クライ・マッチョのレビュー・感想・評価
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主人公を演じるには齢をとりすぎ
主人公はイーストウッドではなく、他の役者にさせた方が良かったのでは?
メキシコのギャングの元妻から息子を誘拐させる、という物騒な任務をさせるには齢をとりすぎで動きがスロー過ぎる。
(同様のことは、「アイリッシュマン」のデ・ニーロ、パチーノ、ペシの3人の主役にも感じたが、皆、好きな役者なので、彼らを見たい気持ち半分、作品の魅力が削がれている気持ちも半分)
例えば、「ミスティックリバー」の主演3人(ショーン・ペン、ティム・ロビンス、ケビン・ベーコンなら60過ぎ)でも、本作の主役を演じることもできただろう。とかね。
最初は、「グラン・トリノ」みたいな映画かと思ったが、また違うな。
疑似親という以外にも、2人とも「居場所」が無く、それを探すロードムービー、というかな。
あとは、「少年の成長を描く物語」とすれば、父親、母親と対峙させる必要があると思うが、最後までそれは無し。
それは消化不良感が否めない。
まあ、良く言えば「観客の想像の余地を残す」とも言えるが。
好きな人は好きな作品だと思う。
さすがイーストウッド
馬とともに半生を過ごした人柄の魅力
<映画のことば>
「町中の連中が来た。俺はドリトル先生か。」
単に「牧童」と言ってしまうと身も蓋もありませんけれども。しかし、往時は「カウボーイ」といえば、「男の中の男」…最も男らしい職業であったことは、間違いがなさそうです。しかも、マイクには、ロデオ・スターとしての斯々たるキャリアもあった。
そういう過去の「栄光」を自分からは前に出そうとしないマイクの人柄が、頑なだったラフォの心を溶かし、マルタの心を惹きつけ、そして動物(マイクの半生を一緒に生きてきた馬)の扱いを通じて、本来はただ立ち寄っただけのベラクルスの町の人々(実は恐妻家だった保安官を含めて)の信頼を得たたことは、疑いがないと思います。
そして、その根源にあるのが、マイクの「本物の強さ」ということでしょうか。
歳をとって肉体的は衰えたとしても、それまでの馬との生活によって鍛えられた精神的な強さ(輝き)とでも形容すればよいのでしょうか、いぶし銀のように輝く、そういうマイクの人柄としての魅力が根底にあることも疑いのないところです。
マイクは決して強ぶっているわけではなく、それどころか警察の不当な臨検に遭ってクルマの装備をめちゃめちゃにされた時には(ちゃんと?)弱音を吐いているわけです。 ただのマッチョではなく『クライ(cry=泣く)マッチョ』になっている?
それでも、マイクの人柄そのものから滲み出てくる「マッチョさ加減」というものは、少しも減殺されていないというべきでしょう。
歳をとって、若い頃のように無理に強がることをしなくなったら、本当の強さが、自分の内側からにじみ出てきた…とでも形容すべきでしょうか。
年齢を重ねたクリント・イーストウッドの「老害」を説くレビュアー諸氏も少なくないようですが、評論子は反対に、さすがのクリント・イーストウッドも、老境に達して、初めて創ることのできた一本なのではないかと、思います。
むしろ、この年齢に達して、初めてこの作品が撮れたのだろうと思います。
評論子も、馬齢を重ねるごとに、疲れやすくなる、息は上がる、耳は遠くなる、目は霞む等々肉体的な衰えは覆うべくもないところですけれども。
それでも、マイクのような「いぶし銀」のような強さを、もし身に付けていられたとしたら、それは、とてもとても素晴らしいことだと思います。
俳優としての味のある演技だけでなく、ヒューマン・ドラマの名手としてのクリント・イーストウッドの神通力は、作品の製作本数を重ね、自身もが老境に達しても、未だに衰えを知らないと評することができると思います。
秀作であったと思います。本作も。名監督にして名優であるクリント・イーストウッドの手になる一本として。
<映画のことば>
「すべての答えを知っているような気になるが、老いとともに無知な自分を知る。気づいていたときには、手遅れなんだ。」
経験を積み重ねるごとに、いかに自分が経験不足であるかを赤裸々に思い知らされ、更なる研鑽が必要なことを思い知る―。
「実るほど/頭を垂れる/稲穂かな」
とは、よく言ったものです。
常に今の自分を是とすることなく研鑽・努力を怠らない…。
自分の「老い」を素直に受け入れながらも、尚その「老い」に抗いながら生きようとする姿は、観ていても素敵です。
何歳(いくつ)になっても、評論子も、そのようにありたいものです。
『運び屋』Version2
イーストウッドのグラビア?
強さとは何か。男性の方が見ていて心に刺さる映画かも?
イーストウッド、元気過ぎ!
イーストウッドの生存確認
セリフが説明的だったり、ストーリー展開がご都合主義的だったり、男の子の役者が魅力に欠けていたりと、今ひとつな作品であり、さすがのイーストウッドもクリエイティビティが枯渇したかと心配になる。
とりあえずは90過ぎにしては元気でよかったが。
男性諸氏、刮目せよ。
イーストウッドの終活劇画に現代の男気をみた気がした。
60年以上のキャリアで、アメリカ社会が求め、彼が背負ったものは決して小さいものではないことを考えると、この末路を自ら監督・主演することでケジメをつけるとともに、男性諸氏に変わりゆく男性性を見つめ直す機会を与えた作品なのかも。
生きることを諦めない猪木の使命感にも似ているのかな。
元雇用主に息子を連れ戻すように頼まれる。 その動機は不純なものがあ...
一言「力の抜け加減が、またよろし」
全てを失ったロデオ・スターが、一つの出来事で起き上がる。
ストーリーはシンプルで、時々クスッと笑うところも。
馬使いだったから、動物には慣れてる→「俺はドリトル先生か?」って。
旅の相棒は、訳あり恩人の息子&闘鶏。
この鶏がまたいい味(役目)したりして。
もうここまできたら、イーストウッド作品どれだけ見れるか。
これはコロナ禍で、行けなかったんだなあ。
正直声も枯れてるし、シャキシャキ動けてはいないけど。
ボロくてでかい車を転がしている横で、馬たちが駆け抜けていく。
その風が伝わってきたなあ。
余談ですが。
「イーストウッド」「鶏(チキン)」で連想される映画。あれあれ!。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「それでも、行かなきゃ」
主人公もマッチョ!
幸せな時間だった!!
お爺ちゃんに依頼して大丈夫なのか!?と初めは思いましたが、ゆったり流れるメキシコの時間が次第に心地よく感じるようになりました。父親の元に送る事で、今この幸せな時間が終わってしまうのが寂しくなる良い映画でした。誰の人生にも必ずある、いっときの出会いを上手く描いていると思います。掲載の粗筋は何か違う気がしました。
The road movie
監督50周年記念
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