ファーザーのレビュー・感想・評価
全337件中、281~300件目を表示
天気の良い日は公園に散歩に行こう
認知症で記憶障害や見当識障害がみられる様になった81歳の父親と娘の話。
主な登場人物はアンソニーとアンとポールにローラが少々。
自分一人で問題無いと長女が雇った介護人を追い出し長女と揉めたり、突然家に現れた長女の旦那と名乗る男に戸惑い、再びあらわれた長女に戸惑い、もしかしたらと思うところもあるけれど、じゃあ何が事実か?とミステリーの様な展開に観ている側も混乱させられる。
本人も認識出来たり違和感をおぼえたり流されたりを繰り返す中で、自体を認識する様は哀しく虚しく、そして周囲は温かく、映画を鑑賞している観客は一応全てを把握出来るオチだけど、アンソニーはどこまで理解出来ているのか。
観ていて涙が流れたり目頭が熱くなる様な感じは無かったけれど、胸が痛かった。
タイトルなし(ネタバレ)
本年度の米国アカデミー賞2部門受賞。受賞したのは、最優秀主演男優賞と脚色賞。もとは本作の監督フロリアン・ゼレールによる舞台劇のようです。
英国ロンドンのフラットでひとり暮らしをしているアンソニー(アンソニー・ホプキンス)。
認知症の傾向があり、何かあると長姉アン(オリヴィア・コールマン)が駆けつける。
その日も、介護人アンジェラとトラブルを起こし、アンソニーが勝手に解雇したのだ。
理由は、愛用している腕時計を盗んだからだという。
しかし、腕時計は自室のサイドテーブルの上にあり、そんないざこざがあったことをアンソニーは忘れて、腕時計をハメて自室から出てくる・・・
といったところからはじまる話で、認知症を、認知症を患っている本人側から描いた映画で、とにかく、観ている方は何が起こっているか混乱する。
知らないうちに、部屋の中に見知らぬ他人(マーク・ゲイティス)がいる・・・
見知らぬ他人はアンの夫だというが、そういった矢先、別人(ルーファス・シーウェル)になっている・・・
夕食のディナーを買いに行き、戻った長姉アンは別人の顔(オリヴィア・ウィリアムズ)をしている・・・
新しい介護人(イモージェン・プーツ)は、次妹ルーシーにそっくりだ・・・
などなど。
認知症は記憶に関する脳の機能に障害があらわれる病気であるが、記憶機能は3つに分けられる。
記憶すべき情報の入力、情報の蓄え(時系列や場所などで整理される)、情報の引き出し(時間的要素を伴って引き出される)の3つ。
アンソニーは、そのいずれもに障害を得ているようで、結果として、時間や場所が混乱し、いまみている人物の顔すら認識できなくなっている。
さて、本作と同じような手法で描かれた映画としては、クリストファー・ノーラン監督『メメント』があるが、あちらはサスペンスミステリーというジャンル映画であるから、最終的には落としどころがある。
が、こちらはサスペンス的な手法で描かれているものの、落としどころはない。
強いてあげれば、最終的にアンソニーが記憶している事柄は、幼少期の事柄、子ども時分の記憶と感情、ということになろう。
「おかあさんは目の大きなひとだった・・・」
これがこの映画でのキーワードで、アンソニーからみた世界はこの映画で描かれるとおりなのだが、客観的な事柄を探る手がかりになっている。
このキーワードをもとに、隠された謎解きをすると・・・
観客がみているアン(すなわち、オリヴィア・コールマン)は、アンソニーの母親の姿。
(これは、サイドテーブルに置かれているアンソニーとふたりの娘の記念写真のうち、背の低い方はイモージェン・プーツに似ているが、背の高い方はオリヴィア・コールマンに似ていない、どちらかというとオリヴィア・ウィリアムズに似ていることからもさすることが出来る)
そしてもうひとつ、話によると次妹ルーシーが事故で死んだことになっているが、実際にはどちらが事故で死んだかがわからない。
(これは、ルーシーは父親のことを「リトル・ダディ」と呼んでいた、ということが語られるが、映画後半ではオリヴィア・コールマンが「リトル・ダディ」と呼んでいる)
さらに付け加えるならば、映画の冒頭からアンソニーは自分のフラットにいない・・・
まぁ、こんな謎解きめいたことをするのはこの映画の本旨ではないだろうが、やはり気になってしまいます。
そして、どのような客観的現実が、自身の現実にみえるのか・・・
そこいらあたりが、気になって気になって。
脚色は、監督のフロリアン・ゼレールほかに、『危険なメソッド』『つぐない』『愛の落日』『危険な関係(1988)』のクリストファー・ハンプトン。さすがに上手い。
スクリーンに写し出される タイトルバックの文字のフォントが 凄...
