劇場公開日 2022年4月8日

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「2箇所だけ泣かせてくれたが、あとは泣けない。どちらかと言えば不細工な映画。凡作。※その後原作拝読。本作の違和感の原因が分かった気がする。」とんび もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)

3.02箇所だけ泣かせてくれたが、あとは泣けない。どちらかと言えば不細工な映画。凡作。※その後原作拝読。本作の違和感の原因が分かった気がする。

2022年5月5日
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鑑賞方法:映画館

(原作未読その後既読)①アキラは私より一歳下。だから昭和37年時点では勿論物心ついてはいなかったけれど、昭和の風景・風俗は感心するほど上手く再現されていてとても懐かしかった。列車で運ばれてきたコンテナから荷物を卸すところとかホント昔「こういうの見た、見た」って感じ。②ところが、主要人物たちが描かれるようになると現実味がないというか、空気感が違うというかお芝居感(作り物臭さ)が先に立つ。③原作小説は未読だけれども(間もなく読む予定)、『とんび』は粗筋を聴いただけでも🥺きてしまう様な話である。映画の出来不出来に関わらず幾らか泣かされるだろうと思って観に行ったのに殆んど泣けなかった。④映画好き〉TV好き、なので映画の肩を持ちたいけれど、明らかにTVドラマ版の方が映画版より優れている作品が幾つかある。例えば、松本清張原作の『天城越え』、映画版より和田勉演出、大谷直子主演のNHKドラマの方が良く出来ていた。大岡修平原作の『事件』も映画版よりNHKのTVドラマ版の方が優れていた。『とんび』もNHK制作のドラマ版は良かったし堤真一は名演であった。決して堤真一の演技と阿部寛の演技とを比べるつもりはないが、今回驚いたのは阿部寛には肉体労働者の役は似合 わないこと。あのガタイだし、歳を経る程に良い役者になってきているので問題ないだろうと思っていたが驚いたことに似合わない。あの独特の口調(時々何を言っているのかわからない)やバタ臭い顔が何処と無く知性が漂って邪魔をする(肉体労働者の方に知性がないと言っているわけではありません)。それと、「地元の名物男」と呼ばれながらそれらしい描写がない。アキラの台詞と周りの人間のそれらしいリアクションがあるだけ。どういうところが「地元の名物男」なのかさっぱり分からない。多分これが映画に入り込めなかった第一の理由。⑤父子の絆の話なのに二人が対峙する場面や描写が少ない。だからそれらしい台詞やナレーションが有っても、阿部寛と北村匠海との演技の間にあまりchemistryが感じられない。そこへ持ってきて、「アキラはみんなで育てた子じゃけん」という台詞が連発されたら余計父子の絆が薄まるじゃん。⑥横溝正史の岡山もの、漫才の千鳥、そして半年間観た『カム・カム・エヴリバディ』の後では、岡山弁も少々ぎこちなく聞こえた。⑦青春のアイドルだったひろ子ちゃんが、まさか中年を迎えてこんなに良い(演技派)女優になるとは予想もしなかったけれど、今回は小料理屋の女将さんもしてはちょっと品が良すぎたと思う(小料理屋の女将さんは品がないとか、TVドラマで同じ役をやったキョンキョンが品がないとか言っているわけではありません)。
【追記】鑑賞後、始めて原作を拝読。それまでに泣かせる箇所は幾つかあったがアキラが上京する辺りから本格的に涙腺崩壊。後は泣きながら読んでしまった。では何故本作では泣けなかったのか。その理由が分かった気がした。昭和生まれ・昭和育ちの私たちには当たり前に耳にし馴染んで来た言葉・言い回し・表現・行動・描写等がバッサリ切られている。令和という時代での映画化だから時代にそぐわない(良いと思われなくなった)言葉や、表現・行動はあることは理解できる。しかし、その分他人行儀になってしまった気がする。昭和に比べ令和という時代に人情が薄くなったという気はない。しかし、それに変わる令和ならではの味付けがないから妙に空々しい。原作にはないアキラ夫婦と孫たちがヤッさんの死後ヤッさんの家を訪ねるラスト近くのシーンはそれで付け足したのかも知れないが、それこそ付け足しな感が免れない。却って美佐子さんの影が薄くなっている。(原作では最後まで亡くなっていても美佐子さんの存在は強く感じられる。)それが分かっているのかどうか、本当のラストシーンはヤッさんが海辺で遊ぶ美佐子さんとアキラの姿を感慨深く眺めているシーンにしているが、これまた付け足し感が拭えない。ラスト近くで親子が始めて一緒に神輿を担ぐシーンもあるが少しも感動を呼ばない。ヤッさんは私の父親世代(に近い)、私はアキラや原作者の重松清と同じ世代だが、ヤッさんと同じ昭和生まれの頑固且つ融通の効かないオヤジになってしまったのかしらん。

もーさん