オートクチュールのレビュー・感想・評価
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胸ぐらをつかまれたような
お針子さん達のモクモクと作業する話かと思いましたが、開けてびっくり、ドスの効いた内容。
玄関先のキレイなバラや仕立て途中のドレス達…。それはそれは美しいのだけれど、ヒロインの悪態や罵倒がすごい!凄まじい!
普段、特別良いと思っていたわけではない自分の周りの人達は穏やかなのだな〜と、気付かされたり…。
…きっと、難民の多い環境や、貧困、色んな問題が当たり前に山積みなんだろうな…と、察しつつもタジタジ…
あれだけ言いたいことを言う人達だけど、言う割にそれぞれ傷付きやすくて
デリケートなんですね。
盗んでも、許し、お針子さんにスカウトする…
この手は、手先が器用と手を見ただけで分かる…
芸術家が芸術家を見極める様な、そういう感じなんでしょうか…
お針子さん達の作業は美しく、見惚れました…。
集中してものづくりの作業する姿は美しいです。
悪口雑言のヒロインが、別人のようでした。
ハサミを落とすのは不吉…と言うのがまるで日本の塩もってこい!とかお清めみたいで、お国は違えど、へ〜っ、こういう事するんだ、と興味深かったです。
「私は人生が好き、人生が私を嫌ってる」
うまく行かない時、誰でも生きてると思う事があるのでは、とドキッとしました。
オートクチュールを支えるお針子さんたちにフォーカス
パリの老舗メゾン、Diorのアトリエで、デザイナーから渡されたデザイン画を服にしていく裁縫担当者、俗にいうお針子にフォーカスする本作。この視点は珍しいかも知れない。大女優、ナタリー・バイが演じる引退を控えたベテランのお針子、エステルが、ある事件をきっかけに出会ったバンリューに住む移民2世の少女、ジャドに、自分の技術を託そうとする。
オートクチュールの世界は煌びやかだが、その影では名もなきお針子たちが情熱とプライドを服作りに捧げている。エステルとジャドのまるで母親と娘のような関係はドラマチックだけれど、筆者はフランスの伝統文化が著名なデザイナーの下で働く現場の労働者によって支えられていることを描いた点こそ評価されるべきだと感じた。
勿論、デザイナーたちもそれを知っている。ユベール・ド・ジバンシィのファイナル・コレクションでは、モデルではなく、お馴染みの白衣を羽織った大勢のお針子たちがランウェイに上がって、ジバンシィと同じ拍手喝采を浴びた。この映画を見て、あの感動が久々に蘇ったのだった。
二人の主演女優たちが興味深い化学反応を魅せる
この映画は、引退を間近に控えたベテランお針子の朝から始まる。起き抜けに甘いもので血糖値を上げて、職場へと向かう。そのルーティーンには孤独こそ漂うが、彼女がいざ現場に足を踏み入れると映画の空気もガラリと変わる。そこは経験と才能がものをいうプロフェッショナルの世界。ナタリー・バイの相貌には腕一本で生き抜いてきたプライドがみなぎり、またそんな主人公がだからこそ、引退を前に思わぬ行動に打って出るところが面白い。それはひょんなことで出会った少女に機会を与えること。おそらく彼女は自分が授ける側だと思っていたのだろうが、しかし物語はむしろ双方がお互いにチャンスや影響を与え合っていく様を描く。衝突も多い。が、二人の女優のじっくりと魅せる演技が観客を内面へと引き込んでいく。言い訳や罵り合いがいつしか実直な行動となって、指先の技術や集中力へと昇華されていく姿は、定番の描写とはいえ、成長物語として見応えがある。
華やかな世界の裏
タイトルの華やかな印象とはうらはらに、地味な職人さんたちの日常が描かれています。とはいえ部屋に香水を振りまくシーンは、やはりクチュールブランドの世界だなぁと思いました。
多文化共生とか移民社会っていうのは簡単にはいかないところもありますが、人と人との繋がりが一番大切ですね。
フランス映画らしいファッショナブルな感じ
ナタリーバイ扮するディオールのアトリエ責任者のエステルは、 ストリートミュージシャンの歌を聴いていたらバッグをすられ、代わりにギターを持ち帰った。エステルは引退前の最後のショーに望むところだった。バッグを盗んだのはリナクードリ扮するジャドで、エステルにバッグを返しに来たのでジャドを許し職場に入れた。
スリを職場に入れるなんてなかなか度胸がいるよね。スリは手先が器用だからみたいだけど、所詮犯罪者だからどうなのかな。音楽も含めて軽いタッチでフランス映画らしいファッショナブルな感じだったね。
自分の人生は自分でオートクチュールするしかない。
Dior のパリの本店はモンテーニュ30番地。
そしてそのパリの街は、いまは移民で溢れている。
僕の仕事場に大勢いる海外からのアルバイトさん。
アフリカやアジア各地からの出稼ぎの人たちと入れ替わりで、ここのところ大挙して入ってきたのはアラブ系。
彼らはお手々はお留守なんですよ。大声での早口でのおしゃべりが凄くて、ご機嫌な人たちなんだけどちょっと付き合うのはしんどい。
いささか疲れて、帰宅してDVDをかけたら・・まさかのアラブ系の女の子がまくしたてる映画だった(笑)
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「Dior の映画」。
メゾンの映画はさまざまある。どれも違って どれもいい。
◆デザイナー自身を主人公に、その奮闘や苦悩にフォーカスしたもの、
◆客層や縫製室にスポットライトを当てたもの、
◆完成品やコレクションのショーを見せることに特化したもの。
そしてこれは
「お針子として働く人間たちの、 個々のプライバシーと実生活」に焦点を当てたものだ。
僕ですか?
