クライ・マッチョのレビュー・感想・評価
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イーストウッド、元気過ぎ!
男にふしだらな母親から子供を父親に頼まれて半ば強引に連れていく。
なんか…。
男の子の状況を思うと切ない。
最後、父親との関係がどうなるのか?知りたかったけど、
違う展開で終わったので、
そっちで終わりかい!と突っ込み
イーストウッドの生存確認
セリフが説明的だったり、ストーリー展開がご都合主義的だったり、男の子の役者が魅力に欠けていたりと、今ひとつな作品であり、さすがのイーストウッドもクリエイティビティが枯渇したかと心配になる。
とりあえずは90過ぎにしては元気でよかったが。
男性諸氏、刮目せよ。
イーストウッドの終活劇画に現代の男気をみた気がした。
60年以上のキャリアで、アメリカ社会が求め、彼が背負ったものは決して小さいものではないことを考えると、この末路を自ら監督・主演することでケジメをつけるとともに、男性諸氏に変わりゆく男性性を見つめ直す機会を与えた作品なのかも。
生きることを諦めない猪木の使命感にも似ているのかな。
元雇用主に息子を連れ戻すように頼まれる。 その動機は不純なものがあ...
一言「力の抜け加減が、またよろし」
全てを失ったロデオ・スターが、一つの出来事で起き上がる。
ストーリーはシンプルで、時々クスッと笑うところも。
馬使いだったから、動物には慣れてる→「俺はドリトル先生か?」って。
旅の相棒は、訳あり恩人の息子&闘鶏。
この鶏がまたいい味(役目)したりして。
もうここまできたら、イーストウッド作品どれだけ見れるか。
これはコロナ禍で、行けなかったんだなあ。
正直声も枯れてるし、シャキシャキ動けてはいないけど。
ボロくてでかい車を転がしている横で、馬たちが駆け抜けていく。
その風が伝わってきたなあ。
余談ですが。
「イーストウッド」「鶏(チキン)」で連想される映画。あれあれ!。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「それでも、行かなきゃ」
主人公もマッチョ!
幸せな時間だった!!
お爺ちゃんに依頼して大丈夫なのか!?と初めは思いましたが、ゆったり流れるメキシコの時間が次第に心地よく感じるようになりました。父親の元に送る事で、今この幸せな時間が終わってしまうのが寂しくなる良い映画でした。誰の人生にも必ずある、いっときの出会いを上手く描いていると思います。掲載の粗筋は何か違う気がしました。
The road movie
監督50周年記念
マッチョとは…
若いときには己の力以上に力を誇示したがるものが、上には上がおり、老いると共にそんなものは意味がない、時間の無駄と、それを伝えたくこのタイトルなのか。。クリント・イーストウッド作品ということで期待し過ぎた感を差し引いても凡庸なストーリーだった。勿論存在感は彼ならではなのだが、やはり相当年老いたなと。やっと歩いている感じだし、ダンスも何だか介護されているように感じでしまい、あのパンチも効かないだろう。。ピンチらしいピンチもすぐに切り抜けてしまい、ハッとさせられなかった。90過ぎて立派なのだが、寂しい気持ちになった。
『運び屋』とセットで見るのにいいネオ西部劇
昔あんたはとても強かった、でも今は違う --- 俺はやることがある、時間がかかってもやるべき仕事を終わらせたい
背筋のピンと伸びた背中の真っ直ぐな91歳。作品の欠点も凌駕する歴史の重みとカメラの前でも後ろでも輝く監督/主演の力。たしかにこの役を演じるには少し歳を取りすぎているのかもしれないけど、今なお否定し難い異様なスクリーン映えと衰えることのない魅力。そんな力強い唯一無二の魔法をぼくたちはあと何度見られることだろうか?
もしかすると彼にはもう『許されざる者』や『ミリオンダラー・ベイビー』は作れないのかもしれない、けどだからなんだ。早撮りで知られる彼の名作ぶらない軽妙なタッチが、ぼくたち見る者に彼の歩んできた=常に第一線で切り開いてきた並々ならぬ道程を自然と思い起こさせ/感じさせ、またそれを知らぬ若い層にまで届きそうな頬がほころび心温まる時間が約束されている。経験則に裏打ちされたような愛しさに満ちているのだ。感謝しかない。
舞台は1979年から一年後、つまり1980年。昔は伝説だったカウボーイ、かつてのロデオスターが、遠い昔の馬から車に乗り換えて友人に頼まれた仕事のためにメキシコへ。エンドレス恩義から、なかなかの無理難題ミッションを押し付けられるイーストウッド御大。いくら恩売ってたとしてもこんな歳の人にそんなこと頼むか!…とツッコミたくなる気持ちは、そういうものなのだと押さえて楽しもう。この作品に乗っかろう。と、冒頭からトントンとやや表面をなぞるように、だけど分かりやすく象徴的。時々、取って付けたような窮地もご愛嬌。
変わるには遅すぎる?"長い人生で身につけた"経験と知識。肩張らずに人生経験の滲み出た風通しの良さと気取らなさ。スペイン語と手話、互いに分からない差異を伴う反復。歳を取るといつか来る、大事な人々との別れ。セカンドライフで獣医を開けそうなほど動物に詳しいけど、老齢に治癒する方法はない。老いと共に無知な自分を知る。なんともユーモラスな空気漂う『運び屋』の精神的姉妹分のような作品。あるいは『グラン・トリノ』的側面もあるかも。そうした今までの、歴代の作品との共通点も見い出せそう。だから受け取り手次第で、勝手に感傷的にもな(れ)るかも。
こいつはマッチョ、強いってことだ --- どうでもいい
通りの闘鶏でただ一人稼ぎ、人は信用できないと言う13歳の少年。人間不信のアイデンティティー・クライシス真っ最中に陥っている。自分は馬も扱えず、逃げ足の早い白人か?過去の傷跡もいつか糧となればいいのだけど、少なくとも窮地を一度くらい脱せられるような役くらい立ってくれ。昔を彷彿とさせる怪我した暴れ馬との出会いに自身も投影できるよう、乗り方も知らない。
警察に通報もできない状況になって、俗に言う"簡単な任務のハズだった…"パターンとでも言うか道路封鎖の山に、盗難やオンボロ車=老体の故障。メキシコがアメリカ人=アメ公"グリンゴ"にとって犯罪だけの物騒な国でなく、言語や文化も超える人の優しさがあることもきちんと描いている。"信用"/信頼関係を時間をかけて醸成していく、徐々に打ち解けていく2人のテンポよくチャーミング魅力的な掛け合い。父親の依頼の裏にはやはり愛情とは違う企みがあるし、それならいっそ親と離れたほうが賢明だ。チキンじゃない。
P.S. 今は頼むからこの作品がまだ最後にならないことを切に願うばかり
俺はドリトル先生か?みんな俺に動物のことを相談しに来る
Thanks for everything.
