「ラストの着地が良ければ傑作だったとは‥」メタモルフォーゼの縁側 komagire23さんの映画レビュー(感想・評価)
ラストの着地が良ければ傑作だったとは‥
(完全ネタバレなので必ず映画を見てから読んで下さい)
個人的にはBL漫画には抵抗があって題材的にどうなんだろうとは思われましたが、すごく良かったです。
秀作だったと思われました。
特に主人公の佐山うららを演じる芦田愛菜さんの演技が素晴らしく、雪を演じる大ベテラン宮本信子さんの演技と全く遜色なく、2人の関係性を見ているだけで成り立つ映画だと思われました。
岡田惠和さんの脚本だからか劇的なことはなるだけ廃されていました。
淡々とした映画になりかねないストーリーをここまで芳醇な映画にしたのは、特に芦田愛菜さんの深くも自然な演技と宮本信子さんの広い存在があったからだと思われました。
ところで個人的に惜しいと思ったのは、うららが「完璧な1日でした」という終盤のシーンでした。
うららはやはりラストでコメダ優先生(古川琴音さん)と会話は交わした方が良かったのではないでしょうか?
この映画の主人公のうららが描いた同人誌のBL漫画が、うららの視点からコメダ先生に届く必要があったと思われました。
うららが描いた同人誌のBL漫画は、雪の説明によりうららが描いたことはコメダ先生に伝わります。
しかし、雪がコメダ先生に伝えた会話の中心は、コメダ先生のBL漫画によって雪がうららと友達になれた、という感謝の言葉でした。
この雪の感謝の言葉はコメダ先生にも伝わり、観客である私にも感動を持って伝わりましたし、素晴らしいシーンだったと思われます。
しかしうららは、雪と友達になれたのは本当に良かったと思ってはいても、一方でうららは、雪と友達になることで自身の心情の問題は全て解消していないとこの映画で伝わっていました。
そのうららの心情の問題とは、母子家庭にいる自分であり、幼馴染の河村紡(高橋恭平さん)と付き合っているうららからは何でも手に入れているように見える「ずるい」橋本英莉(汐谷友希さん)に対してであり、高校卒業後の進路についてだったと思われます。
これらのうららの心情の問題は、うららが雪と友達関係になっても解消することはなかったと思われます。
そのうららの心情の問題の空白を埋めるのに、うららはコメダ先生のBL漫画が必要だったと思われました。
そしてうららが描いた同人誌のBL漫画が、うららが作者本人としてうららから見た視点でコメダ先生に届く必要があったと思われます。
終盤でうららとコメダ先生とが会話できなかったことで、残念ながら、うららの心情の問題は映画としては解消されずに宙に浮いた状態で終わってしまったと、観客の私からは思われてしまいました。
ただ、このうららとコメダ先生が会話できないのは、どうやら原作通りのようです。
原作者の鶴谷香央理さんは「願いはわかりやすくは叶わない」をその場面に込めたそうです。
すると映画としては、原作者の鶴谷香央理さんの原作意図通りにこの場面を描くなら、うららの心情問題の解決を別の方法で取る必要が出てくると思われました。
それは、うららの幼馴染の紡が、海外留学するので別れた橋本英莉の、海外留学の見送りに行く場面で可能だったと思われます。
うららの心情の問題には、幼馴染の紡や、自身が大切にしていたBL漫画まで奪って行くように思えていた「ずるい」橋本英莉との関係性もあったと思われます。
その橋本英莉を追いかける幼馴染の紡との(映画として)最後の決着が(うららがコメダ先生と会話できないのであれば)必要だったと思われます。
しかしうららは、幼馴染の紡とも「ずるい」と思っていた橋本英莉とも、しっかりとした対峙解決をしないまま紡とは途中で別れてコメダ先生のサイン会に戻って行きます。
つまりうららはこの映画では、自身の心情の問題である紡や橋本英莉(加えて母子家庭や卒業進路など)との関係性の解決も、その苦しさから生き延びる為に読んで来たBL漫画の作者であるコメダ先生との会話も、そこから自分の力で生き延びようとして描いた自身の同人誌のBL漫画の評価も、得られないまま宙ぶらりんの状態で物語は閉じられることになったと思われます。
観客の私からは、とてもうららにとって「完璧な1日」とは伝わらず、映画の感動という点では食い足らなさがあったのも事実です。
しかし、もしかしたらうららにとって映画終盤の宙ぶらりん状態の先に(私には伺い知れなかった)解決の光を見たからこそ「完璧な1日でした」の言葉が出たのかもしれません。
映画は宙ぶらりんの状態で閉じられましたが、本当の物語のエンディングは映画のずっと先にうららにとっての未来に待っているのかもしれません。
個人的にはなので、傑作まであと一歩の感想は持ちました。
しかし作為性を限界まで廃して、だからこそそれぞれの登場人物の演技が突出しているから成り立ったこの映画は、やはり素晴らしかったとは思われました。
うららにとって、あの日が「完璧な一日」だったのは、"遠くから来た"と感じていた雪さんと過ごした日々全てが凝縮されたような一日だったから。ではないでしょうか?
(雪さんと、うららさんの話だったのだ、と思って見たら、そういう見方も出来るかと思います☺️)