柔かいシフォン生地のワンピースを彼女に縫って贈った事があります。裾のまつり縫いは得意です。
だからこういうメゾンのアトリエ物には目が無いですね。
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昔、イタリアとフランスを旅したとき、満員の地下鉄で、移民の子にカードと免許証をすられた。(帰りの地下鉄で同じ子がいて、乗客に取り押さえられて警察に突き出された、スカートとヘヤピースの少年だった)。
ルーブルの郵便局に並んだ時には、僕の前に並んだ黒人男性と、次に並んだ黄色人種の僕は、白人局員からは「これは笑い話かよ〜」と思わされるほどの意地悪をされた。
ほうほうの体で安宿に戻ったら、フロントのセネガル人移民 (=フランス語圏)の女性にフランス共和国の不始末を代わりに謝られて、そして慰めてもらったことがあった。
映画は、
欧州での移民問題や人種間の軋轢が物語のベースに置かれている。
かつ、カトリック、ユダヤ教、イスラム教の 微妙な確執が更にそこに国内問題の複雑さを加味している。
アルジェリア移民の娘ジャド。
「ハサミは(テロの)爆弾じゃないよ」
「黙れクソ女」
「母親ヅラするな」
その荒れ方と育ちの悪さ(笑)を見せる演技が、これがまったくもって素晴らしいんだな。
ジャドはその強烈な悪態ぶりでエステルをイラつかせて火花を散らす。
けれどもジャドを拾ったエステルはこう宣言するのだ
「美しさで世界を修復するの」。
退職の日が近づき最後の力を振り絞って“大仕事”に取り組んだメゾンの縫製部門のこのチーフ=エステルが、身震いするほど素晴らしい。
訳あり・癖あり・傷ありのこの二人だから、中年も、そしてこの少女も、たくさんの課題を背負ってここまで闘ってきて、そしてその闘いの中から見つけた生き甲斐を、劇中二人で一緒に織り上げていったように見える。
そしてジャドとエステルは、どんなに出自は違えども、母と娘の間の苦しみやら家庭不和、ヤングケアラーとか薬物とか病気とか、お互いの垣根を超えて、どれもこれもが自分たちのおんなじ課題だったと気づくのだ。
剥き出しの感情でぶつかったことによってだ。
カメラは遠くからの撮影で、ボカし気味のフォーカス。
指先と表情はくっきり映す。
人物の配置と視線とそのポーズにとことんこだわる画面演出。
そして うまいところで旨いBGMが流れて、観ているこちらを物語に引き込む。
What a wonderful world.
