「父子とんびよ、鷹となって、天まで昇れ」とんび 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
父子とんびよ、鷹となって、天まで昇れ
過去に二度TVドラマ化されている重松清のベストセラー小説を初映画化。
原作は未読、TVドラマはどちらも未見。今回が“初とんび”となる。
数十年に渡る父と息子の物語というのはざっくばらんには知っていたが、この令和時代にびっくりするくらいの超ド直球。
山田洋次監督作品もよく時代錯誤と言われるが、それとは違う、コッテコテの作り。
オーバー演技、話も先読み出来る、ベタな展開とお涙頂戴劇…。
昭和の世界。ツッコミ所も多々。
でも別の言い方をすれば、“一本気”。
話は非常に見易く、気付いたら2時間強があっという間。大袈裟でありながらも、感動ポイントも多々。
“備後の洗礼”ならぬ“とんびの洗礼”を受けた。
父・ヤスと息子・アキラ。
シングル・ファーザーと言うより男手一つと言った方がしっくり。
荒々しく、豪快でガサツで、熱い。口は悪く、大酒呑みで、喧嘩っ早い。不器用でバカな言動も多いが、人情家でストレートに心に響く愛と厳しさを伝える。
町の名物男のヤス。昭和の漢、昭和の親父。
今だとコンプライアンス的にNGな言動もあるが、一体いつから日本の家から昭和の漢/親父が居なくなったのだろうと思わせる。
令和の時代に叱咤激励してくれるような親父を、阿部寛が力演。ハマっている。
一方のアキラ。
父親と違って、穏やかで優しい性格。周りから愛される人柄。
複雑な内面もある。悩みや葛藤もある。それを含め、真面目な好青年に。
頭も良く、後に早稲田に受かり、東京の会社で働く。
まさしく、“とんびが鷹を産んだ”。
自慢の息子を、北村匠海が実直に演じる。
親子仲は悪くない。父と息子であり、男二人であり。
いつの世も、父と息子の間には何かある。この父子も然り。
先日見た『百花』のように謎めいて描くのではなく、ヤスのような性格さながらストレートに描く。
妻/母・美佐子の死。
事故と聞いている。
が、アキラはその時まだ幼く、詳しくは知らない。成長するにつれ、知りたがる。
ヤスは話したがらない。ヤスにとっては悲しい過去。それほど奥さんを愛し、アキラも産まれ、親子3人これからという矢先であった。
誰かに話されるよりかは…。遂にある時、何があったか話す。
事故だった。悲劇だった。
その日動物園に行く筈が、雨で断念。駄々をこねるアキラの為に、ヤスの仕事場へ。美佐子が父の働く姿を見せようと。
幼いアキラが父に駆け寄ろうとした時、無邪気に振り回していたタオルが木箱に引っ掛かり、崩落…。
アキラの小さな身体に倒れる直前、母が庇うも、打ち所が悪く…。
お母さんはお前を助けて死んだ。
そんな事が言えるか! まだ幼い息子に。優しく繊細な我が子に。
ヤスは悩みに悩み、“嘘”を付く。
お母さんはお父さんを助けて死んだ、と…。
原作未読/TVドラマ未見でも、この展開は難なく予想出来た。
思春期になったアキラが「母さんの代わりに親父が死ねば良かったんだ!」と言ったり、母の死と父の嘘がこの父子のドラマに非常に大きな重石となり、意外な深みがあるのかと思いきや、
感動ポイントではあるが、思いの外あっさり。もっと深みやここを抑えたドラマ展開にして欲しかった。
とは言え、親は子の為なら何を出来るか。
考えさせられる。
男手一つと先述したが、ちと語弊。一家庭としては確かにそうだが、実際は、アキラは父と周りの人々に愛され、育てられた。
町の呑兵衛が集う小料理屋の女将、たえ子。ヤスの姉代わり、アキラの母親代わり。温かさはこの人から教わった。薬師丸ひろ子が好演。
寺の跡取り息子で、ヤスの悪友、照雲。ヤスとは減らず口を叩き合い、性格の荒々しさもどっこいどっこい。でも常に気遣いサポートしてくれ、妻・幸恵と共に親戚代わり。安田顕がメチャいい役所! 後で記述するが、父・海雲役の麿赤児には本作屈指の名シーン、名台詞が。
幼い頃に亡くなった為、出番は序盤だけだが、ヤスやアキラの心にあり続ける。愛や優しさは母から受け継いだ。麻生久美子が印象残す。
不器用なヤスよろしく、作品自体も強引な点や唐突な箇所あり。
ヤスとその実父、たえ子とその実娘、おそらく原作小説やTVドラマなどではもっと巧みに描かれているのだろうが、何かちょっと取って付けたエピソードのような…。
その最たるは、エピローグの令和シーン。オリジナル・エピソードらしく、チープな老けメイク含め蛇足感が否めない。
先述した通り、頭のてっぺんからかかとの先まで、コッテコテの作風、演出、演技。すぐに喧嘩が始まったり、それが出産間近の病院の廊下でも。昭和ドラマと言うより、昭和コントか!