腑抜けども
土曜の夜に焼いて食っちまうぞ?大切にするよ
for ALAN
勝手に関連作品『運び屋』『ランボー/ラスト・ブラッド』
御年90歳の冒険
もうイーストウッドっていくつなんだろう?と
調べたら92歳で驚いた。
地球上で一番元気で想像力と制作への情熱のある
90歳じゃなかろうか?
商業的にも成功してるから恐れ入る。
もう明らかにスタントマンだったり、
ショボいカーアクションだなと思ってたけど、
歳を聞くと申し訳ありませんでしたと思う。
先日Twitterで
やる気が行動を起こすのではなく、
行動が先でやる気が出る。と言うのを観たけど、
まさにそういう映画だなと思いました。
90過ぎても映画は撮れるし、旅にも出れるんだぞ!
と言われてるような、
老け込んだ自分にガツンと一発いただけたような
映画でした。
ただ内容はと言うと、近年の運び屋なんかに比べても
やや淡白で物語がストレート過ぎやしないかな?
とは思いました。
奥さん方の追っ手の追っ払い方も二度同じような
展開で、新喜劇のような笑いどころにも見える演出で
少しガッカリしました。
しかし、イーストウッドはモテる。
恋愛においてもまだまだ若くて
生涯現役とはこう言う事を言うんだなって感じでした。
変なタイトル
老いを描く
飾らずそのままの自分をスクリーンに映し、世に出せる胆力はすごい。年老いていく自分を写真や映像で見るのは、現実をまざまざと見せつけられるも同然。90歳でその勇気を持つクリント・イーストウッドこそまさに「マッチョ」。どのワンシーンを切り取っても絵になりそうで、黒澤明ばりの映画愛を感じる。
ターゲットは60代なのではないだろうか。その世代全員に刺さりそうな素敵な大人のラブストーリー。終わり方が一番…なんというか…若い監督には出せない終わり方に感じられました。
国境の向こうで待つ恩人にその息子を託すシーンは、なんというか「選択」が。メキシコとアメリカの国境を越えることで、それぞれの登場人物の「選択」を表現しその後の人生を鑑賞者に委ね映画を終える。このシンプルなセットにカメラワークなんですが、間が、表現が、…もう渋すぎます。
生きることの当然として老いを表現できるクリント・イーストウッドが、カッコ良すぎる。映画を見ていて動きや台詞、視覚的にどうしても「年老いた」と印象づくのは仕方ないが、それはクリント・イーストウッドとして見ているのであって、役どころの「マイク」として見れば違和感ない。監督と同い年、または近い年の人ほどこの凄さがよりわかるはず。
特典インタビューでも「70歳だけど」とおどけて見せていた感じが、格好良さとチャーミングさも素敵です。すっと元気をもらえる映画。
精神的マッチョさが伝えられたか
マッチョと呼ばれる鶏と、イーストウッド自身が演じるマイクがマッチョのシンボルとして描かれていたが、鶏はやるときはやる(敵にとびかかる)やつだったし、イーストウッドも難しい選択肢を与えられてその場その場を乗り越えるためのベターな選択をしようと努力しているのは分かったが、それらが自分の中のマッチョにつながることはなかった。
結論をいうと、イーストウッドが今作で言いたかった『マッチョとは若くて筋肉質で好戦的な男でなくとも精神性によってなることはできる』、というのは、彼自身が演じたマイクの様子では伝えることができていないと思う(少なくとも若かりし頃の彼の活躍をほぼ見ていない自分としては。マイクではなくラフォについてはラストにかろうじてこれから漢になっていく将来性が見えたのだが)。
マイクとラフォが今作中に遭遇しそれを乗り越えようと悪戦苦闘し、ラストには形としてはハッピーエンドを持ってこれたそのテーマ性は、マッチョというよりは家庭内トラブル、その中でも子供の教育問題であった。そして、今作中では子供の問題を起こした両親の考え方の問題は変化しておらず、両親ともに間違ったまま終わったし、子供は子供でこれから父親の本性と相対することになるのでラスト後が正念場であった。マイクが解決したのは恩のあるラフォの父親に恩を返すことで、そこまでの道のりでラフォに人生の先輩として生きる指針は与えられただろうと思う。ラスト、ラフォが眉間にしわをよせて、マイクを振り返り、その後父親に向かっていく姿には今作中で一番マッチョさを感じた。男は一人で強くなるということを言いたかったのかもしれない。
クリントン・イーストウッドファンにはオススメ
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