「君が好きだと 叫びたい!!」THE FIRST SLAM DUNK 加藤プリンさんの映画レビュー(感想・評価)
君が好きだと 叫びたい!!
5点満点中、10点です。
この時代 この映像体験ができる時代に 生まれついてよかったーーー! と 心の底から思える映画。
「かぐや姫」「アバター」のときも感じたけれども
それ以上に、漫画と、アニメーションの力を 本当の意味で感じられた作品。
隣のカップルのおねえさん、すみません。開始3分から ずーーーっと泣き通しだったのは 私ですw
映画館を出ても
呆然と、廊下で座り込んでしまった これほどの衝撃体験は 生まれて初めてです。
原作大好き40代です。
キャラクターデッサンに色がついて歩きだすだけで 鳥肌が立ち、涙が溢れ出ました。マジです。
原作や作家の絵に思い入れが強かったとはいえ、このような体験は 生まれて初めてです。
カメラワーク、真上からタイトル、コート中央見下ろして、選手を回り込んで、、試合開始。凄い表現です。「マトリックス」でカメラ実機をぐるり並べて撮ったアレです。凌駕しています。
刺さるのは当たり前なんですが、映像化されるに当たり、
漫画の場合、均一化された時間軸(読み手のスピードは作家にコントロールできない)に対する、作画的なテクニックがありますよね?
それを今回、アニメーション化することで、作家の思う時間軸を表現した作品になっているのです。
アニメーションというのは、ここまで表現できる次元に到達しているのか、、と感動しました。
リアルなバスケットボールの試合の時間軸って、こうなんですよね。
それを、漫画表現にすると、漫画「スラムダンク」になるんですが、
本来は、こういうスピード感、時間軸なのですね。
これは、「ゴチックメード」の時にも感じました。漫画原作者の本当の頭の中って、こうなのですね。
同時に、観客や、その他の登場人物や、漫画のコマに描き切れない部分
そして、漫画では表現しきれない部分 たとえば、得点した直後に、後ろ下がりダッシュで戻る描写とか、試合中の審判の動きとか、
山王のゾーンプレスの動きとか、威圧感とか、とても素晴らしいと感じました。ここは、漫画ではわからなかった。
これらが表現できるのは、漫画ではなく、進化したCGならではの 作品です。
絵も美しければ、演出も素敵で、音楽も素晴らしいです。
波の表現も、夜の木立のさざめく風の音も 夜空の広がりがあり、とても素晴らしかったです。
沖縄文化に触れているのも とても良かったですね。
宮城少年が被った仮面は 死者を送る際に被るアンガマですよね。
だから母親は執拗に引きはがそうと怒るのですね。
兄の秘密基地のような岩場の窪みは(少し違うかもしれませんが)あれは御嶽ですね。
あそこでは本音を漏らしてよい 心の聖域なのですよね。
島人だったリョータが 本来持っている 常人離れした身体能力、素質、
それが内地に移住したことによる異分子成分が、三井との出会いにもなり、赤木との軋轢にもなり、
臆病なくせに、素直になれないという、彼の人格形成に大きな影響を与えているのですね。
いちばん良き理解者なのが彩子という点も良いですね。本来母親が果たすべき役割が、彼女に託され表現されています。
原作の役割をより拡大解釈されており、彼女の存在と魅力が より明確になっています。
そう、なにより素晴らしいのは、脚本です。
原作にない、宮城リョータのバックボーンを描くことで、より 原作をブラッシュアップされた作品に仕上がっています。
「鬼滅の刃 無限列車篇」のときに苦言申し上げた点が、ここなんですよね。
原作を原作のまま 良質の作画で映像化したのが、鬼滅さんだったのですが、それでは 一本の映画作品としては 成立しないのですよね
それを、この作品は、当たり前のように 乗り越えて 見事に表現してくれました。
手法含め、これでこそリメイクする、 映画化する意味があるのですよね。
(何も足さず / 引かず ただ映像化してほしいというニーズも気持ちも理解できます。ただ、それでは作家が映画化させる値打ちがないのですね。 特に今回は 原作者による監督 / 監修ですので、なをさらその意味合いが強いのです。
自分の好きな原作のあのシーン / 台詞を削られた! 改悪だ! という気持ちは、私も原作ファンですから、非常に非常に理解、共感致しますが、、その嘆きを書くだけでは、ただの幼い感想文ですよね。
書き手が自分の感性に合った / 合わなかったは、読み手にとって、あまり 参考にならないのです(まったくならないとは言わない)。泣けた / 泣けなかった もそうです。涙腺のゆるさや沸点は個人差がありますからね。客観的指標になりにくく、あまり意味がない。レビュアー個人の情報は、他者には あまり価値がないのです。
大切なのは、作品そのものを理解する視点ですよね。
レビュー(批評、品評)を書くからには、では作家が監督が、なぜ そのシーンをカットしたのか、原作から 改変がなされたのか、そこへ各自が各自の知識や感性で踏み込んでいかないと、レビューにならないのです。
気に入らない箇所を 手抜きとか大人の事情とか(実際の現場では存在する要素ではありますが)、マイナスな受け取り方をするよりは、では なぜ そこを手抜きしたか(=それ以外のことに手間暇を掛けたのか)を探るほうが よほど建設的なレビューなのです。