感情高ぶると誰もが熱く大声上げ、全力ダッシュ。本当にこの令和時代に恥ずかしげも無く作ったと思う。
でも、時にはこういう古き良き味に浸りたくなる。瀬々敬久がこういう作品を撮れるとは、新しい発見だった。
広島弁も心地よい。
本心とは違う事、本心からズレた事をついつい言ってしまう。
上手く本心を伝えられないこの不器用さ。
分かっているのに、反発してしまうこのもどかしさ。
この親にしてこの子あり。とんびの子はとんび。父と息子のあるあるなのかもしれない。
子育てや親の愛情の示し方は難しい。まして、ヤスは実親から捨てられた過去あり。
そんな俺が女房を亡くし、片親でいい親になれるのか…?
悩んでも、考えても分からないなら、己の行動で示す。時には、自らを自らで殴ってでも。
不器用な中にも、厳しさと深い愛情入り交じった言葉も言う。
東京の大学に行きたいアキラ。アキラを手離したくないヤス。アキラの将来を巡って、ぎこちなく…。その時、
本気で東京に行きたいなら、すがり付く親を蹴り飛ばしてでも行け。
東京に行って、こっちから連絡はしない。東京に行く時は、お前の骨を拾いに行く時。その覚悟で腹くくって行け。
厳しい事言うが、これは同時に、子離れしなくてはならない過保護な自分への戒め。
自分一人じゃどうしようも無い時は、周りが鼓舞してくれる。皆がそういう激情家で人情家、そういう町。
アキラが結婚を決めた相手は、意外な相手。7つ年上のバツイチで子持ち。思わぬ事に、ヤスはぶっきらぼうな態度。そこへ、照雲。自分が憎まれ役になって、ヤスの本心を引き出す。
妻に先立たれた直後、これからの人生、息子との歩み方に苦悩する。照雲の父・海雲が二人を連れて、冬の夜の海へ。
ヤスが抱き締めてくれるので、顔と腹は温かいが、背中は寒い。父も母も居たら、両方から抱き締めてくれる。が、アキラには母は居ない。アキラはこの寒さを背負って生きていかなければならない。だけど、その寒さに耐えられなくなっても、多くの人が背中を温めてくれる。
アキラは皆に育てられた。アキラだけじゃない。ヤスも我々もそうだ。悲しい時、辛い時、苦しい時、背中を温めてくれる手は必ず差し伸べられる。
同時に、ヤスへも。
大きな海になれ。
荒々しくてもいい。深く、抱擁力のあるこの海のような親となれ。
このシーンの海雲の台詞は、麿赤児氏の名演もあって、格言であった。
親は子の為なら何を出来るか。
自分がどんなに憎まれてもいいから、敢えて嘘を付く。
全くの別の作品になるが、罪だって被る。
全ては我が子の為に。辛い思い、悲しい思い、苦しい思いを背負わせない為に。
親は子の為なら我が身すら犠牲に出来る。
全身全霊全力で愛す。
その激愛を一身に受け、親を越えていく。とんびが鷹となって、この大空(自分の人生)へ羽ばたいていく。
そして、自分の家族の物語を紡いでいく。
そうやって築き、繋がれていく親と子。
人間関係や親子関係が希薄と言われる昨今。
だからこそ響く。
この熱く、激しい父と息子の愛に、惚れろ。