認知症患者視点
背後
「ノマドランド」や「ミナリ」と今年のアカデミー賞受賞作品は自分にはあまりハマらず、アカデミー賞ってこんなもんだっけ?と思っていた中で、当初は観る予定の無かった今作。はっきり言ってしまうのはアレなんですが、認知症は当人に自覚は無いし、関わる人物はイライラしてしまう、それが観客側にも伝わって楽しめないのではないかと思っていました。
観に行こうと思ったきっかけはYouTubeで動画投稿をされている茶一郎さんの生放送で語られた今作が「怖い」という一言だけで観に行く気になりました。
そんな中観た今作、今までで観たことない作品でした。認知症の人物を客観的に描くのかなと思ったのですが、主人公・アンソニーの主観的に描かれるという斬新なスタイルにまず驚きました。
物語は殆ど"家"の中で描かれます。あまり動きがない今作ですが、「TENET」ばりに混乱させられました。アンソニー視点で物語が進むのでどれが間違いで、どれが正しいのかが分からず行ったり来たりを繰り返します。でも物語からに惹きつけられているので、こんな楽しい映画の後戻りは許されませんでした。
アンソニーが突然頑固親父からコミカル親父になった瞬間笑ってしまいました。演技とはいえ人が全然違うじゃないか!とアンソニー・ホプキンスの演技力に圧倒されました。
ラストで明かされるアンソニーは最初から老人ホームにおり、そこまでの物語が全て幻想ということが明かされます。薄々そんな感じじゃないかなとは思っていましたが、いざ明かされると悲しい気持ちになります。将来自分がこうなるのではないか…という恐怖にも細悩まれました。
人生というものを考えさせてくれる映画でした。とても面白かったです。
鑑賞日 5/17
鑑賞時間 17:10〜18:55
座席 G-13
ʕ•ᴥ•ʔ随分と思い切った映画
アンソニーホプキンスといえば『羊たちの沈黙』のレクター博士なのでしょうが、私の場合『遠すぎた橋』戦争映画です。粘りに粘ってドイツ軍と闘う空挺師団の隊長!かっこよかったなぁ。
本作、随分と思い切った映画だと思いました。
アンソニーホプキンス演じる認知症の老人から見える世界を描いた映画。
アンソニーの演技は怪演なのは予想できましたし、実に見事でした。ウチの90歳の父親そのもので少し怖くなりました。あの人を見下した笑いはウチの父親です。アカデミー賞も当然のことなのでしょうね。
この映画、何が凄いかって内容とかストーリーがないところなのでしょう。
認知症の老人から見た世界は記憶が交錯しストーリーすら結べない熾烈なものなのでしょうね。記憶が曖昧なので個人を特定できない世界、、、、いかに認知症の患者が孤独であるかを痛感します。
アンソニーホプキンスの怪演とストーリーが最後までない展開がこの映画の面白みであり、観客を当事者目線へ誘うのでしょう。凄いと思った。
コロナ禍で上映館が限られてます。非常に残念。
天下一品の演技
ストーリーに多少の違和感を感じることがあったが、痴呆症の老人には世界がこのように見えるのかもしれないと、最後は納得した。救いは、アンソニー・ホプキンスが演じた主人公アンソニーが暴力的でなかったことだ。
当方は過去に、旅行先で大酒を飲んで前後不覚で眠ってしまい、迎えた旅館の朝に自分がいまどこにいるのか一瞬わからなくなったことがある。または、急いでいるときに忘れ物をして取りに戻ったときに、映っていたテレビのニュースが気になって、自分が何を取りに戻ったのか忘れてしまったことがある。あるいは、目の前の友人の名前を失念したこともある。痴呆症というのはああいう感じがずっと続くようなものなのだろうか。
アンソニーが残してきたものは家と少しの蓄えと、それに娘だけである。徐々に記憶が朧になり、夢と現の境さえあやふやになっていく中で、時々覚醒して自分の記憶の齟齬に愕然として整理を試みもするが、上手くいかずに再び痴呆の浮遊感に戻っていく。娘のアンを呼んでみるが、やって来たのは知らない中年女だ。誰だ、この女は。いや、本人が娘のアンだと言っているからにはアンに違いない。もしかすると自分は痴呆症なのか。このあたりのアンソニー・ホプキンスの演技は天下一品である。
