ファーザーのレビュー・感想・評価
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ひとは老いる
アンソニーの脳内の錯綜(アルツハイマー)が説明されずに絵になっているので、サスペンスのようにも見える。つまり、かれのまわりの人たちが結託して、アンソニーを欺そうとしているように(も)見える。
その見え方が、アルツに侵された老人の懐疑心や孤独をあらわしていた。──みごとな構成だった。
(わたしは日本映画をdisりながら外国映画をほめる牽強付会なレビュワーだが)日本映画がこの主題=老いと介護で、映画をつくるならば、お涙にするんじゃなかろうか。と感じながら見ていた。
日本映画界が誇るお涙頂戴作風の雄、中野監督の「長いお別れ」が、この映画の設定に近似している。因みにこの小説及び映画にたいして個人的になみなみならぬ嫌悪をかんじるのは、四半世紀愛読しているチャンドラーとおなじタイトルだから。ふざけんなよ。(と思います。)(個人の見解です。)
それはともかく、日本は高齢者比率が世界一。したがって「老い・介護」はこの惑星で日本がもっともその窮境を負っていると言って過言はありません。日本人にとって、現実的で身近で、まさしくわたし/あなたが直面している「老い・介護」の話がなぜお涙頂戴になるのか、わたしには解りません。
だからこそ、お涙におとしていない映画The Fatherを見てがつんときた。アンソニーの見る非現実や、家族のお荷物になっていく境遇に共感ができた。ラストで幼児化してママ、ママと泣きくずれるアンソニーを見て恐怖を感じた。
わたしたちにんげんが、おとなにならなきゃいけないのは、最後の恐怖(=ひとりでしぬこと)を耐えるためではないでしょうか。わたしは、アンソニーのラストの泣き顔を見たとき、猛烈に、しぬときはひとりだと感じました。
しぬのは怖くない?孤独も寂しくない?いやいや、そんなことは言ってません。アンソニーはもはや、他人はおろかじぶんが誰かも、どこにいるのかも解らなくなっているわけです。そういう状態のにんげんにしぬのは怖くないとか、孤独が寂しくないとか、は有り得ません。病床に臥せったままの状態のにんげんでも、それは同じです。わたしたちは、健康な状態のまま、ある日・ある時間を堺に突如しぬわけじゃない。現代の医療においては、どんな悲惨な状態であろうとも、長い長い恍惚の期間をすごして、ゆっくり死んでいくのです。
だめなら死んじまえばいい。という考え方があると思います。生きていかれなきゃ死ぬだけ。とか言う人がいます。だけどそう言ったり考えたりする人も、走っていて、ある日・ある時間を堺に突如しねるわけじゃない。死んじまえばいいんだ──と潔く聞こえるコトバをはきながら、不摂生をかさね、太く短く生きたひとが、ながく他人様の世話になるアルツハイマーや寝たきり状態をへて、ゆっくり死んでいくわけです。それが「老い・介護」の問題です。
で、われわれはアンの立場でもあり、将来のアンソニーでもある。だからどっちについても意見がありますが、親の介護に直面している輩が「おまえになにがわかる」風の逆切れコメント&マウントしてくるのをヤフコメでよく見ますので、介護については言いますまい。(わたしも親の介護をしていますがこの国には何百万とそんな人がいるので親の介護をしていることでマウントとってくるやつってまちがいなくあほだと思います。「親の壮絶介護」ってのは、ネタが尽きた芸人か、懐かしの有名人が生存報告にやるエンタメニュースのことです。)
ただし、じぶんの老後については、だれかの世話にならないように、ぽっくりいけるように、あるいは待遇のいいホームに入れるように、(それらが適うかどうかは解りませんが、)いまの人生をおくることはできると思いました。(=しっかり稼ぐとか、身体をきたえるとか、健康を維持するとか、他人を扶けてあげるとか、そういうレベルにおいて)じぶんのためでもありますが、とうぜん、家族や周りにんげんの為でもあります、
もうひとつ感じたのは広く清潔なフラット(居住空間)。狭い家屋でないことでかなり気が紛れた。主題に反して撮影も超アーティスティック。そしてオペラ。このすさまじく重い主題が、うつくしいフラットと音楽によって、おとなの事情もしくはそのリメイクでも見ているような気分で見ることができた。ラスト、カメラが窓からさわやかな新緑をとらえた。この後味で「老い・介護」を描いたことに驚嘆した。