破れた端切れを縫うジャドにいつしか感情移入だ。
・・・・・・・・・・・・
僕は
君は、他人を救って自分の家族を捨てたんだな
と、再起出来ぬまでに激しくなじられたことがある。
エステルは赤の他人のジャドをとことん可愛がる。持っている良い物をジャドに引き継がせようとする。
自分の息子や娘に してやれなかったことを、悔やみの代償として誰かのために骨を折ってやること、
・・これ、みっともない事かもしれないけれど、責められる事かもしれないけれど、おそらくだれにも覚えがあることではなかろうか。
母親失格。父親失格。
兄や姉として、どうにもならなかった力不足。もちろん子としては自分の親に対しても。
その辛さを、みんな抱えているから。
そして
自分の人生は、いつかは奮起をして、自分自身でオートクチュールするしかないのだが、
「クソ孤独」のエステルとジャドの物語は、驚くべきことに、それを誰かが必ず助けてくれるという《救済》のお話。
家族、同僚、友人たちがホントにいい。
エステルは絶縁していた娘に電話をし、
ジャドはお母さんミュウミュウの所へ帰ってゆく。
引退まえに”生き甲斐“を見つけたエステルの満たされた顔。
「女の子に会った」
「いい子よ」
薔薇の花に語りかけるエステルの幸せそうなこと。
そして、信じてもらって薔薇のように花を開いていくジャドの、なんと綺麗なこと。
いい映画でした。一生忘れられない1本になりました。
「どんなに気に喰わない相手でも、命削って一緒に取っ組み合いをしてくれる誰かが 私にはいてくれるのだ」、という、
《再生》と《幸福》のお話なのでした。
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ゆずり葉の
落ちて林の春日かな
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華やかなパリファッション界を支える女達の物語
フランスで自立して暮らすには、一流メゾンのお針子の仕事はとても良いようだ。
腕さえ確かなら出自は問われない。一人前になるには修行が必要だが、身につけた技術は一生ものだ。締切に追われることもあるが、とても美しい物づくりに携われ、プライドを持てる仕事だ。
パリ郊外は下層階級の移民の暮らす地域が多いこと。そうした地域に住んでいるというだけで見下す者もいること。はなから働く気のない若者もいるが、ヤングケアラーにされている子もいること。
女性の自立、母親と娘の関係、女達の友情、移民家族の暮らし、さまざまなことを細やかにおそらくは願いを込めて描いていると思った。(ラストシーンはメルヘンチックすぎる嫌いがあるが。)
アトリエを後にする時に若い子の名前を刺繍したガウンを渡す場面はちょっとホロッとした。
何か作るって楽しい
"お針子さん" デザイナーではなく、陰の世界で地道に仕事する。そのトップなのに曰くパリに住んでいない状態、つまりあんなにしていてもそこまでの生活では無いという事。それでも作るのが好きという気持ちが素敵だなぁと。でもそれをいい事に搾取する人々がいる事に腹が立つが。カトリーヌの人柄が素晴らしかった。
ディオールのお針子さん(超ベテランとひよっこ)
オートクチュールとは一点物の高級仕立て服のこと。
ディーオールのスーツは1着で300万円もする。
ディーオールのロングドレスは最低で2000万円とか
3000万円するそうだ。
オートクチュールドレスは伝統工芸の芸術品。
過去の遺物かと調べると、需要は今でもかなりあるとか。
想像するに、
超絶お金持ちセレブのウエディングドレス、お色直しの衣装、
それに王侯貴族のローブデコルテとか?
映画祭のレセプションなどで着られるのだろうか?
シルク、オーガンジー、タフタ素材のドレスの制作。
素材自体が希少ですし高い。
それに人件費と刺繍や手縫の手間賃・・・
高くなる筈。
もちろん原価は10分の1くらいかな?
1針1針心を込めて仕立てる《お針子さん》がこの映画の主人公。
この映画では高齢で引退するディオールのアトリエ責任者の
エステル(ナタリー・パイ)と、
偶然の出会いからお針子見習いになる
アラブ系移民二世の少女ジャド(リナ・クードリ)。
2人の交流から生まれるドラマが描かれる。
導入部分。
ジャドが地下鉄で居眠りする青年から盗んだギター。
そのギターで地下道で弾き語りするジャド。
立ち止まって聴くエステル。
そのバッグをジャドの親友の娘が、ひったくって走り抜けて行く。
バッグの中を確認するジャド。
中には「ユダヤの星」を形どった純金ネックレスがある。
友人に諭されてエステルにバッグを返しに行くジャド。
ここでエステルはジャドの指先を見て、「お針子見習い」に
抜擢する。
ここで2つ驚いた。
1、指先を見ただけで、器用さを見抜くこと。
そして
2、盗んだ娘を隔てなく許したこと。
…………普通、盗癖のある子を採用するかなぁ?
特に2は信じられないけど、身分証(ID)を返したことが大きいのでは?