年老いて誰からも必要とされず、世話ばかりをかけるようになってしまったら、誰でもこんなふうになってしまうのかもしれない。孤独と悲哀と喪失感がアンソニーを包み込む。優しさはいっときの慰めになるが、救い出してくれる訳ではない。もはやアンソニーを救うのは死だけだ。
真面目に生きてきた。ときには羽目を外しもしたが、世間に顔向けできないようなことはしていない。日の当たる道を胸を張って歩いてきたのだ。この道の向こうには光が見える。あそこにはルーシーがいるのだろうか。
意識と無意識の間を朦朧として歩いていくアンソニーを支え続けてきた娘のアンを演じたのは、オスカー女優のオリヴィア・コールマンである。映画「女王陛下のお気に入り」の演技も見事だったが、本作のアンは、痴呆症の父親に対する溢れるような愛情が伝わってくる最高の演技だったと思う。
分かりにかったわ
タイトルなし(ネタバレ)
アカデミー賞にノミネートした作品だったので、きっと良作なのだろうと期待していたが、それほどではなかった。
映画は退屈であった。
認知症を患った老人の頭の中は、もしかしたらこうなってしまってるのかもなぁと思った。が、観客の沢山の方が混乱したのではなかろうか。私は何がなにやらで、どういうオチに繋がるのかなと、答えを知りたくて時間が早く進まないものかと、そう思いながら鑑賞していた。
アンソニーには娘のアンがいるが、この映画では二人のアンが現れる。それぞれに夫がいる。どっちが本物の娘なのか。
映画はずっとアンソニーの自宅で進むので制作費は安そうだ。盛り上がることはないから、アンソニーが窓から外を覗くシーンでは、ゴルゴ31のようなスナイパーが現れて、射殺でもして映画を終わらせてくれないものだろうかと期待したが、叶わなかった。
始めのうちは、アンソニーの記憶はちゃんとしてるのではないか?と思えていたが、最後に病室に場面展開して、アンソニーが記憶に障害があることが分かった。そして、二人のアンのうち、1人は病院の医者であることが分かった。
頭の中はSFホラー
認知症を患っている老人アンソニーから見た世界。普通なら介護する側や家族の目線を取り入れてわかりやすく描くのに、これほどまでに患者の目線で描かれた認知症作品は珍しい。
娘のアン(コールマン)は序盤から登場するのですが、次のシーンで娘と名乗る女性はまったくの別人だったり、見知らぬ男の存在によって人間関係さえ把握するのが難しくなってくる。観客さえも混乱に陥ってしまいそうになるが、これが認知症患者の頭の中。「あんたは誰?」という言葉は家族にとってもショッキングなものだ。自分の経験でも伯母や母親から「誰じゃ?」と言われたり、間違った人の名前で呼ばれた経験あり。
周囲の人間もそうだけど、患者本人にとっては相当な恐怖になろう。何しろ見知らぬ人間が家の中でくつろいでるんだから。アンソニー・ホプキンスの演技は素晴らしいし、その目線で進む映像がとてもいい。本人にしてみたら、ホラーかタイムスリップ作品のように思えるだろうし、そうなったら頼れる人もいなくなる。そんな混乱した頭の中をこの映画は見せてくれているのです。
「認知症患者は、周囲の苦労に比べて本人は幸せだ」と言ってた人がいるけど、時間の記憶を失くしたり、知らない人が現れるという恐怖は絶対にある。多分、ある時期を過ぎれば平穏になるのだろうけど、苦しい期間は確実にあると思う。腕時計にこだわりを見せる伏線もあり、本人の苦しい時期を描いた良作だと感じたものの、患者特有の残虐性、暴力性、または下の方のネタがまったくなかったことでちょっとだけ不満だった。
老いとは寂しい、悲しい
人は誰でも歳をとり、老いてしまう。
本人、その周りの愛する家族にとって悲しく、つらい。
何にも悪いことなどしてないのに…
この映画は介護で苦しんでる人に見てほしい。記憶がわからなくなる人の視点で撮られていから、最初僕もなんだか場面がおかしくなって、なんだこれと思った。ただ、これがその人の頭の中なんだと思うと苦しく思う。
アンソニーホプキンスはさすがアカデミー賞主演男優賞取るだけの演技だ。なんか演技ではないみたい。
最後の介護士とのやり取り、お母さんのことをいいだしながら、泣き崩れるところがたまらない。
全世代に響くであろう“老い”についての物語