認知症の老人の主観
実はこの映画。
実はアンソニーは痴呆でなくて、周りの人間が悪だったら、と言う展開であって欲しかったが、最後まで病気だろう展開が続く。
娘に首を絞められて死んだあとの夢という設定はどうだろう。
鑑賞者の翻弄がまさに製作者の意図するところ。
その翻弄こそが患者の主観であると伝えたいのだと受け取りました
さまざま媒体から自分から欲せずとも介護という現実の厳しさ、認知症の絶望を知った気分になっていました。そうこの映画も含めてです。私は介護の問題にことさらに興味があってこの映画を鑑賞したわけではありません。しかしこの映画は最もその現実に肉薄してそれをこちらに伝えてきたと感じます。重く、厳しく、とても当事者ではない自分が語れる問題ではありません。そうこの安っぽい逃げの感想を読んでお分かりの通り、この映画を鑑賞した後に至っても私のこの問題への理解はあくまで頭での理解であり、真なる心からの「理解」ではありません。例えば私が個人的に当事者意識のあるアルコール依存症問題とは全く別次元にある理解です。
しかしそれでもこの映画は胸を打ちました。不幸な映画を観た時は、ただ幸せを祈ることしか出来ませんがこの映画においては幸せというものがどういう状態か分からず、苦しく混乱しました。フィクションですら迷い苦悩します。ましてや現実においては…。祖母の葬儀での親父の涙をほんの少しだけ理解できたような気がします。
伝えるべき主題はもちろん凄いものですが、映画としてのレベルが非常に高くとても面白かったです。ここまで素晴らしい映画だからこそ難しい問題を多くの人に届けられていることに深い感銘を受けました。素晴らしかったです。
バーチャル体験できちゃう
なんだかわからん幕引きだった2021年のアカデミー賞授賞式。作品賞のあとに主演男優賞が発表されるという異例の順番変更があったにも関わらず、当の受賞者アンソニー・ホプキンスは不在のためコメントもなくあっさり番組終了。とにかくナンダコレだったと記憶してる。
その後思ったほど話題にも上らなかったけど、気付いたら上映してる!ならば観に行ってみよう!!(と思って観に行ったのに感想を投稿するの下書き保存したまま今の今まで忘れてた💦)
「さすがです……」の一言。
上手いとか下手とかなんかそーゆー感じぢゃない。どっかの家で起きてることをのぞき見した感じ。そして認知症の人には世界がどー見えているのかを(想像も含まれるんだろうけど)教えてくれる作品。
予定外にお勉強できた「タメになる」作品でした✨✨✨
日常の音楽と建築のなかの悲劇
この映画をただボケ老人の悲哀として読み取るだけでは面白くない。そうか描かれているのは我々の日常的な日々の悲劇、それを「音楽と建築」により表現している。
ビゼーの「真珠採り」にはじまり、マリア・カラスが歌う、ベリーニのノルマの「清き女神」、たぶん監督が聴かせたいメインはイタリアのエイナウディの「My Journey」かもしれない。しかし、ボクはそのバラエティに興味深々、まだ解けない監督のメッセージはその組み合わせにあるようだ。
ドラマは認知症のアンソニーを演じるアカデミー賞のアンソニー・ホプキンスの独演劇。彼はロンドンの自身の高級フラットと娘であるアン夫婦のフラット、そして、痛ましい老人ホームの小さな個室に取り残される。どの部屋も決して惨めではなく、エスタブリッシュされニートなのだが、気がついてみるとそこはたった一人の迷宮空間。
そして最後のシーンはアンが一人歩くパリの広場の頭部が欠落したイゴールの彫像「月の光」。その彫像はアンソニーの象徴だ。
彼のニートなフラットの窓の外の広場の子供の自由が彼と空間、その迷宮を一層強調する。
彼の迷宮空間は認知症にあるのだろうか。
いや、この映画を建築批判とするならば、テーマは認知症ではない。
「去年マリエンバート」と全く同じ、現代社会の建築的迷宮にあるのだ。
ファーザー
認知症をテーマにした作品。
認知症をテーマにした作品はいろいろあるが、この作品は認知症が進んでく本人目線で描かれているのでリアリティがすごいあった。
誰しもが起きるであろう認知症と、経験するであろう親の介護。
認知症、本人は真面目にやってる行動が他人からしたら異端。特に初めの頃なんかは家族も本人も認知症を患ってる事わからないでしょう。
友達の名前忘れることはあっても家族の名前を忘れる事はない。
家族に「あんた、誰?」って真顔で聞かれた時に耐えられるか?受け入れられるか?
