「出口のない不条理映画のような」ファーザー 三月☆うさぎさんの映画レビュー(感想・評価)
出口のない不条理映画のような
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娘や家族が、以前とは、全く違う筋の通らないことを言う。
自分が知っているのと全然違う人物が、自分は家族だと主張する。
時間は連続性を失い、前後関係もあやふやになる。
自分は不条理映画の観客のようだ。
そして実際、我々は映画館で そういう不条理映画を今見ていて、一体どうなってるのこれ?と思っている。
認知症というのは、少しづつ度合いを増していく不条理映画に突然放り込まれるということなのだ。
自分でも訳が分からない。腹も立つ。疑り深くもなる。
私は、アンの立場で映画を見ていると思っていたけど、それはアンソニーの視点だった。
不安でたまらない。その映画は終わることなく、大切な人は去っていってしまう。(いや、去っていっていないのかもしれない。それすら分からない。すがりついて母と呼んだ女性だって、看護師だったかもしれないし、アンだったのかもしれない。それさえ、彼には分からないだろう)
やがて、その不安も忘れていくのだろう。
アンソニーの怒りや混乱や不安も、アンの悲しさや苦しさや優しさや愛情も、ものすごくよく伝わってきた。
それが名優ってことなんだろうなあ。
オリヴィア・コールマンって、何の役でも普通のおばちゃんぽさがある。それって、どんな特殊な人の役でも、その人の中にある、普通の人と変わらない気持ちがものすごく伝わって来てるせいなのかなって思った。
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