ロンドンで暮らす81歳のアンソニーと娘のアンの体験型認知症映画。
これは素晴らしかった。
アンソニー・ホプキンスの主演男優賞も納得の、傑作でした。
予告では感動的な話のように思えますが、ある意味ホラーですよね。
老いるということの恐ろしさ。高齢者に襲いかかる孤独。
そういったものがまだ若い自分にも分かりやすく伝わってきました。
何より、ものすごく共感できる。
アンソニーは自分の祖父母にそっくりでした。
超高齢化社会の中で、今やほとんどの人が経験せざるを得ない親の老化、もしくは自分の老化。
現在、うちも祖父母を親が介護していますが、ここまで物忘れが酷くなったわけではない。
ただ、これの一歩手前くらいで、アンソニーのクセの強さは祖父そのもの。
機嫌が良い時は良いけれど、何か気に入らないと完全に決めつけて悪口を言ったり、無視したり。
母から話を聞く程度ですが、いずれは自分もその立場になるんだと思うと、本当に辛くて悲しくて…
ついこの間まで、他と比べるとかなり元気なおじいちゃんだったのに、と。
きっと劇中のアンソニーも、急に老いが始まったんでしょう。
だからこそ自分でも老いたことを認めたくない。
心の中では現役時代のつもりでいる。
自分の抜け落ちた記憶を無意識的に継ぎ接ぎストーリーで補い、何かあると決めつけて周りの人を困らせてしまう。
映画の構成がとても上手くて、一つの事柄が何度も繰り返されたり、全く違う人物が出てきたり、パリ行くっていったり、ロンドンに残るっていったり、観ているこちら側が頭ごっちゃになる。
本当に最後のあのシーンまで、何が本当で何がアンソニーの頭の中なのか分からない。
でも、最後のあのシーンの伏線回収(といって良いのでしょうか?)で、なんとなく謎が解けました。
介護する側もされる側も泣きたくなる。
でも、誰も悪くない。
介護をされている方々はもちろん、それを職にされている方々には本当に頭が下がります。
自分の親ならともかく、他人の面倒を見るなんて、正直私にはできません。
今、実際に若い自分でも、若いと思っている自分のことを信じられなくなる恐ろしさがひしひしと伝わってくる傑作、いや、怪作でした。
違う視点から描いた作品
この様な視点での作り方もあるんだなって思わせてくれた作品です。
視点を主人公に置くことで時間軸がハッキリしないことや、実際に言われた言葉なのか?それとも自身が想像で作った言葉なのか?そして誰(顔)なのか?が入り組んでて分かりづらく感じます。
そのため物語の絡まった糸を解くこと(取捨選択)や語りが主人公よりの視点のため、登場人物への共感を感じつつ観るってことへの妨げになってるかもしれません。
観る前に認知症の主人公の視点より描いた作品である事を知ってから観た方が良いです。
老いること
意識混濁ものの標準レベル。演技もそれ程でも。
本人にしてみたらサスペンスでホラー
予備知識は少なめがオススメ。
緊急事態宣言の中、公開して頂いたことにまずは感謝。映画関係企業の皆さんには引き続き踏ん張って頂きたい。
ファンは映画館にちゃんと足を運びますので。
…で、観賞。
描かれる内容自体はとてもとてもシンプル。…ってな訳で、何を書いてもネタバレっぽくなるのでご注意を。
かなり冒頭から「何が起きているのか分からない」戸惑いを観客も味わう。
それが結果として主人公の不安や孤独の一端を追体験することになるという、後になってその計算された物語に唸らされる。
不安であるからこそ、肌身から離れることなく常に変わらず刻み続ける「時」に執着してしまう。彼にとっての腕時計とはそういう象徴なのかも知れない、と思ってみたりもする。
「フラット」も同じ。
認知症という、他人が把握しにくい感覚を、「確か」なはずの何かが全く「不確か」であることの不安で表現する。
やはりアンソニー・ホプキンスの名演に尽きる。
時に可愛らしく、時に切なく哀れに、時に憎たらしく。
そりゃオスカー獲るはずですわ。
繰り返しになるが、とても内容は静かでシンプルなので、予備知識はできる限り少なめ(予告編どころかポスターさえ見ない方がいい)で、ちゃんと戸惑いながらご覧になるのがオススメ。
22
ホラーですかね?予備知識ゼロで観た方が面白いよ。オスカーがどうのとか関係ない
これはホラーですかね?
