「何故アンソニー・ホプキンスが名優なのかが分かる映画」ファーザー 佳之さんの映画レビュー(感想・評価)
何故アンソニー・ホプキンスが名優なのかが分かる映画
ここで映画のプロットを語ろうとは思わない。
何故ならそれは皆んながやっているだろうからだ。
故に自分はここで何故アンソニー・ホプキンスが名優なのかを語ろうと思う。
アンソニー・ホプキンスの凄さは彼は徹底的に演技を即物的に行おうとしている。
よくアンソニー・ホプキンスと比較されるのはダスティー・ホフマンなのだけど
彼はアンソニー・ホプキンスと真逆を行くスタイル。
それはつまりどう言うことかを言うと
ダスティー・ホフマンは演者として行間を大切にするタイプなのだ。
例えば彼は煙草を吸うシーンがあるとそこに仮に大人になってから30年の重みを出そうとする。
何故彼がそう言う姿になってしまったのかの行間を表そうとする。
ところがアンソニー・ホプキンスには一切それが無い。
役を演じきる事に彼は人一倍熱心なのに彼は行間で何かを語る事は一切しない。
タバコを吸うシーンがあっても彼はそこに何も描かない。
しかし何故か30年以上煙草を吸っていた重みが不思議に出るのである。
だから彼に「羊たちの沈黙」があまりに凄かったからと言って
ダスティー・ホフマンの様な役作りをしようとしたんですか?と聞くと
「私は役を演じただけであって、自分はレクター教授とは違う人物だ。自分はアンソニ〜ホプキンスだよ。」とそれを言った人物に素っ気なく言うだけなのだ。
下手すると映画の撮影時間もきっちり決まっていて
朝の9時に撮影所に来て何かを演じたら
17時には家に帰るみたい仕事をする人であるのだ。
非常に淡白と言うか仕事に対してあっさりしていて拍子抜けするくらい。
それなのにあの重厚な演技である。
何も行間には書かれていないはずなのに
その人物がどの様な人物かと言う事を誰よりも雄弁に語らせる。
今回の映画はシーンの時間や空間が交錯しまくるので最初一体何が何だかわけが分からなくなるが
その複雑な状況にある1人の老人を見事に演じきる。
性格に波があって非常に剽軽に戯けたかと思うと
次の瞬間突然猜疑心剥き出しになったりして波が激しい。
ドライな演技法なはずなのにこの結果、この演技。
それが実に素晴らしい。
見所はこの映画の最後のシーン。
アンソニー・ホプキンスが自分が誰かさえも
此処がどこかも分からないんだと子供の様に泣く。
それがまるで小さい子供が母親からはぐれたかのように泣きじゃくる。
そんな彼を抱きしめて服を着替えて公園にお散歩に行きましょうと誘う介護の女性。
彼女も仕事のうちでその様な対応をしているのだろうけど
まるでマリア様の姿をみている様で崇高に美しい。
素晴らしいシーン。
最後は如何にアンソニー・ホプキンスが素晴らしい名優かと言う事のみが残る。
アカデミー賞本命じゃないかと言うのも頷ける作品。