たとえば なぜ今回、魚住の大根や「好きです・・今度は嘘じゃないです」や「左手は添えるだけ・・」がカットされたか。いずれも私にとって、大切なシーンなのですが、理由は明白で、今回、宮城の物語が主軸にあるからなのですよね。カットされた要素よりも、優先して描きたいものがあるからですね。
なにより、
原作者にとって、カットしたいシーン、台詞、キャラクターなんて ひとつもある訳ないじゃないですか。読者や観客よりも 世界でいちばん この作品に愛があるのは まちがいなく 作者なのです。
しかし、そこをなぜ あえてカットしたのか。 その作家の意図を分析し、考察し、作品全体のテーマを見出し、自分なりの作品理解を書くのがレビューなのです。
この視点がないと、よく言う、「それってアナタの感想ですよね」で終わってしまう。他者にはあまり値打ちのない幼い感想文になってしまいます)
オリジナル展開のラストシーンも
原作を昇華する形ですので、決して否定的なものではないですよね。
宮城が湘北のチームリーダーになること
沢北が流川を潰せないまま、渡米すること(沢北の深掘りも、とても良かったですね)
その過程の次の時系列でいえば、想像以上にて、至極当然の展開なのです。
時系列を気にされる人が多いようですが、厳密には、あまり必要がない要素ですね。あの未来は未来なのであって、何年後であっても良いのですから。
流川や桜木の物語は、また 別に語られることもあるでしょう。
(個人的には、この二人が、実は プレイヤーとして渡米して一流に通用するとは思わないです)
宮城母の、夫につづき長男を失った辛さや苦悩、それが
宮城自身の辛さや苦悩に重なり、交錯し、乗り越え、成長してゆく姿について
文学的ですらあり、とても 素晴らしい脚本でしたね。誕生日も、母への手紙を破るところも よかった。
話題の声優問題にも触れておきましょうか。
私はリメイクの際はオリジナルキャストじゃなきゃヤダという気持ちが理解できないタイプで、
たとえば舞台作品であれば、再演の際にキャスティングが変わるのは当たり前です。同じ作品を異なる俳優が演じることに意味があるからです。
翌年の続編ならともかく、何十年前の作品の同じ役を、同じ声優に演じさせることにも疑問があります。
俳優の成長とモチベーション、声質や演技の変化が、今回の作品にとって、良い結果になるなら、オリジナルキャストの方がよいケースもあるでしょう。
ですが、ただ過去の自分の演技をなぞるような 要求がされる現場であれば、声優にとって、果たしてよいことでしょうか?
一発屋芸人の苦悩、何年たっても何処へ行っても「またあれやってー」問題ですね。
もちろん 再現できる技術は素晴らしいですし、何度も同じ声で聴きたいというニーズも理解します。私だって、テレビで見たネタを生で見れたら嬉しい気持ちになります。
そして その思いに応えたいという、往年の名曲を生涯歌い続ける 歌手と同じで、尊い行為だと思います。(でもやっぱり、誰しもどこかで 一度は嫌になるみたいですよ)
そこで、どうでしょうか。オリジナルキャスト含め、改めてオーディションで、今現在のベスト配役を探すというのが、ひとつの解決案かと考えます。
ただ、オリジナルキャストと変更キャストが入り乱れる事による作品クオリティのブレもありますし、
オーディション落ちしたオリジナルキャストの心情を鑑みると、現実的ではないのかもしれません。
今回は、原作者自身がコメントしている通り、全キャストを変更した意図を尊重すべきだと思います。
「私のイメージどおりじゃなーーい」という思い入れは ぐっと堪えましょう。大人ですから。
私自身は、今回のキャスティングは 誰ひとり キャラクターイメージを損なうことがなく、とても良かったと思いました。
よく耳にする 桜木ジャイアン問題も、今回の宮城軸の作風なら、とても良く効果していたと思います。
桜木は桜木というだけで 強いキャラクターですからね。脇役イメージのある声で、群像劇にようやく収まる気がします。
桜木主役の物語であれば、また違うキャスティングだったかも しれませんね。
この漫画の素晴らしいところは、主役クラスだけでなく、すべての登場人物に 感情があり、その流れがあり、ドラマがあることですよね。
応援しているモブキャラ、監督、レギュラー落ちの仲間、敵のチームメイト、 敵の監督・・・
安西監督も、レギュラー落ちの、念を込めるチームメイトも、応援仲間も、そして いちばん恥ずかしい役回りである
魚住も。(あんな行動、ふつう、できますか?? 大会で負けた相手の試合を観に行って、あの行動ですよ⁉ どれだけ赤木愛が強いんですかw 私が中学生時代には理解しませんでしたが、大人になって読み返すと、彼の行動の尊さが理解でき、刺さるようになりました。安西先生の苦悩もそうです。いずれも、私にとって とても大切なシーンです)
歳を経るごとに、感情移入できるキャラクターが増えて行って、そのことを学ばせてくれる。 素晴らしい少年漫画だと思っています。
この映画、私が唯一、こうしてほしかったなぁ‥の思うのは、
宮城の母親だけでなく、赤木の先輩に、この試合を客席で、ぜひ 見せてあげて欲しかったことです。
宮城がパスができるということを、その先の成長を証明しているのだから。(これなら、赤木だけに留まらず、宮城の成長物語として、テーマに沿った内容になりますよね)
赤木のつくりあげたチームを、宮城の成長した成果を、ぜひ 彼にも見せてあげてほしかった。