝋人形パドメ・アミダラ女王まで、彼女の汎用性の明確な結果としてオスカーを手にすることに... オスカーを獲得して以来になるポートマンの情熱的なプロジェクトになっている本作品。彼女の熱意は明らかで、すべてのシーンは美しく撮影され、厳粛な弦のフィルム・スコアが後についてくる。しかし、イスラエルは日当たりの良い地中海の国なのに、撮影する方法は、ユダヤ人がまだ東ヨーロッパにいるようにも映ってしまう... ハイコントラストとは無縁のカラーであるダーク・グリーンのモノトーンが映画全体を占めているために。
そんな中でもファニアの子供時代への夢のようなフラッシュバックと彼女のシュールなファンタジーの場面だけが、わずかに鮮やかなパレット色で映し出されている。それ以外のモノトーンさが同様のシーンの無限の繰り返しに見え、すべての瞬間から瞬間に等しい重点を置くために、本当にその場面の時間的長さよりも倍を感じてしまう。
通常の手段では、映画『愛と闇の物語』は素晴らしい映画であるべきで、映画の背後にある人の衝動の表し方は非の打ちどころがなく、誠実であり、ポートマンのパフォーマンスの欠点を見つけることは不可能と言える。
製作者として彼女の最大のミスは、物語がアモス少年ではなくて彼女のキャラであるファニアに焦点を当てていることであり、その表れが、映画の後半には、彼女の演技がほぼ独占的になっている。
She punishes herself only to punish me.
二日で2,3000人が、ナチスの手にかかるようなおぞましいホロコーストをかいくぐり、希望の地イスラエルに来たのにまた、親しい人の命が新しい戦争の為に消えてゆく。そして何より愛情のない夫と愛情のない実母と愛情のない義理の母... そんなファニアの夢の世界は打ち砕かれ、空想の世界だけではしのげなくなった彼女のココロが徐々に病んでいく
ポートマンの父方がポーランド系ユダヤ人であり、ファニアもポーランドのホロコーストの生存者という共時性からか? 彼女が8年越しに伝えたいと熱望してきた話なのに... 企画当時、彼女は主演するつもりはなかったと聞く。
「私はイスラエルの女優を使いたかったが、このような完全に商業ベースに乗れないプロジェクトの上に、監督が初めての私には、誰もお金を出してはくれませんでした。」と、彼女が監督としてカンヌデビューした時にコメントしている。そして、時間の経過が、「私は、自分で役を演じるのに十分な年齢になっていたという事です。」と...
映画『愛と闇の物語』は自意識過剰な芸術の瞬間を持っている
ヘブライ語ではなくて英語にするようプロデューサーからポートマンはアドバイスを受けたのにそれを固辞している。後に永年住んでいるアメリカの英語のアクセントが純粋なヘブライ語を話すのに邪魔になり、それを修正するのに大変だったと語っていたポートマン。
撮影は美しく撮られていても全体のモノトーンがラストにはファニアの病状に合わせたように更に拍車をかけているかのように映画全体の印象がただ暗いだけになってしまっている。
一切合切考えると、日本に来るまでにヘブライ語➡英語➡日本語と複数の翻訳家の手を通過するということは、伝言ゲームではないけれども映画の本質のニュアンスがかなり違ってしまう可能性と懸念も生じる。
結局のところ採算の取れない "box-office bomb" の仲間入りとなり、イスラエルとアメリカのユダヤ・コミューン向けだけのPV映画となり下がっている。 ファンの皆様、失礼
長らく、ソーシャル‐メディアの前から遠ざかっていたポートマン。
2016年のINSIDERのインタビューで次回作の事を聞かれたいたけれども、その予定はないとの事。今はたぶんパリにいる彼女だけれどもこのインタビューは映画『愛と闇の物語』が公開された1年後なので、映画そのものが6年落ちという事で、スーパーが企画すると???
イオンエンターテイメントの商いの仕方を好意的に捉えるのか?
それとも安物買いの... と悪意にとらえるあたしが変人ってか⁉