「バック・イン・ザ・Kin-dza-dza. すっきりとシェイプアップされ、良くも悪くもアクが弱まったか。」クー!キン・ザ・ザ たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
バック・イン・ザ・Kin-dza-dza. すっきりとシェイプアップされ、良くも悪くもアクが弱まったか。
“キン・ザ・ザ星雲"にある砂の惑星“プリュク“へと転送されてしまった2人の男と、彼らから“カツェ“=マッチを巻き上げようと目論む3人の旅芸人との珍道中を描いたSFコメディアニメ。
ソ連時代のロシアで大ヒットを記録した『不思議惑星キン・ザ・ザ』(1986)を、ゲオルギー・ダネリヤ監督自らがリメイク。奇しくも、ダネリヤ監督の名を世界に知らしめた『キン・ザ・ザ』のセルフリメイクが氏の遺作となった。
主人公2人の関係性や職業が変更されていたり、旅芸人一座にアンドロイドが追加されていたりと、オリジナル版と大きく違う点もあるものの、基本的なストーリーラインはほとんど同じ。オリジナル版を観ていれば次にどうなるのかはわかる。
だからこそ、特にセンターに潜入してからの微妙な差異が効いてくる。「あっ、電話を拒否られるのおじさんの方なんだ!」とか「えっ、ここでおじさんも逮捕されちゃうの!?」とかね。間違い探し的な鑑賞も、この映画の楽しみ方の1つだと思う。
面白いのは、物語の筋は同じなのに描かれているテーマが変わった様に見えるという点。
前作にはソ連という共産主義体制への批判的な眼差しが強く感じられたのだが、今作ではあまりそこは伝わってこない。プリュクの滑稽でありながら残酷な体制は背景に過ぎず、主人公2人の道程と変化が重点的に描かれている。言い換えるならば、前作ではキン・ザ・ザ星雲という異世界そのものが主人公だったのに対し、今作ではロシアからの闖入者2人が真っ当に主人公をしている、といったところだろうか。
自分のやり方を意固地に守り通すクラシック奏者と、柔軟に世界に対応していくDJ志望の青年。これをロシアと西側諸国のメタファーと捉える事も出来るが、そこはあまり深く考えなくても良い様な気がする。モンティ・パイソン顔負けの社会派コメディではなく、子供でも素直に楽しむ事が出来るSFアドベンチャーに物語を描き直す、それこそが『キン・ザ・ザ』のリメイクにアニメという手法を選んだ最大の理由なのかも知れない。
一時は業界をリードしていたロシアアニメ。あの宮崎駿も、『雪の女王』(1957)というアニメ映画に多大な影響を受けた事を告白している。
本作はそんなロシアアニメ黄金期を思わせる、堂々たるクオリティ。日本アニメともアメリカのカートゥーンとも異なる、強いて言うなら『ベルヴィル・ランデブー』(2002)等のフランスアニメに近い質感であり、バンド・デシネに生命が宿ったかの様な美しい世界と可愛らしいキャラクターが、観客の心を鷲掴む。
映画の上映時間についても触れておきたい。オリジナル版のランタイムが135分と長尺だったのに対し、本作は97分と大変コンパクトに纏まっている。
正直、オリジナル版はかなり間延びしていると思うのでこの尺に納めたのは正解。確かに演出にタメがなくなった事で薄味になってしまったきらいはあるが、情報やストーリーが綺麗に整理されているので非常に観やすくなっている。オリジナル版とアニメ版、初心者にオススメするのであれば後者一択だろう。
ただやはり、アニメになった事で前作にあったビザーロでストレンジでサイケデリックな持ち味は減退。普通のおじさんが鼻に鈴を付けて「クー!」とかやってるのが面白かったのであって、どこからどう見てもエイリアンってキャラが珍妙な振る舞いをしても、あの面白さは生まれない。
また、視覚的なショックも弱い。前作は何故か二部構成になっており、一部の最後で突然一面の雪景色に画面がパッと切り替わる。ストーリー的には不要だとしか思えないのだが、この砂→雪へのヴィジュアル・インパクトは相当なもので、こういうハッとする様な画が一つあるのと無いのとでは、その映画への印象がまるで違うモノになってしまう。
クライマックスのアルファ星もそうで、砂の惑星から緑の惑星へパッと場面が遷り変わる、その衝撃が観客の脳裏に強く焼き付く。
今作ではこの雪も緑もまさかのカット。そのおかげで物語の纏まりが良くなっている事は確かなのだが、ちょっと印象には残りづらくなってしまったかな。
アニメ化によって観やすくはなったが、その分奇妙奇天烈さは失われてしまったという一長一短なリメイク作。
何にせよ、27年の時を経て蘇った『キン・ザ・ザ』は一見の価値あり。是非オリジナル版と併せて鑑賞してもらいたい。