私は多分厳しいかなぁ…
誰しもが、経験するであろうとてもリアリティのある番組でした。
※批評には個人の価値観が含まれています。ご了承ください。
んー何か淡白で中途半端感が
(原題) The Father
認知症を体験する
●モザイク画の様に時間軸や登場人物がバラバラに出てくるので混乱する。
何が正しくて、何が間違いなのか分からなくなる。
この感覚で生きていたら、気が狂うなと、認知症の怖さを味わえる。
●アンソニー・ホプキンスの演技が凄すぎて号泣する。
猟奇サイコパス殺人鬼が印象深い俳優さんなのに、殺気がない。虚空の彼方を見つめている表情が、認知症の人の表情そのものでゾクっとする。
頬を平手打ちされるシーンでは、「やめて!その人が本気を出したら、あなたは豚の餌になるわよ!」と相手の心配をしてしまう。
●周りを固める俳優陣の演技力が凄まじい。
忘却される娘を演じたオリヴィア・コールマン。
はぁ。とため息を吐いたり、悲しさで震えて嗚咽して泣く姿に共感して号泣した。
気持ちだけで側にいることは難しい。
●とにかく終盤はずっと泣いていた。
未だかつてないほど不安顔をするアンソニー・ホプキンス。
しんどかった
自分を見失っていく、という、ある意味ホラー。
今年のアカデミー賞主演男優賞を、うっかり受賞してしまった、アンソニー・ホプキンス。
誰もがチャドウィック・ボーズマンが受賞し、追悼の厳かな気持ちで幕を閉じるであろうと予測していた授賞式、図らずも世界中の観客を唖然とさせてしまった形になった。
鑑賞中も、安定の名演技なんだし、ここはチャドウィックにあげても良かったんじゃ?って、途中まで思っていたけど、残り5分くらいのところで、やっぱりアンソニー・ホプキンスは偉大だ、と、泣きながら思った。
もちろん、ホラーじゃないんだけど、ハラハラするし、何が本当か分からない、自分も他人も信じられない状況、とても怖い。
本当に存在しているのか分からない人が突然現れて、いなくなる。
知ってるはずの人の顔が違う。
シュールなホラー映画みたいな、ゾッとする怖さがあった。
両親のことを考えて怖くなった。
さらに、自分。
私って、誰が面倒見てくれるんだろう?
いずれ旅に出るのに、時計は大切だから、見失っては探し、見つけては見失い、ずっと時計に執着していたのか、と、分かった時、号泣。
人は等しく、旅に出るのを避けられない。
そして、やっぱり母に会いたいんだなー。
介護に従事される方達って、本当に尊い。
認知症目線という斬新、かつ涙目。
「さ迷い、失い行く」を体験する
正直、和解と許しの物語か、と勝手に想像していた。
だが期待を裏切るストーリーは、
ヘタなホラーよりも格段に恐ろしく、
ヘタなサスペンスよりも格段にハラハラさせられる。仕上がりだ
おかげで何が事実で何が虚構か。
誰が誰で、いつ、どこなのか。
ときおり見せつけられる現実に、観客は主人公と同じ体験を強いられ、
恐怖と混乱と絶望に陥れられる。
唐突に始まる物語は舞台劇のようで、さほどシーンに切り変わりもなく、
派手さなどもってのほかだ。
だが上記のようなミスリードでたたみかけられると、もう勘弁してください
というほかない。
主人公のような人物像はよく、第三者目線で描かれるが、
これは当事者目線の物語である。
物語として一貫性を欠くにもかかわらず、起承転結が整い
観客を置いてゆくことのないシナリオ構成は圧巻。
もちろん主演、アンソニー・ホプキンズの演技も抜群で、
まだ見たことのなかった世界観があったのか、と唸らされる仕上がりだった。
そしてそこはかとなく切ない。
正しく認知できなくなった時の、人の「尊厳」についても痛いほど考えさせられる。
ラストもあそこで切れるなどと、魂レベルでえぐられた。
老いの不安、悲しみを描いた名作
認知症の父親と、彼の世話をする娘のやり取りを中心に、老いの不安と悲しみ、周囲の困惑と辛さを丁寧な展開で描く。脚本がとても良くできていて、それを演技力の非常に高い俳優さんが演じているので、リアリティーがあり過ぎて、観ている方も双方に感情移入してしまって辛くなってしまいました。
年齢をとって、身体だけでなく記憶力や判断力も衰えてしまい、自分が自分でないように感じられ、周囲からも邪魔にされ、重荷に感じられているのだろう、見捨てられてしまうのじゃないかと不安になって、疑心暗鬼になり、悪い妄想に苛まれる気持ち、とてもよくわかりました。自分の親や自分自身にも、いつかそういう時が訪れるのだろうと思うと、誰にとっても他人事とは思えない映画だと思います。
私の父も認知症だったので、最後の方は娘の私のことも誰なのかわからなくなってしまったけれど、性格的にすごく素直で穏やかで、人を疑うようなことは全くなかったので、幸い映画の娘のような苦労は私にはありませんでした。
4回目の緊急事態宣言が発表された週末の日曜午後に、池袋のシネマロサという昭和レトロ感漂う映画館で観ましたが、映画を観に来ていた観客の多くが、20-30代ぐらいの若者だったことに、少し驚きました。
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