劇場公開日 2021年9月23日

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「ムロツヨシと中田乃愛ならではの存在感」マイ・ダディ アラカンさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0ムロツヨシと中田乃愛ならではの存在感

2021年9月23日
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鑑賞方法:映画館

悲しい

知的

幸せ

映像クリエイター支援プログラム「TSUTAYA CREATORS’ PROGRAM」で 2016 年に準グランプリに選ばれた脚本を映画化したもので、ムロツヨシの初主演作である。ムロツヨシの主演を想定して書かれた訳ではないだろうが、まるで当て書きのように素晴らしいマッチングであった。

娘が白血病に罹って、その治療の経過の中で、実は娘が自分と血の繋がりがないと知らされた父親という切な過ぎる男の物語である。男の本職はキリスト教の牧師であるが、娘の病気について神に祈るだけではなく、自ら解決のために動くところが立派だと思う。エホバの証人などの場合は、輸血を許さず我が子を見殺しにするといった話を聞くので、それから比べれば非常に合理的である。

娘が実の我が子ではないと知らされた男の悲哀は想像を絶するものであると思うし、故人になっている妻に問い質すこともできない。潰されそうな思いに一人で耐えなければならないばかりではなく、娘の治療のためにやらなければならない項目の多さとそれぞれの重さには、他人事とは思えない辛さが感じられた。主人公が実に健気で、同情を禁じ得なかった。

どうしてそんなことになってしまったのか、映画では全てが丁寧に描かれていて、妻役の奈緒のリアリティも素晴らしく、彼女の戸惑いや罪の意識も切実に察せられた。また、亡くなった経緯についても気の毒としかいえなかった。それに対して、実の父のいい加減さには本当にうんざりさせられ、やり場のない憤りを持て余した。でも、この男が反社であったり、死刑囚であったりした場合はもっと大変なことになっていたのではと思われた。

娘が父に真相を迫る流れには、見ているこっちの方が心が折れそうになった。本人が触れたくない話を聞かせろというのは、癒えない生傷に塩や唐辛子を擦り込むようなものであったに違いない。娘を愛するというのはこれほど辛いものなのか、親になろうとする者や、既になった者に対して覚悟を確かめるといった厳しさが感じられた。

ギャグを封印したムロツヨシの存在感が全てであった。心の中を曝け出す訳でもないのに、痛いほど伝わって来るというのが凄いと思った。娘役の女優さんは初見だったが、白血病患者を演じるのに丸刈りにするという意気込みには胸を打たれるものがあった。小栗旬がチョイ役で出ているなど、非常に贅沢な配役だと思った。

音楽は単純な楽器編成で奏でられる素朴なものであまり耳に残らず、もう一工夫欲しかったと思った。演出はお涙頂戴に走らず、淡々としていたのがむしろ好ましいと思った。アクションシーンもほとんどなく、かなり低予算で作られたのではないかと思ったが、映画の面白さは必ずしもかけた費用と比例しないということに気付かされた思いがした。
(映像4+脚本4+役者5+音楽2+演出4)×4= 76 点。

アラカン