私も家に泥棒が入りバッグその他、現金入りの封筒を盗まれたが、
運転免許証と健康保険証を隣家の庭に投げ捨てて行った行為には、
なんとなく紛失届けや再発行の手間が省けて
有難い(?)と思ったから。
それにしてもジャドのくちの悪さ、言葉遣いの荒さには驚く。
「ババア」呼ばわりされても、顔色ひとつ変えないエステル。
なんと血糖値が急にあがって入院したエステルが、
実の娘より職場の仲間より一番にジャドを呼んだこと。
この信頼性は何故なのだろう?
監督のシルヴィ・オハヨンはユダヤ系の移民です。
インタビューを聞くと、
フランス人は移民に優しい。
自分を受け入れてくれた。親切にされた。
そして体験談として、オハヨンは再婚した夫の連れ子を愛しすぎて、
実子の娘に憎まれた。
娘は母を捨てて父親のところへ去った。
この体験がエステル像に色濃く影響している。
ジャドもまた、鬱病を傘にジャドを束縛して何ひとつ与えない実母に
絶望している。
貧乏な最下層の移民でも、生き甲斐ある仕事を見つけるチャンスはあるし、
娘に呆れられた母親にもやり直しのチャンスはある。
監督の前向きな考えが、希望あるラストに繋がっている。
気持ちの良い映画です。
しかし半数の若者は、移民だから這い上がれない。
差別や格差は無くならない・・・
そう思っているのも事実です。
ユーロ離脱したイギリスの離脱の理由を、
「移民に仕事を奪われたため」
…………だったと聞いた記憶がある。
(他の複雑な要因も理由もある筈だが、)
フランス映画で白人のパリジェンヌが黒人男性と、
腕を組み堂々とシャンゼリゼを歩いている光景。
よく目にする。
アメリカ人は黒人を差別するけれど、
フランス人は黒人を区別する。
そうも聞いたことがある。
郊外の団地。
その区域が下層移民の収容場所・・・だとすると、
フランス政府は移民のためにマンモス団地を建設して、
移民を優先的に入居させて、隔離したのか?
住む地域により、収入も職業も人種も、判別できる。
この映画はその辺の矛盾を優しい皮肉程度に描き、
声を荒げて叫んだりはしていない。
地下鉄での運命の出会い
フランスでも年ってキーポイントなんだなぁ。
悲しい。
作品の作り方として、有名なブランドの裏側というシチュエーションと、日常の暮らしが盛り込まれていて見ごたえあり。
欲を言えば、もう少し職人技が見たかった。
主人公が選んだ彼氏が才能なさそうなのも良い。
高い服の価値がわかった!
ディオールのオートクチュールの裏側を見られたということだけで価値があるなぁと感じられた映画。ブランドのお洋服などの価値がいまいちわかっていなかったけど、この映画を観たらだからこんなにお高いのね、とちょっと納得。内容は大いに普通かな。流れている音楽のインストはよかったけど、歌詞の入った音楽の流れかたとかセンスが好みじゃなくてちょっと耳障りだった。
お伽噺っぽい
クリスチャン・ディオールで働く引退間近のお針子さん(主人公)が、「手を見れば分かるの」とお針子の才能ある娘を見つけてディオールに引き込む話なの。
才能ある娘は移民の娘で、お母さん鬱で面倒みないといけなくて、かっぱらいをしたりして厳しい境遇なんだけど、持って生まれた才能でそこから這い上がるのね。
主人公と娘は反発し合うんだけど、主人公が娘を諦めないのね。仕事にかまけて実の娘とうまくいってないから、移民の娘にこだわる設定なんだけど、納得感が薄かったな。ここがお伽噺っぽかった。
移民の娘を用いてるから、居住区による格差とか人種差別とか宗教の話とか入れてくるのね。そんなに強い主張でもないから、別になくても良かったような。
登場人物がぶつかり合うときは、主張をぶつけ合うのね。そこがフランス映画だなあという感じ。突然、沈黙を続けて「察してよ!」とキレたりはしないの。民主主義が根付いてるね。
なんだかドキドキした
針と糸、生地の匂い、立体裁断の繊細な手仕事にドキドキした。
神聖な仕事場にMiss Dior の香り、もうそれだけで仕事への誇りが十分に伝わる。
自身の母も洋裁をするので、あの針を扱う美しい動きをする手には馴染みがある。
懐かしさと無駄のないその動きでドレスが作られていく様にうっとりする。
少女の成長と、初々しい恋愛模様にとてつもなく高揚しポロポロと涙した。
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