「何故、寄りにも寄って『ここ』で『宮城』なのか」THE FIRST SLAM DUNK サブロウタさんの映画レビュー(感想・評価)
何故、寄りにも寄って『ここ』で『宮城』なのか
この映画を簡潔に言うなら勿論『素晴らしい映画』だ。
ファン待望の山王工業戦の映像化であり、ファンならばそれだけでも満足できる。
漫画、アニメ的な嘘を極力排したほぼ等速と言えるスピーディーな試合描写は原作を知らなくとも興奮できるのではないかとも思う。
個人的に一番感心したのは等速に近い試合速度の中でキャラクターが原作通りちゃんと喋っていたことだ。
スポーツ漫画における『こんなに会話できるもんか?』に対し『出来る!』という返答をされた気がした。
映像美も素晴らしくトゥーン調のCGはセルに勝るとも劣らない美しく迫力ある動きを見せていた。
物議を醸した声優変更に関しても、作画や音楽、演出等々当時のアニメを彷彿とさせる要素はまったくないと言っても過言ではないほど別の作品に仕上がっていることから違和感はまったくない。
随所に挿入される読み切りをベースにした宮城リョータの回想シーンも胸に来るものがあり素晴らしい。
と、ここまで褒めちぎったが、本作には特大の問題点がある。
それは主人公が『宮城リョータ』になっている点だ。
いや、宮城は悪くない。
彼はいいキャラクターだし、追加された彼のエピソードも良いものだった。
だから正確に言えば
寄りにも寄って『山王工業戦』で『主役を変えた』点だ。
スラムダンクという作品は群像劇的な側面も強く、様々なキャラクターにスポットを当てた話が存在する。
原作最終戦である山王戦でも例外ではなく、前半〜中盤にかけて敵味方様々なキャラクターにスポットが当たった物語が展開される。
本映画では宮城リョータ主軸に一本化したことで試合序盤のよく言えば多面的、悪く言えば煩雑的な部分をスッキリと整理し、非常に見やすく再構成されている。
しかし、それは様々なキャラにスポットが当たっていた中盤までの話である。
試合終盤になると、同時にスラムダンクという物語自体も終幕に向かっていく関係で群像劇的だった物語は作品の主人公である桜木花道の物語へと収束していく。
つまり試合終盤の宮城(というより桜木とライバルの流川を除く湘北の3人)は物語的にはっきり言って蚊帳の外であり、『仲間キャラ』以上でも以下でもない。
そんな人物を主役に据えて、その人物を描く為の試合展開の改変や加筆もなければどうなるか?
当然、桜木にスポットライトが向いているのにカメラは宮城を追いかけたがってるというチグハグな状況が生まれるわけだ。
結果的に本映画は終盤になればなるほど主役の影が薄くなり回想シーンで無理やり存在感を際立たせるという自体に発展し、回想シーンを挟まない決着直前になれば主役はほぼ空気と化してしまった。
はっきり言って山王戦以外であれば宮城を主人公にしてもこうはならなかっただろう。
宮城主役を描きたいなら豊玉戦にすればよかったのだ。
試合前の啖呵のきりあいなど個人的な因縁とも呼べるエピソードもあるなど山王戦より余程主役に据えるに相応しい試合であろう。
宮城主役の豊玉戦、桜木主役の山王戦の二部作として作れば満点を付けたかもしれない。