「阿木燿子原作かと見紛うほど母性が真芯を貫く水没したマイアミを舞台にしたSF版『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』」レミニセンス よねさんの映画レビュー(感想・評価)
阿木燿子原作かと見紛うほど母性が真芯を貫く水没したマイアミを舞台にしたSF版『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』
舞台は戦争で荒廃し気候変動による海面上昇で水没したマイアミ。そこは日中は気温が高すぎるため夜型の生活を強いられる世界、一握りの富裕層は高い外壁で守られたドライランドで、土地を奪われたほとんどの人々は水没した廃墟で暮らしている。退役軍人のニックは友人のワッツと一緒に自分の記憶を追体験出来る装置を使ってクライアントに過去の思い出を提供したり、裁判所の要請で証人の記憶の中から必要な映像や証言を取り出したりするビジネスを展開している。ある日彼らの事務所をメイと名乗る女性が訪れる。自分の家の鍵をどこかに忘れたので記憶を遡って鍵を探したいという依頼を無事にこなしたニックはメイの魅力に惹かれすぐに親密な関係となるが、彼女は突然何も告げずに姿を消してしまう。ニックは自分の記憶の中に彼女を探す手がかりがあると確信して装置を使って何度も記憶を追体験するが・・・。
宣伝でやたらとクリストファー・ノーランの弟ジョナサンの製作であることが強調されていましたが、正直そこは肝ではありませんでした。『インセプション』と同じように他人の記憶に潜入する話だと思っていましたが、ニック達は記憶に潜入するわけではなく、催眠術師のように声で被験者の記憶に誘導するナビゲーターで、その映像をモニターするだけ。当然記憶に干渉出来るわけではないので、その映像の中で見つけた手がかりを基に現実世界で人探しをするので、見た目はほぼハードボイルドな探偵モノ。現実の話と追体験している記憶の中の話が時折前後するもののストーリーも非常にシンプルで、予告でやたらと強調される幻想的な映像は刺身のツマ程度の意味しかない。宣伝は本作の魅力でもなんでもないところばかりを強調していたことにかなり序盤で気づいてこりゃハメられたかなと思ったのですが、そこからの展開はこちらの期待を軽快に裏切ってみせてくれたので結果としては満足。『レミニセンス』というタイトルの語感が醸すSFチックな雰囲気に騙されますが、このタイトルの意味は“思い出”。人間とは過去に囚われているものだいうことが繰り返し劇中でも語られますが、本作の主要人物も過去の失敗を揉み消そうとしたり、大切な思い出にいつまでも耽溺していたりと断ち切れない過去と折り合いをつけられず迷走するわけですが、それを断罪するでもなく十人十色の選択肢を残す展開となっているところは、『テネット』や『インセプション」、はたまた『メメント』といった作品のテーゼとは趣が異なるもので、むしろ非ノーラン的なアプローチだと感じました。
序盤からずっと本作が何かに似ているなと気になっていたのですが、それはキャスリン・ビグロー監督の『ストレンジ・デイズ/1999年12月31日』。どちらも記憶に耽溺する人間が主人公、本作におけるニックとワッツの関係は『ストレンジ〜』における主人公レニーと彼の親友メイスと酷似しているし、どちらも夫婦がタッグを組んで製作した作品であることも共通しています。そしてどちらもどうしようもないダメ男を支える女性こそが真の主人公で物語の核となっているのが母性。本作に強い影響を与えているのは間違いないと思います。
エンドロールを見るまで確信が持てませんでしたが、ニックのことを心配しながら自身も過去に縛られ飲酒に逃避しているワッツを演じているのがタンディ・ニュートン。メイを演じるレベッカ・ファーガソンとは異なるアプローチで母性を表現する演技がさりげなくも美しいです。
無駄に強調されたノーラン調に期待した人は肩透かしを食らう水没した街が舞台なのに実は地に足がついた地味な作品。CGで丁寧に作り込まれた世界観やダニエル・ウーが突然二丁拳銃を披露する銃撃戦などは正直オマケみたいなもので、それらを全部取り除いて80分くらいの作品にしたとしても『トータル・リコール』の原作である『追憶売ります』にも似たノワール調の渋いSF小品になったと思います。ヒロインの名前をメイではなくヨーコに置き換えれば、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの名曲『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』のSF映画化にも見えます。前述の通り宣伝手法に難ありですが作品クオリティとしては満足いくものでした。