ジャケ写の雰囲気『家族愛やら感動やら』とあまりに解離している。
最後の方まで、何となく『顔のない鑑定士』のような話かなと。
でも、ホプキンスはそんなに資産家でも無さそうだしなあ〜。
さあ、薬を飲みましょうと笑顔で皆に言われる度に、実はサスペンスか?このクスリは認知症を遅らせるクスリじゃなく、実は‥。?
正直、怖い。
ホプキンス以外が着ている服のカラーが青だったり、白だったり、オレンジだったり。
娘と名乗る女がまだ青い服を着ていて、時が経ってるように見えて実は同じ時間、同じシチュエーションをグルグル。その繰り返し。
そして、いつになったらチキンがテーブルに乗るのか?
気になりました。
この時系列のグチャグチャ、同じことのグルグル。ホプキンスの台詞や不穏なアリアが頭に響いて、観てると疲れてきます。
でもやはり、一体どういう話なのか?その一点だけでラストまで引っ張って行きます。
確かにホプキンスは時計に強い拘りがあったり、認知症なんだろうなと私も感じる。
認知症の人と関わっている人達から見た認知症の人の頭の中は人間がこんなふうに、ホラーサスペンスみたいに見えたり、疑心暗鬼になったり、暴力を振るわれたり、怖かったりするのかも知れないと【想像】して描いた作品なのでしょう。
いや、けど、もしかしたら解らない。実は『本当に』あの夫と名乗っていた男に何度も殴られて恐怖を感じたり、暴言があったり、娘に首を締められたり、したのかも知れない。
そこは認知症の人が決して治らないからこそ、永遠に解らないわけで。
で、認知症の人の言うことは誰も信じてはくれない。誰も信じてくれないと言う恐怖も、気付かれないように描いている。
オレンジ色の服を序盤に着ていた介護人がラストにまた出てきます。
そしてチラッと部屋に来た例の男の微笑みも。
怖い。
若い訪問介護人の娘=亡くなったルーシー
中年の介護人=お母さん
そして、人間はとことん怖い目に合うと過去や、自分を無条件に愛してくれた人に助けて欲しくなるものなのかもしれない。
けどホプキンスって、ずーっと昔から何故かいつも年寄りのイメージがあります。何でかな?
何かこの人とホロヴィッツがカブるよ。
(どちらも鼻につく)。
しかし、ワタシもGOLDマークの『pro』と表示したいですよ。
共通点は前置きか長い。
いくらやれアカデミーとった、やれ怪演だなんだ・あらすじ・こんな監督でぇ‥‥。
もう、ウンザリするほど長くて(そんなもの書いてくれなくても、今のご時世ネット検索すれば一発よ)も、GOLDマークに踊らされて読む人いるんだから。
何より文章が長い割に、殆ど改行されてない人の頭の中はやはりグチャグチャで整理されてないんじゃないか?と。(余計なお世話だけど)。
未だにキネ旬の順位で映画観てる化石人と変わらんよ。
読売の夕刊映画コーナーのフリーライターのが字数決まってて賃金もらって書いてる分、文章が簡潔でずっと心に響いてたわさ。
すごい演技と演出だけど退屈
アンソニー・ホプキンスがアカデミー主演男優賞をとったという本作。そりゃアンソニー・ホプキンスだもの、演技すごいことくらいはわかってる。さー、どんなもんよ?くらいの気持ちで臨んだ。
演技はやはりすごかった。脚本の構成もあると思うが、認知症高齢者が感じる不安が見事に表現されていた。ここまで生きてきたプライドや自信みたいなものが揺らぐ。自分が感じたことが間違っているのか、相手が言っていることが間違っているのか、あやふやになっていく過程がすごい。
でも、それは観終わったから感じることであって、観てるときはなんともわかりづらい話だと感じた。今観ているものが何なのか、正確には把握できていない奇妙さ。これが認知症になった人間の意識を表現するために製作者が意図したものだとするとかなり成功している。一種のミステリーのようだった。
ただしそれを評価するかどうかは別物。個人的には高い評価にはできなかった。
ところで、いま、何時だ?
全337件中、281~300件目を表示